八百津に行く目的のひとつは、人道の丘「杉原千畝記念館」に行くこと。
一年前に訪れたときは休館日で見ることができなかった。
杉原千畝氏は1900年八百津町生まれ。
外交官として1940年リトアニアの首都カウナスにいた。
ナチスドイツの目を盗んで逃げてきたユダヤ人たちに、日本の通過ビザを発行して渡した。
これは「正規の手続きができない者に発行せず」という当時の外務省の命令に反する行為で、後年 外交官としての道は閉ざされた。
人道博愛精神第一に生きようとした杉原千畝の決断で、ユダヤ人6000人が救われた。
努力、柔軟さ、勇気を持って行動することにより、社会に大きく貢献できることを 実践した人でした。
八百津町の北山。
今は、日本の棚田百選にも選ばれているこの地区に、杉原千畝氏の原風景があるそうだ。
帰路、回り道をして寄った八百津北山「上代田の棚田」の郷(さと)は、たわわの稲穂が揺れ、刈り入れを待っていた。
奇しくも終戦の日に、この記念館に来られて、考えさせられる日になった。