きのう木曽川学のセミナー受講を終えたとき、同じ建物の各務原中央図書館三階ギャラリーで、「加藤としえ 40年の道 ありがとう展」が開催されていた。
相変わらず、一目見て加藤としえさんの作品とわかる。
個性的で 光っている作品の数々・・が並ぶ。
もう20年も前、わたしはこの加藤としえ先生に週一回、絵手紙を教えてもらっていた。
会場受付に先生をお見かけしたが、先客とお話をされていたので、話しかけるのを遠慮した。
わたしの家にも あのころの作品や本も大切にしてあります。
平成20年度木曽川学セミナー:
第4回「飛騨川流域をつくる岩石」 講師は岐阜大学教授の小井戸由光先生。
わたしは岩石など興味がまったく無いので、今日はいやだなあと思いつつ出席。
岐阜県南東端恵那山付近から富山県境付近まで広大な面積が「濃飛流紋岩」に覆われているそうな。
作られた時代は6500万年前までの中生代の白亜紀後期とか。
地球上からあの恐竜が突如絶滅した時期と一致するという。
当時、地球ではなにが起きていたのか・・。
「濃飛流紋岩」が火山のマグマ・溶岩だまりから作られる様子が、恐竜を絶滅させた犯人像を求める状況調べになると。
わたしでもわかりやすく、理解できるように話をしてくださる。
”動くこと山の如し”が活断層だ、とも。
おかげで退屈しなかった。
小井戸先生は「自分の墓石は岩石(濃飛流紋岩)で作りたい。
でもこの岩石は長方形のものには絶対切り出しできない。
わたしはあまのじゃくだから・・」と言われながら、
本当は岩のごとく硬い人なのだろう。
【写真上】「中部地方の立体地形の鳥瞰図」(原図は佐藤正明氏提供)p10page
【写真下】『ひだ・みの活断層を訪ねて』の表紙カバー。 谷、川、耕作地、鉄道、道路、市街地が、ほぼ活断層に沿って並んでいる・・。
※写真はいずれも下記の本より撮影した。
岐阜県活断層研究会 編・著『ひだ・みの活断層を訪ねて』
2008.2.11.刊。岐阜新聞社発行 ¥1800E
書籍販売は岐阜新聞情報センター出版室Tel 058-264-1620
ANAグループ機内誌『翼の王国』2008.7月号に わたしの投稿エッセイが採用された。
半年も前に出かけた沖縄旅行のことを書いた。
この雑誌はフリーマガジンだが 内容は質が高い。
いつも飛行機に乗ったら楽しみにしている。
この号も連載「中国万事通」第16回:「景徳鎮・陶瓷(taoci)」という記事は、陶芸の好きな私にとって 読み応えがあった。
採用のお礼として純銀と本皮製のANAオリジナルストラップが届いた。
大きな飛行機もこんなに可愛らしく、お気に入り。
【写真上】ANAグループ機内誌『翼の王国』2008.7月号。
【写真下】お手紙募集「郵便飛行」のページ(部分)と ANAオリジナルストラップ。
月1回の陶芸教室の日が近づくと、今度は何を作ってもらおうかなあ、と考える。
今回は型を使って四角皿を作ることにした。
型は「ポリスチレンフォーム」を切って 型を作る。
型の材料をホームセンターに買いに行ったら、畳一枚の大きさのものしか売っていなかった。 「ポリスチレンフォーム」は建築材料なら断熱材として使うもの。
そうだ! 先日パソコンを買い換えたときのダンボール函に緩衝材で付いていたと思い出した。
カッターナイフで切り取り、型ができた。
厚さ5㍉のタタラで、簡単に皿が出来上がり!
【写真】型と これから素焼きに出す皿
わたしの住む市でも 在日外国人が多く生活(くらす)ようになった。 異なった民族であり 異なった文化をもつことから起きる、いろいろな問題に出会う。
お互いに仲良くなれるキッカケになれば・・ということで、シェイクハンド!の活動が始まった。
週に一度だが平日の放課後、ボランテイアの人たちが宿題をみてあげる。 子どもたちは日本語の教科書だから、親たちには難しい人もいるのだ。
毎週日曜日の午前には、スペイン語の先生に来てもらい、子どもたちはスペイン語を勉強する。 日本で生まれ日本の学校にいるために、子どもたちはスペイン語がむしろできない。
子どもたちの勉強会には必ず保護者が送迎する約束だから、
母親たちは子どもの勉強が終わるまで、日本の文化、習い事を習いながら待っている。
この日は 母親たちが折り紙で遊びながら会話を楽しんだ。
わたしは何十年も前に覚えたスペイン語を思い出しながら話しかけた。 ペルーからきた小学生の女の子に「スペイン語しゃべれるの?」と言われ、うれしかった。
こうした小さな交流でお互いが仲良くなっていけばいいなあと思う。賛同参加するボランテイアの人が増えるといいな・・。ぜひ参加してください。
【写真】2008.6.22.(日)犬山楽田ふれあいセンターにて。
国際協力や異文化の理解を深めるボランテイアグループ「シェイクハンド!」。子どもたちのスペイン語勉強会の会場前で、お母さんたちも折り紙つくりの交流会を楽しむ。
『・・寿司屋のかみさん・・「はじめての寿司教室」』 佐川芳枝・著 寿司屋のかみさんがカルチャースクールで寿司教室の講師をつとめた体験をつづり、本にまとめられたもの。
「簡単にできる変わり海苔巻き、7種」の章のこと・・:
”ネギオカカ巻き”のところで、「ネギをまるく囲んでモノトーンのシックな巻きものができました」と読んだら、すぐに自分も作りたくなった。
買い物に出かけなくても、うちにあるもので作れる。
ネギオカカ巻き、明太キュー巻きの2種を作った。
40年以上も前に買った、紅志野の大皿に盛り付けた。
あじさいの葉を敷き水色の花をあしらい、すこしおしゃれに見せた。
娘と孫たちがおいしい、おいしいと食べてくれた。
とくにネギオカカ巻きは(やすい材料でも)バツグンにおいしかった。
著者の店のオリジナルメニューとか。
元・橋本首相が この著者佐川芳枝さんの本を読んで、ご主人が経営する寿司店に おしのびで食べに出かけられた、という。(佐川さんのほかの著書で読んだことがある。)
なんともうらやましい話。
【写真】『・・・寿司屋のかみさん・・・「はじめての寿司教室」』
佐川芳枝著。2007.12.10.第1刷。青春出版社刊。@1429E.
さっそく作った、ネギオカカ巻きと 明太キュー巻き。
「これをつくるのに四苦八苦してます」と よく会話の中で使いますよね。
この四苦八苦ということばは、熟語として よく知ってるのに、こんな意味を持っているということは知らなかった。
「生老病死」(しょうろうびょうし)。
生まれて、老いて、病に倒れ、そして死んでいく。
これが「四苦」。
これに、
「愛別離苦」(あいべつりく)。 愛する人と別れる苦しみ。
「怨憎会苦」(おんぞうえく)。 憎い人と会う苦しみ。
「求不得苦」(ぐふとっく)。 求めても得られない苦しみ。
「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)。感覚の苦しみ。
この四つの苦を加えて、“四苦八苦”。
生まれて、老いて、死ぬこと。 時間は逆さまには流れない。
だれにも逃れることのできないということを、2500年も前から お釈迦様が言っておられるそうです。
皆さんは知ってました?これからは慎重にことばを使います。
瀬戸内寂聴著『老いを照らす』朝日新書を読んでいたら出てきたことです。
この本も読んでいると、「老いる」ということはこういうことか、と気づき、
「老いていく過程」を、もっともっと楽しもうと思わせてくれる一冊です。
【写真】瀬戸内寂聴・著『老いを照らす』朝日新書089・
(表紙の一部)朝日新聞社2008.01.30.刊・\720E
わが家の裏庭でゴーヤを育てるようになって10年ほどになる。
毎年5月のはじめに 苗を5株ほど植え付ける。
ことしも小さな実が付きはじめました。
2、3センチなのにもうゴーヤの形をしているので、思わず可愛いいと叫んでしまう。
毎年7月に入ると収穫がはじまり 9月の半ばごろまでに500~700個くらい採れる。
いつもカレンダーに 毎日書き付けて 数えている。
小エビとのかき揚げ、お浸し、チャンプル、つけもの、ジュース・・。
どんな食べ方をしても おいしい。
4月末から5月初めの連休どきに、ナス、きゅうり、ピーマン、トマト、ゴーヤなど夏野菜の苗を植えた。
きゅうりはエンドウの根元に重ねて植えたので、なかなか大きくならなかった。
ナスは冬野菜の肥料残りか、肥えヤケで葉っぱが茶色くなったり、虫に喰われたりした。でも、どうにか実がなるようになった。これぞ自然のみが出せる色。
ピーマンはまだ姿が小さいのに大きな実をつけて、つややかな緑色。
ゴーヤは真夏の野菜。まだまだこれから茎が伸び拡がる。
初採り時期の3種の野菜たちはピカピカで、見ていてもすがすがしい。
かごに載せて記念撮影。 はい ポーズ!
藤工芸の作品展を観に行き、自分もぜひ作ってみたいと思っていた。
体験入学させてもらう。
2時間ほどかけて、きょうは藤で20センチくらいの「かご」を編めた。
先生の作品は独特の個性が光り、どれも目を奪われた。
特に陶板と藤(つる)からできた作品はすごい。
わたしもいずれ、自分の陶器と藤つるで 作品を作るのが夢となった。
国道19号から中野方峠に向かって坂折の棚田に行く途中、不動の滝の売店がある。
やさいや弁当、五平餅など売っている。
食堂もあり、手作りの定食560円。安いし、近くの農家で採れた野菜で工夫された料理でおいしい。そしてなつかしい。
会員の女性が当番制で作ったり、店番されているようだ。
今回は五平餅を買った。5本で400円。
ゴマとクルミのたれがわたしの好みで、とてもおいしかった。
6月19日は誕生日。
はじめての孫も同じ日に生まれてうれしかった。
5歳の小さな孫は「お姉ちゃんと同じ日がお誕生日だから、同い年でしょう」と思っているみたい。 ちなみにそのお姉ちゃんは高校1年生。
60代も半ば過ぎになると、よく生きてきたと自分でも驚く。
今は主婦としての家事、孫の保育園の送迎、ボランテイア、趣味の陶芸、読書・・と、起きている間はすることがいっぱいある。
とりあえず今は健康である。
(かっこよく言えば)充実した日々を送らせてもらっている。
恵那市中野方の坂折棚田から、山道を車で40分ほど、八百津町の上代田棚田に着く。
この地、この町の関心が少ないのか、「日本の棚田百選」に選ばれた棚田への案内地図の道路看板も見当たない。
通りすがりに土地の人に場所や道順を尋ねても、場所を知らない人ばかりで、たどり着くのに大変だった。
(小さい声で)恵那・坂折のほどには、住民の関心やまとまりがないように感じた。
ここは跡継ぎ・人手が足りないのか、「やおつ棚田オーナー」制度が創られている。
田植えはとっくに済んでいて、力強く根を張る早苗がとても頼もしかった。
6月15日(日)。
梅雨の晴れ間に、恵那市の中野方川沿いの坂折棚田へ、早苗田を見に行く。
昨年の9月に、ここの棚田の話を聞いて早速出かけた。
そのあと 刈り入れ時と今回で、三度訪れた。
今日は田植えが済んだばかりで、風になびく苗の列はキラキラ光り、なんとも見事である。
いつもながらの景観を楽しみ、平地ではない水田の農作業や、その傾斜地に暮らす人の日々のご苦労も推しはかった。
ちょうど日曜日のせいか、つぎからつぎへと観光客が訪れる。
あずま家の休憩所には、ノートが置かれ、訪れた人が思い思いに自由に感想を書いていた。
失恋していやされにきた人、家族や友だちとドライブの途中という人、季節の移り変わりを楽しみに来る人・・など。
ノートを読んでるとその人たちの生き様のドラマが展開するようだ。
棚田から大げさに言えば人間模様がみえてくる。
逆立ちしたって作家にはなれない。
でも、こういう読み物は好き。
作家修業するには、柔らかな頭を持つ、発想の転換のできる人でないとできないそうだ。
このことは作家でなくとも、人として楽しく生きれる人はこういう性格の人だとおもうが・・・。
実現可能な範囲での中で書くことが当たり前の日常としていければ、わたしは作家でなくとも、ささやかな趣味として生きがいになる。
この本を読みながら そのように考えた。
【写真】『中高年からの最短作家修業』水野麻里著2008.3.10.初版 扶桑社刊
今日から月2回「竹紙教室」に通うことになった。
“地元の竹で竹紙を作ろう”と小学校に「竹紙工房」が設けられている。
講師の先生は、竹との付き合いは25年くらいになる。
「サライ」という雑誌に掲載された作家水上勉氏の竹紙を漉く記事に感動したのがきっかけで興味を持ち、自分で竹紙を漉き、竹工芸を作るようになった、と話された。
今日の作業は「竹を切り材料を仕込む」だ。
この春生長した青竹を使う。この時期を逃がすとできない。
長さ2㍍くらいの青竹を、節ごとに切り端の節は切り落とす。
輪切りの竹筒を木槌で叩き、3、4個の竹べら状に割る。
これを一年間水に漬け、竹の繊維を採りだせるように仕込む。
美しいものを作り出す裏には、何事でも大変な作業があるということでしょう。
竹のこぎりで切り落とすのは、慣れない作業だったが楽しかった。
**竹漉き、竹紙、絵手紙つくりなどこれからの流れの説明を受けた**
東京秋葉原の無差別殺傷事件では、本当に驚いた。
マスコミは仕事場での不満が引き金になった原因と言っている。
貝原益軒の人生でも、6年余りの浪人生活を強いられて、忍ぶ人生を歩む時期もあったと書いてある。
儒学者でもある益軒は、心の平安や精神のありよう(今様に言えばストレスかな)が、いかに大切かも教えている。
今も昔もいつの時代であろうとも、「人の生きよう」は変わらないということか。
人生に落ち込んでいるときは、益軒の本を読み、じっくり考えてみるのもよいと思う。
写真上】貝原益軒肖像(部分)元禄7年狩野昌運筆
『老いてますます楽し』P36本文挿絵ページの様子
【写真下】『老いてますます楽し・・貝原益軒の極意・・』新潮選書
山崎光夫著 2008.2.20.発行 ¥1100E 新潮社刊
山崎光夫著『老いてますます楽し』・・貝原益軒の極意・・
貝原益軒にとくに興味があったわけではないが、『老いてますます楽し』という題に惹かれた。
貝原益軒は江戸時代はじめの頃の人で、85歳の長命であった。
「・・人を恨(うら)み 怒り、自らほこり、人をそしり、人の小さなる過(あやまち)をせめ、人の言(ことば)をとがめ、無礼(むらい)を怒る(いかる)」ような人は、器(うつわ)の小さな人である。
「・・他人との比較でしか自分が存在しないとしたら、それは悲しい生き物である・・」と。
どれもこれも耳に痛い。
300年経た今も心に響く言葉であり、心しておきたい。
これを書かれた著者の、益軒への思いも伝わってくる。
若い人にも おすすめしたい本。
【写真】『老いてますます楽し・・貝原益軒の極意・・』新潮選書 山崎光夫著 2008.2.20.発行 ¥1100E 新潮社刊
2007年6月12日夜明け4時15分。
母は94歳で他界した。
今日 一周忌。
娘である私からみれば、
味わいのある、おだやかな、よい人生であったと思う。
軽い認知症になってからは、
私の兄が、実によく看護してくれた。
私は兄に感謝しているし、母も天国できっとそう思っていると想う。
ホタルブクロ。 蛍袋。キキョウ科の多年草。
むかし、捕らえたホタルを入れるのに、この花を袋代わりにしたということからついた名。
サツキの木の下に、毎年ひっそりと咲く。
何の手入れもしないのに忘れずに「えらい!」
赤紫色もあるが、うちに咲くのは白に近い淡紅色。
かくれんぼするもの 寄っといで~
わたしがお世話になっている“すぎ陶芸工房”。
この時期、みんなの“作品展”がことしも始まる・・。
“すぎ陶芸工房・作品展”
6月10日(火)~6月17日(火)
小牧市味岡市民センターで
(小牧市久保新町60)(Tel 0568-76-7000)
手びねりの創作人形が好きな人、上絵付けの花びん、焼き〆めのオブジェが得意な人・・・。
個性の光る作品ばかり。 きっと見ごたえがあります。
5歳の外孫は男の子。 車で30分ぐらいのところに住んでいる。
母親に連れられてときどきやってくる。
きょうは車からタモ網を持って降りてくる。 生き物が大好き。
このごろはおじいちゃんと田んぼにカエルを捕まえに行くのが楽しみで来る。
きょうも田んぼから、体長10センチくらいと5センチくらいのを持ち帰ってきた。
自分の「うちへ持って帰る」という孫と、「絶対にうちへは連れて来ないで!」という母親と揉めている。
「カエルさんも夕方になって、家へ帰りたいと泣いているから、田んぼの川へ返そうか」と、祖父のひと言で無事決着。
ミニの花器・花びんが焼きあがった。
大は高さ6.5cmから小は2.5cmまで15個を焼いた。
17個作り、2個は形がよくないので焼かなかった。
土は残りものをいろいろ混ぜたので なんともわからない。
志野釉をかけたら、真っ白ではなくすこし水色っぽくなって、気に入った。
一番小さいのは高さ2.2cmで可愛い。(焼成後は1割5分ほど縮む)。
これでも水が入り花びんの役を果たしてくれる。
ずらりと並べて、自分でもよく作ったなあと、自然に笑いがこみあげてくる。
庭の片隅に 半夏生の花が咲きました。
「半夏生」・・・ハンゲショウ。
夏の半ばに花を咲かせるからだ、ということと、
葉の片側だけが白粉(おしろい)を塗ったようにしろくなるから、半化粧ともいわれるようだ。
ずいぶん前に 野草花の好きな友人から一株分けてもらい、その後ずーっとこの時期になると楽しませてもらう。
これを見つけた別の友人が「これ、葉っぱの半分が白いよ。病気?」と言った。
ドクダミ科といわれるように すこしドクダミの花に似ているかも。
葉の色の変化していくさまがきれいで、切花にせず、庭で眺めるのがよい・・。
わが家に梅ノ木が一本ある。
きのう 青梅6.5kg採れた。
毎年のように 2kgぐらいは梅酒を作る。
残った青梅で今年は梅ジュースを作る。
青梅2kgに 砂糖1.5~2kgの割り合いで。
・ 青梅は24時間冷凍しておく。
・ 広口びんに青梅と砂糖とを交互に詰めて密封する。
・ 冷凍されてた梅が解凍しはじめたら、
時々びんを揺り動かして砂糖を溶かしきる。
・ 冷暗所に置いて 10日で 出来上がり。
さて 今年はどんな あんばい(塩梅)(按配)かな・・。
そろそろ青梅を採らなければと二、三日前から気になっていた。
生垣の片端に一本だけだが梅ノ木がある。植えてから10年ほどになる。
手入れも余りしないが、ことしはよく実がついてずいぶん収穫があった。
量ってみたら一粒30g平均の大きさで6.5kg採れた。
さて、何に加工しようか。
ホワイトリカーと氷砂糖は要るかな・・。
陶芸家・水野双鶴(みずの・そうかく)氏作の 「練り込みの皿」がある。
茶席で使う菓子器の大きさ。
氏は「練り込み技法」で瀬戸市指定無形文化財に指定されておられたが、1977年に84歳で逝去されている。
どうして、いつ、わが家にきたのか、全然おぼえていないが、亡き父から貰ったものだと思う。
木箱には略歴にしおりと、亡くなったときの新聞の訃報記事の切り抜きを入れてある。
練り込みは好みではないが このくらい抑えた色と分量なら きれいでいいなあ。
ときどき出してきて、お菓子を盛ってながめている・・。
【写真】水野双鶴氏の「練り込みの皿」」
6月1日夜、テレビをつけたら「久米宏!経済SP“新ニッポン人現る”」を放映していた。
“お金を使わない若者”をインタビューしていた・・。
25歳の青年の場合、月に17万円の月給のうち5万円が家賃。食費は一週間で平均2671円だそうな。預金は毎月数万円はするという。
なんのための預金か?とたずねたら、「しいていえば老後の為だ」という。
野心や、でっかい夢を追っかける若い人はいないのか・・。
こういう若い人が増えたという。
ゲストの中年紳士は「借金は若いときしかできない。借金してでも車を買うとか、海外旅行に行くとか、しないのか」と嘆いていた。
真面目というか、こんな小じんまりした人たちばかりになってしまったら、
わたしは日本の将来が心配・・。
6月1日は「更衣の日」。
衣服を夏物に改めること。
一番わかりやすいのは女学生の制服(セーラー服)の変わりようだった。
わたしの頃は校則で、5月の暑い日でも、紺のセーラー服しかだめだった。
いまは孫たちを見ると、5月でも白い夏のセーラー服を着て、
衣更えの日というよりも その日の気温に合わせている。
この時期、蛍も飛ぶ。
わが家のすぐ近くにも、ホタルが毎年飛んでいるところがあり、よく見に行く。
ホタルの光は求愛の信号とか。
わたしは、今年ももう半年過ぎてしまった、と思う。
知人(C.M.)から「創作人形展を見に行きませんか?」と声をかけられた。
その場の説明では、創作人形?・・実はよくわからなかった。
とにかく人形は好きなほうなので、出かけた。
会場へ一歩入って、びっくり???!!
C.M.さんの紹介です、と係のかたに話したら、作者の先生が説明してくださった。
人形は、のりと桐の粉を混ぜて耳たぶの固さの粘土状にしたものから、形を造る。
頭、腕、胴、脚などを、球体関節・三つ折れの技を組み合わせて身体ができる。まるでカラクリ人形の造りだ。
胡粉(ごふん)で色を付け、顔を描く。
古布やアンティークのレース地などで作って、服を着せる。すべてが手作り。
高さ15センチの抱き人形から高さ120センチの日本人形までさまざまな大きさ。 40余体(点)がずらり。
おいらん姿の人形は、着物、かんざしなど本物を人形の大きさに直して使われるという。
さぞかし骨董市、骨董屋を渡り歩いて集められたことだろう。
またガラリと変わって、イケメンの現代風男の子の人形などは、高齢者の私が見てもカッコいい。
こんな質の高い創作人形展は、なかなか見られないだろう。
人形の仕草、表情がそれぞれとてもかわいい。しかも美男美女揃い。
先生には、人形一人ひとりに名前(ニックネーム)を付けて欲しかった、と注文してしまった。
ぜひ見に行ってください。
【写真】「今木加代子 創作人形個展」案内状案内文。6月3日まで開催中。会場:マツザカヤ各務原ギフトショップ2階ギャラリー(鵜沼、R21号線沿い南側)TEL058-370-7711