今朝は、 Kさん、Cさんには、
帰る日だから 自由にふたりで過ごしますと話した。
朝、明洞(ミョン ドン)の有名な「粥」屋さんで、あわびの粥を食べる。 おいしかった。
新世界デパートと南大門市場(ナム デ ムン シジャン)で お土産を買う。
昼食はデパ地下で パンとコーヒーで済ませる。
アンパンを食べたが 本当においしかった。
このデパ地下で 回転寿司を 見かけた。
3時にホテルを後にして、仁川(インチョン)空港。
短い4日間だった。
結局はCさんの別荘のある加平(カピョン)へは、時間が無くてあきらめた。 ソウルのみの旅でしたが、充実していた。
27年前には「近くて遠い国」を、すべての事に実感できた。
今回は「近くて近い国」を 肌で感じた。
「日本の若い男女が ひと言もしゃべれないのに、韓国の街を歩いたり、買い物したりするのも、不思議に思う」と、友人Kさんは話された。
その日 午後には 友人が心配して雲峴宮まで案内してくれた。
雲峴宮(ウン ヒョン グン)は、朝鮮王朝末期の王室文化の暮らしがしのばれる所。 ここでは、もうひとりの友人Kさんが、ソウル市から任命されて 教育担当で働いている。
友人Kさんは儒道会総本部女性局長である。
自身もチマチョゴリを着て、今日は 幼児たちに王朝時代の歴史文化の体験をさせて居られた。
(夏用のチョゴリはモシで作ってあるので すずしい)
3時の終了を待って、そのあと一緒に 南大門(ナム デ ムン)・ロッテマートでお買い物。
そして 夕食は 海鮮チゲ。
すこし辛かったが、味がよく出ていて おいしかった!
きょうは 国立中央博物館に行きました。
(孫とふたり タクシーで)
2005年のときも 来ているのだが、展示の内容は入れ替わっていた。
日本の展示室には、日本人のボランティア解説員の女性が声をかけて下さった。
李家が日本に居たころ買い求められた美術・工芸品が展示されていて、それはすばらしい”お宝”ばかりでした。
解説していただいた方と、親しく話しをさせていただいた。
その方は御主人の仕事でソウルに住まわれていて、
この仕事が大好きだと言われる。
ほんのわずかな時間だったが 気が合って、
日本での再会を楽しみにしてます。
韓国2日目
朝食後 ホテルのまわりを散策した。
ホテルに友人のCさんが迎えに来てくれて、仁寺洞(インサドン)へ。
(骨董品や画廊、茶道具店、韓国茶専門の喫茶店、木工・金属・螺鈿漆器・紙工芸品など、古き良き香りに満ちた通り)
お昼には 韓国料理(ビビンバと海鮮チジミ)を楽しむ。
夕方近くになり「南山韓屋村(ナム サン ハノク マウル)」に、友人Kさんを訪ねる。
(韓国の伝統的な家屋がたくさん集まっているところ)
Kさんは 南山韓屋村でボランティアをされている。
チマチョゴリを着るなど、伝統文化を体験をさせる指導者のまとめ役で、いまでは、ここには週一回だけ来ておられるそうだ。
孫は チマチョゴリを着せてもらう。
友人は皇后様のチマを着て、ドラマで見る頭のかつらを着けて見せてくれた。
(わたしも勧められたが 遠慮した・・。)
中部国際空港を離陸する瞬間、いつもながら心がはずむ。
飛行機 大好き・・。
2時ごろホテルに到着する。
友人のCさん夫妻、すこし遅れて Kさんにも迎えられてうれしい。
ときどき電話では話しているが、実際に会うのは5年ぶり。
孫の希望で南大門市場(ナムデムン シジャン)へ買い物に。
若い子は 何を見ても欲しいものばかり・・。
夕食後 Cさん夫妻と別れてホテルへ。
夜、孫とふたりで明洞(ミョンドン)の街を散策。
屋台のお店が いっぱい出ていて、
見飽きないほど楽しい。
ホテルの部屋の窓から ソウルタワーが正面に見えて、
最高の景観でした。
韓国に行って来ま~す!
今回は6年ぶり。 わたしとしては めずらしく間が空いた。
孫(大学生)とふたりで韓国に行って来ます。
5泊6日の予定でしたが、チケットが取れなくて、
(こんなにも今、訪韓する人が多いとは うかつでした)
泣く泣く3泊4日の短期間。
(ソウルのホテルと 春川の友人の別荘に泊まる予定)
今回は 初めての韓国を楽しみにしている孫が中心になりそう。
わたしは 友人たちに会えれば満足。
正確には26年と10ヶ月前、初めて韓国を訪れた。
そのころは領事館へ行き、何所に泊まるのかを書き込み、ビザをもらわないと訪韓できなかった。
いまはお金の両替も、日本の片田舎でさえ、簡単にできる。
(しかも 土曜日、日曜日でも)
その前の年わが家に「お母さん交流」の一員としてホームステイされていた、黄さんから招かれたので訪韓。
彼女の家は大財閥で、ご主人は建設会社の社長さん。
それでも わたしは大切な友のひとりにしていただいた。
今でも訪韓の折りには連絡し、お会いする。
最近は腰が痛そうで 大変なご様子。
また お会いできるかなあ・・。
今夏は ゆかた姿の女性に多く出会った。
でも、下駄を履いて歩くのに慣れていないのか、
とっても歩きにくそう・・。
犬山城下町を歩いていたら、
鼻緒が 五本指が入るようになった下駄が売っていた。
楽しそうな下駄。
思わず「可愛い!!」
『 おひとり死 』 松原淳子・著
~誰にも迷惑をかけない最期を迎えるために~
「おひとり死」
このような言葉が目につく年齢になった。
「無縁死」とか「孤独死」のことばが新聞などで、毎日のように目にする。
著者はNPO法人SSSスリーエスネットワーク代表。
スリーSとは「シングル、スマイル、シニアライフ」の略で、
ひとりの人が最期まで楽しく安心して暮らしましょう という意味が込められているようだ。
日本の20年後は、国民の約4割が高齢者で ひとり暮らしという予測がなされているそうだ。
そうなれば「おひとり死」、誰にも看取られずに死ぬ人ばかりになる。
身元保証人は誰にするか、後見人は誰にするのか、延命治療はするのか、葬式はするのか、遺骨を誰に運んでもらうのか、遺産は誰にあげるのか、などなど。
いざという時のためにノートに書いておくとよい、とアドバイスもあった。
おひとりでも、おふたりでも、人は必ず死ぬ。
わかっているけど、生きているときに実践するのは難しい。
身体の老化は防げないが、”心”は自分次第でいつまでも若々しく居られる。
心の老化を防ぐために がんばりたいですね。
【写真】 松原淳子・著 『 おひとり死 』
~誰にも迷惑をかけない最期を迎えるために~
2010.10.30.初版発行。河出書房新社・刊。@1400e
8月の 藤工芸教室。
今日からあこがれの人形制作。
とりあえず スリムな女性の人形は難しいらしいので、
おじいさんを作ることにした。
まず、胴体から編み出す。
このところの猛暑は我慢できるが、
藤は濡らしても すぐ乾き、やりにくい。
下の写真は 何が何だか わからない。
来週はお休みするので、
来月となれば 何とか 格好がつくだろう・・。
ことしも市の特定健康診査を受けた。
毎年 LDLの数値のみが少し高い(薬を飲むほどではないが)。
ことしも例年とほとんど変わらず、特に問題は無いということでした。
メタボリックシンドローム判定も、「該当せず」で やれやれです。
高齢になるにつれて、あちこち気になることもありますが。
市の教育委員会主催の市民大学公開講座。
「大震災に備えて ~震災の教訓を未来へ~」
阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター 語り部
谷川三郎さんの講演を聞いた。
暑い時間だし、気乗りしなかったが、
日ごろ何にも備蓄していないし、経験された方の話しはなかなか聞く機会はないので、お聞きして来ました。
講師の方は元・芦屋市建設部長としてあのとき働いていた方。大震災のときは救命活動、復旧活動に大活躍されたようです。
被災時に役に立ったものベスト1.は懐中電灯、2.携帯ラジオだと。心しておきます。
日ごろから家族みんなで避難所を確認しておくことが大切なことだと言われました。
明日は我が身かも知れません。
非常落ち出し品を整え、非常時備蓄品も少しづつ備えておきます。
芥川龍之介・著 『 蜘蛛の糸・杜子春 』
(くものいと・とししゅん) 新潮文庫
高校の教科書で学んだ気がする。
その後 何十年も 芥川小説は 読んでいない。
隣り町の図書館主催の「大人のための読書感想文講座」に申し込みをした。
事前に「蜘蛛の糸」を読んで、その本を持参することと言われていた。
本書の「蜘蛛の糸」は芥川が最初に書いた(大正7年)、年少者のための作品。
これをこの歳になって、ふたたび読んだ。
短い文章(短編集)ですが、一行も無駄な言葉がない。
わたしなどが今さら なにもいうことがありません。
ただ、ただ尊敬です。
残念なことに この講座、申し込み人数が少なくて、
取り止めとなり、がっかりです・・。
博物館・明治村のお盆は、「宵まつり」開催中。
すこし早目の夕飯後、出かけた。
(わが家から車で5分ちょっとのところ)
駐車場へ入る車が並んでいて びっくり。
ゆかたを着ていると女性は無料なので、ゆかた美人がいっぱい。(男性は200円引き。通常:1600円)
広い園内に70近くもある、明治の建物、重要文化財もライトアップされて、美しく飾られている。
明治の時代の人が見たら、目を廻しそう・・。
8時半ごろ花火が上げられ、宵まつりは盛り上がる。
「ゆかた無料」「地元市民は半額」の効果は大きいですネ。
今朝テレビで「土と生きる日々」と題して、細川護煕氏の生活を放映していたのを観た。
先日どなたかのブログで、今年から京都造形大学の学長さんになられたということを知った。
わたしは2008年に三重県のパラミタミュージアムで「細川護煕~数奇の世界展」を拝見した。
そのとき陶芸だけでなく 漆工芸にも腕をふるわれた作品があり、心奪われた。
とくに「さくらんぼ」という作品は、カンバスに漆でさくらんぼを描かれたもの。
書も 水墨画もプロ。 多才にびっくりした。
なにより すべて愉しんでおられるのだ・・。
奥様は、氏の生き方を「文武両道です」と語っておられた。
まさに そのとおり、お見事!!
6月の なかばごろ、雑誌(会員あて機関雑誌)の投稿欄に、わたしの原稿が掲載された。
その折に、記念のギフトカードを送付するという手紙が届いた。
7月が過ぎようとしても 届かない。
このような時どうすればよいのかわからない。
相談した人は「歴史もあり、大きな会社だし、間違いないから、もう少し待て」という。
8月になってもまだ届かないので、請求することにした。
(こんな催促はいやだなあ と思いつつ・・)
担当の人(女性)は、社内で仕事が進んでいなかった事実が起きていたことに驚かれたようで、すぐに送付手続きが終わり、お詫びの手紙とギフトカードが送られて来た。
・・が、なんだかすっきりしませんでした。
こんな小さなことからも、信頼を失うことがあると思う。
何事も ていねいに 心配りを忘れずに、と自分にも言い聞かせました。
お盆の期間、明治村は 夜9時までナイター営業。
花火やコンサートなど イベントが盛りだくさんあるそうな。
ゆかたを着ていくと、入場無料。
高校生の孫は 友人とでかけた。
ゆかたを着て、帯はインターネットを見ながら自分で結んだ・・。
「いかがでしょう?」
「まあまあ きれいにでき上がった」
最近 よく すいかをいただく。
スイカは果物と思っていた・・。
農林水産省ではスイカを「果実的野菜」として分類しているそうです。ちなみに「イチゴ」「メロン」も、だそうです。
野菜と果物の違いは、樹に実がなるものが果物、そうでないものが「野菜」。また、種が食べられるものは野菜、食べられないものは「果物」。
わたしは小学校6年生のとき、腎臓を患った。
一ヵ月学校を休んで、家で寝ていた。
そのとき 冬なのにスイカを食べると良い、と医師からすすめられ、よく食べさせられた。
それ以来、スイカは食べたくなくなった。
家人や隣りに住む孫たちは、
「 ことしのは美味しい! 」
坂本すが・著 『 看護師の仕事につきたい!』
~命を救う看護のプロフェッショナル~
・・・教えて先輩!私の職業シリーズ・・・
孫のひとりが看護師をめざしている。
あいにくわたしのまわりには看護師がいないので、どんなものかと わたしが先に読んでみた。
著者は東京医療保健大学・大学院看護学科学科長・教授という肩書を持つ女性。
なぜ看護師という職業を選んだのかというきっかけから、看護師という職の人は 何をするべきかということが描かれている。
もっとも感心したのは、看護管理者になられた時のこと。
看護婦長の仕事は、患者さんに提供する看護の質をいかに高めていくか、ということに気づかれた。
そのために広い視野からとらえ直すのに、青山学院大学の経営学部で学び直されたこと。
ほかの人たちも、そんな深い考えを持つ人も多いと思うが、実行には勇気が要る。努力も要るのに、やり遂げられたこと。
孫に プロの厳しさを知ってもらいたいので、
ぜひ読ませたい一冊・・。
【写真】 坂本すが・著 『 看護師の仕事につきたい!』
~命を救う看護のプロフェッショナル~
中経出版・刊 2011.7.6.第1刷発行@1200e
用事があり 隣り町の図書館へ行く。
この市は1991年に「冬ソナ」がきっかけで、
韓国・春川市と姉妹提携し、日韓親善協会が発足。
余分なことだが冬ソナのロケ地:春川は何度も訪れているので、わたしにとっては とりわけ 思い入れのある地。
「都市おこし」のためにキムチを特産品にしている。
図書館も「韓国に関する本」のコーナーがあり、
さすがですね。
韓国大好きなわたしは、自分でもいろいろ持っているが、
ここはめずらしい本もそろっていて、
わくわくして 見てきた。
小学校2年生の孫娘のピアノ発表会。
ちょっぴり はずかしがり屋で消極的なところもある子なので心配でした。
それでも、真っ白なドレスも用意して、楽しみにしてました。
10番目の出番。
間違うこともなく しっかりと最後まで弾くことができ、
本人も親兄弟も ほーっとした。
知人のご主人も出演された。
病後のリハビリのために習っていると言われ、立派な こころがまえだと感心した。
ことし第8回木曽川学セミナー:
「万里集九の江戸と鵜沼」
講師:岐阜大学教授 森田晃一先生
1428年生まれの漢詩文学者・万里集九の話しである。
江戸に生まれたが 平安の京都で学ぶ。
応仁の乱期には都を離れて、近江、尾張、美濃(鵜沼)で寄寓を重ねた。
その後 5年間ほど江戸城主の太田道灌に召されるも、
晩年は鵜沼に戻り「梅花無尽蔵」という庵を構えた。
同名の漢詩文集「梅花無尽蔵」全7巻を編み、
1451首の漢詩と、雑文(散文)111編を遺している。
先生は八曲一双の「江戸名所図屏風」のスライドを映しながら、1485年ごろの名所、庶民の暮らしなど江戸の様子を説明された。
江戸には神田川、隅田川や まちなかの川(運河)の風景が描かれている。
それに較べ、鵜沼は 北は山が豊かで、南は大きな川(木曽川)。
春、雪解け期には 大きくもきれいな波が形作られ、それは見ていて飽きない風景がある。
木曽川流域は、こんなにも多彩な環境で 豊かな文化が育ってきたことを 教えて下さった。
今年も 十六ささげが収穫できる季節。
九州出身の女性が「えっ 何 これ?」とびっくり。
わたしは どうして驚かれたのか わからなかった。
十六ササゲは愛知県の伝統野菜という。
さやの中の豆が16個あることから「十六ささげ」と名づけられた。
一番長いのは 49cmもあった。
わが家では、さっと茹でて、
しょうが醤油をかけたり、ゴマ和えにしたりします。
昨日は かき揚げにした。
夏の食卓には 無くてはならない野菜である。
クロワッサン最新号「食べて痩せる、夏ダイエット」特集を買いました。
買ったから痩せるとは思わないけど、近ごろまた よく食べるので、1~2kgリバウンドしたかなあと心配している。
わたしは年齢的にも、それほど痩せることはない身体になった。
悪玉コレステロールだけが 少し減ればよい。
「間食は食べるな」という説、「しっかり食べて痩せる」説、
「朝 ジュースで減量」説など。
正直に申せば、何を信じてよいのか迷う。
これだけダイエットの本が売れてるのは、どれだけ読んでも痩せないということですね。
わたしはこの本も読んだりして自分も含めて家族の食習慣を見直せたら充分だ。
絲山秋子著『豚キムチに ジンクスはあるか』を読んで、一番おいしそうで簡単な「力(ちから)パスタ」を作ってみた。
フライパンにバターを溶かし、「もち」を焼いておきます。
同時にパスタを茹ではじめる。
茹であがったパスタに、イカスミソースを混ぜる。
皿に こんがり焼いたもちをのせ、その上にイカスミソースをかけます。
絲山さんは「他人が作ったら こんなおそろしいものを食べない」と書いている(自分で作るから好んで食べる)。
わたしはふたりの孫たちと食べたが、おいしかった。
食べ終わったら 三人とも お口の中が真っ黒で、大笑い・・。
わが家の地域も 桃の産地。 今が旬。
どんな種類かわからないが、
桃農家の軒先でも 販売されている。
桃は傷みやすく、すこし傷がついても商品にならないそうだ。
そんな 少々難あり だと、半分くらいの値段で買うことができる。
家で食べるのなら と、よく買います。
カテキン類が含まれ、がん予防、老化防止によいと聞いた。
・・どんどん 食べなくては・・。
午前中は、
県会議員の方から、東日本大震災のボランティア報告を聞く。
また、ロープワークをしたり、新聞スリッパを作ったりする。
昼食は 恒例の 流しそーめん。
何年目かになるのでスタッフももうベテランで、うまく運ぶ。
子どもは「テレビで見たことあるけど、流しそーめんって たのし~い!」と大はしゃぎ。
午後は ワークショップ(班ごとで行動)。
ここは わたしも出番・・。 工作コーナーで陶芸遊び。
粘土で「猫づくり」。
低学年が多く、一度に10人づつ教えるので てんてこ舞い。
10匹10色というか、表情豊かな「猫」が出来上がった。
エンディングセレモニーは、全員で輪を作り、
「さようなら」をしました。
「 子どもワールド ミニキャンプ 」
~ 世界はみんな友だち ~
ボランティアのひとりとして 手伝いをした。
子どもは 外国人、日本人合わせて90名近くも参加。
ことしは高校生、大学生もスタッフとして、ボランティアをしてくれた。
「ワールドコンサート」は、
南米の民族楽器演奏、コロンビアのダンス、和太鼓、フラダンスなど、にぎやかに幕開けした。
わたしは そのとき料理体験プログラムの下準備係。
ペルーの人は 焼き鳥を、中国の人は ぎょうざ、韓国の人は チャプチェとトッポギを作る。
日本料理は 巻き寿しを作った。
子ども90人が3つのグループに分かれ、
7mの長い長い巻き寿司作りに挑戦。
総勢150人ほどの 大交流会でした。