たった一人の兄が亡くなった。
半年ほど前から体調が悪く入退院を繰り返していた。義姉から「また一度会いに来て」と連絡が来た。そのときは、きっと兄は「遠いのにたびたび来なくてもいい」と強気に言うだろう、と思っていた。
病室に入ると点滴を受けており、胸のあたりがぜぇぜぇと音がして苦しそうに見えた。手の甲、足の甲と脛(すね)は腫(は)れて、指で押すと戻らずそのまま凹んだ。腎臓が働いていない。額に手を載せると「冷たくて気持ちがいい」とつぶやく。声をかけると「遅かったなあ」と言う。こんな返事が返って来るとは思わなかった。病室を出ると弟と夫が「弱ってきたねぇ」「あと一週間かなあ」と。
八日後、死を迎えた。葬儀屋さんにせかされるように、段取りよく兄は居なくなってしまった。
私より六歳上なので一緒に遊ぶことはなかった。小学生のころ、いたずら坊主で、よくクラスの女の子を泣かせ、掃除当番をサボっていたそうだ。「また学校に呼び出されて注意を受けた」と母がぼやいていた。親の反対にもめげず、好きな窯業の学校に行った。それでも結局は父の家業を継ぎ、順調に商売を拡げ、従業員と家族を守り、周りから慕われていた。
葬儀後、家族や親族それに親友らで会食。
酒が入ると上機嫌になり、なんでも人にあげてしまう、という話題で盛り上がる。いとこから「よくカラオケで歌っていたよ」と聞かされた。私や弟は「兄が人前で歌うなど知らなかった!」兄の子どもたちも知らないという。独身時代に兄はギターを弾いていた。私が寝る頃になると弾きはじめるのでうるさくてねぇと話すと、親しかった人も「そんな一面もあったのかぁ」と不思議がった。
昨年の暮れ、私の作陶する小さなお地蔵さんが欲しいというので届けた。「だれにも遣(や)らないで家(うち)に飾っておくから」と先廻りして言う。亡くなったあと、兄と親しかった人から「かわいいお地蔵さんを貰ってねぇ」と聞いた。「人のうれしそうな笑顔を見るのが好き」と兄はよく言っていた。家業もよい時代に恵まれ、好きなことができ、幸せな人生を終えた。
妹の私からは「ま、いいか」と思えてきた。
(おわり)
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