これも中津川へ行ったときのこと。
友人が 蔵を使った 喫茶店があるから、一度行ってみたいと言っていた。
中の雰囲気もよく、器もよし。
何年振りかに出会ったメニュー、「コーヒーぜんざい」をいただく。
お庭も手入れが行き届き、さつきは ちらほら咲いていた。
きょうは藤の花が満開でした。
こしあぶら。
「山菜の女王」と言われ、最近 人気という。
冷涼な峰地などを好み、自生地も限定される。
20㍍ほどの高木となるので、採取はむつかしい。
知人宅で 天ぷらでいただいたら、とってもおいしかったので、中津川で3パックも買ってきた。
たけのこも 生のまま揚げてもやわらかい。
山菜独特のほろにがさも 春ならではの味。
さあ、今夜は山菜の天ぷらです!
昨夜は築200年という古民家ギャラリーに泊めていただく。
ここの女主人とは1年前に一度、今回二度目の出会い。
すっかり仲良くなり、次回の約束までしてしまった。
台所などの水廻りは さすが 改造改装されて、現代ものと変わらない。
15部屋あると言われるだけに広い。
柱も太くどっしりとして、座敷にはまわり廊下がある。
その頃の家としてはかなり立派だったと思う。
「うさぎ追いし かの山・・」 つい口ずさみながら、
近くに見える、新緑に囲まれた山々の景色は、いつまでも見飽きなかった。
中津川市落合宿で、知人の親しい人が、築200年という古民家を一部改装して「ラボラトリー ギャラリー」を 開いておられる。
店主の織物、息子さんのシルバーのアクセサリー類その他ガラス、陶芸、バッグ等、選りすぐりの手作り品がいっぱい並んでいる。
どれもしっくりと旧い建物に溶け込んでいる。
いちばん感心したのは、店内のところどころに花が活けてある。
野の花が、花器もそれぞれ工夫され作品を邪魔することなく、ひっそりと、それでいて存在感があって、美しかった。
知人宅のお庭を拝見させてもらった。
春のお花畑の中に、陶人形が置いてあった。
土の色だけのシンプルなもの(背丈23cm)
あまりに可愛いので 記念撮影。
わたしも あんな陶人形を作ろう!
わが家の庭は ひつじとたぬきしか居ないので・・・。
「日本のかぼちゃ」は40年ほど前は主流であったが、今は食生活の洋風化で「西洋かぼちゃ(栗かぼちゃ)」がほとんどだとか。
いままで食べられなかったのに、60歳過ぎてから食べられるようになったのにかぼちゃがある。
単純な理由である。
女優の岸恵子さんは「日本のかぼちゃはおいしいので、パリに帰るとき持って行くの」と何かの記事に書いておられた。
彼女の書かれた本もほとんど読んでいるし、好きな女優さんなので、「わたしも食べてみるか」となったわけ。
わたしが料理しなかったせいか、娘たちもかぼちゃをあまり食べない。
いまでは ときどき煮物などで食べる。
煮るとき 仕上げにバターを入れるとおいしい。
隣の家に住む孫の、保育園の送り迎えをしている。
いつも にこにこして出てくる。
最近 気付いたこと。
孫が「先生 おはよう」「先生 さようなら」とあいさつすると、
担任の先生は必ず「○○ちゃん おはよう」、
「さようなら ○○ちゃん」と名前を言われる。
これって小さなことだけど、
自分だけに向かって言われることって、すごく大切だなぁ。
さっそく母親に報告する。
「○○ちゃん、いい先生でよかったネ」と言っていた。
「保育園 たのしーっい」らしい。
八重桜。
里桜とか牡丹桜とも呼ばれる。
明治村近くにある八重桜は 今が満開。
鈴なりの花をいっぱいつけていた。
一本の木なのに、うすい色と濃い色の、
二種類の色の花が咲いていた。
八重桜は種類が多いと聞く。
咲き終わるとゴールデンウイークが待っている。
私には関係ないが・・。
誘われて名古屋に買い物に行ってきた。
中心街・栄町あたり 東急ハンズで 桐の花台。
地下街で 服と日傘、夫のワイシャツと孫たちの靴下などを買う。
どこでも手に入るものだが、なんとなく町に出て買い物して、
都会の雰囲気を味わうと新鮮な気分になる。
いくつになっても、元気に出歩くことも大切だと思う。
何十年前 毎日のように栄町を歩いていた頃とは、空気もちがう。
ランチは アーバネット名古屋ビルブロッサの「豆家茶寮」。
堀りごたつ席個室で 落ち着いた席。
豆腐は 愛知県高浜産の豆を使用しているとかで、
汲み上げどうふ御膳、とっても 美味でした。
朝市で 朝採りの たけのこを、2本買った。
さっそく皮をむくと 半分くらいになるので、
圧力なべで ゆでた。
新鮮なので、刺身で食べたら 風味がよかった。
「タケノコご飯」が好きな孫がいるので、喜んでくれた。
残りは 明日 ワカメと煮ようかなぁ。
おいしい料理とは、季節の素材を生かして、
シンプルに 作るに限る。
「鉢カバー」を作陶した。
黒ミカゲの土に、弁柄で少し模様をつけた。
藤で手を付けたら、少しは 見栄えがした。
知人が「苔玉」を置き、まわりに石を置いて、
コーディネートしてくれた。
ゴールデンウイークが近づくと「さやえんどう」が採れる。
花は 赤い花と 白い花の両方だが、
どうちがうのか よくわからない。
ことしは、種まきを早く蒔いたか、気候のせいか、
もう 食べられるように育った。
花はつぎつぎと咲き始め、なる時季も短いので、
えんどうの収穫はいちどに採れる。
一時季は 毎日のように食卓にのぼるので、
孫たちには 飽きられます。
卵とじ、野菜炒めにも おいしい。
緑の鮮やかさ ほんのり甘く歯ざわりの良さが魅力の野菜。
花壇の片すみに蒔いた 三つ葉が、ものすごい数で出てきている。
いちど蒔いたら 何年間も、次から次へと出てくる。
グリーンアスパラも、食べられる大きさになってきた。
「春の野草(野菜)には、人間の生理代謝に欠かせない成分がバランスよく含まれていて、冬に溜め込んだ老廃物などを解毒してくれる」という。
・・・料理研究家の辰己芳子さんが よく言っておられる。
自然界というのは、本当に「すごい!」と思う。
きょうは藤工芸のおけいこ日。
先生に頼まれていたものを忘れないように!と、そればかりを気にしていた。
朝、ゴミ出しの日でもあり、バタバタして9時前に 出発。
到着して、さて 材料と 作りかけの作品の入ったカバンを探したが 無い!
うちの玄関から、車に載せた覚えがない。
なにをしてるんでしょう・・ わたしはがっかり。
先生は、じゃあ こちらを先にしましょう・・と とりなしてくださった。
Photo////// 090416-1110-0001 「じゃあ こちらを先にしましょうか・・」とやさしい、藤工芸教室の先生
浜 美枝・著 『 私の骨董夜話 』
(人との出会い、ものとの出会い) リヨン社・刊
この本を読むのは 2回目。
女優としての浜 美枝さんは どんな仕事をしているか、まったく知らない。
映画も観たことが無い。
わたしの知る浜 美枝さんは、骨董蒐集家としてである。
うらやましい才能というか、美を見る眼の確かさに驚く。
本書に出てくる数々の骨董は、いずれも一流品ばかり。
浜さんは、宝の持ち腐れでなく、使用して生かしているところは えらい。
【写真】浜 美枝・著 『 私の骨董夜話 』(人との出会い、ものとの出会い)リヨン社・刊 2005.4.5.初版発行 発売:二見書房 @2300e
わたしは花器、それも鶴首が大好き。
いっとき鶴首ばかり 練習していた。
いまは洋風の家が多くなり、花器もかわいい変形のものが似合う。
きょうは 新作を 2点。
ひとつは、ケーキの函の横を切り取って、型紙にしていて、
後ろ側に小さな筒状の器がくっ付けてある。
これに水を入れて、花を活けられる。
もう一方は、あるコーヒーショップのトイレにあった、
小さな花びんからヒントを得て、自分なりに作ってみたもの。
きれいな花を入れるので、
焼き〆にしようかなぁ・・。
うつわのみせ「大文字」店主 内木孝一・著
『 内木孝一の 一生使える器選び 』 講談社・刊
「ご飯は左、汁は右」に置くもの。
これは主婦なら誰もが知っている。
だが、どうして・・ということは、わたしは知らなかった。
これは鎌倉時代半ば、道元がお坊さんたちに向けて食事作法を説いた「赴粥飯法(ふくしゅはんぽう)」という本にも書かれているとか。
ご飯が左とされたのは、日本では左の方が尊ばれたから。
主食であるご飯の方が、格が上。
そこでご飯が左、汁は右となった。
本書は京都の老舗陶器店主・内木孝一氏が、
盛り付けやテーブルコーディネートのこんなポイントまで教えてくれる。
器好きの人には うれしい本。
【写真】「うつわのみせ 大文字」店主 内木孝一・著『 内木孝一の 一生使える器選び 』 講談社・刊 2008.8.28. 第1刷発行 @1400e
市内に住む外国人に日本語を学んでもらおうと、支援がはじまっている。
わたしもボランテイアで お手伝いをしている。
何年か生活していると、「話すこと」はできるようになるが、
「読み」「書き」ができない。
この日わたしが受け持ったひとたちは、全員「日本語はむつかしい」と言っていた。
がんばって 勉強してネ。
隣町の図書館にも ときどき 行く。
人口が多い市なので、本の数も多くそろっている。
市外の人も身分証明書があれば利用できる。
書棚の端、通路面の表示板に、おしゃれな陶板がはめこんである。
このまちには、書道の大家として有名な小野道風(日本三蹟のひとり)の生家がある。
陶板絵には、道風と垂れた柳に飛びつく蛙の姿の構図もあり、どれもこれもみんなかわいい。
図書館も粋なことを 見せてくれます。
もちろん、係りの人の許可を得て、カメラで写しました。
【写真】図書館書架 通路側案内標識のデザイン。春日井市立図書館にて、許可を受けて撮影しました。
若いお母さんたちから「陶芸を教えて・・」と言われて、二年ほどになった。
はじめたころ、おなかの中にいた児が、いまは二歳近くになり、
お母さんのそばで、一人前に土で“作品”を作っているのが、可愛いい。
幼い子どもにも 土の感触は心地よいのかなあ。
教室が終わるころは 母親たちが夢中で、
子どもたちはおやつを与えられ、おとなしくさせられている・・。
風が吹くたびに ひらひらと花びらが舞う。
サクラは川の土手に植えてあるものが多い。
川の水面に落ちた花びらが寄せ合って流れていくさまを、
いかだ(筏)と見立て、はないかだ(花筏)ということばになった。
花筏という同名の花の木もある。
うちの近くの川でも、きょうあたり
ゆっくりと花筏が 形を変えながら、いくつも流れていく。
眺めていると 美しく、ほのぼのとしてくる。
一年に一度の風景を 楽しむ。
過日、おめでたいことがあった知人から、紅白まんじゅうをいただいた。
静岡県磐田市の「又一庵」という和菓子屋さんのもので、
皮が薄く、上品な甘さで、とてもおいしかった。
紅白まんじゅう(饅頭)は、「結婚に際して贈り、子孫繁栄(ハレの人生)を願う」のが由来らしい。
室町時代に渡来した林浄因(りんじょういん)が大きな石の下に埋めた。これが「饅頭塚」として、奈良市は漢国神社(かんごうじんじゃ)のなかにある林神社(りんじんじゃ)に残されている、とか。
今日、祝い事に紅白まんじゅうを配る習慣は ここからきている、ということでした。
裏庭の八重桜がほころびはじめた。
サクラの塩漬けが作りたくて 植えてから、
かれこれ10年近くになる。
花は 咲いてしまうよりも、5分~7分咲きのころに採り、塩漬けにする。
水が あがったら、白梅酢か赤梅酢に漬けて冷凍しておく。
冷たいご飯の上に ひと花乗せて、チーンとしたら、
サクラの香りのする ご飯が食べられる。
青みがかった高山の渋草焼の茶わんが よく似合う。
一日3回の食事。
少しでもおいしく食べる工夫を、いつも していたい・・。
2年ぶりに いとことランチしたあと、雑貨屋を訪れた。
チャチだが色のよい棚があったので、「これ買うわ」と言ったら、「止めときなさい。(彼女のご主人に)作ってもらってあげるから」と言われた。
10日後。 本当に 材料と道具を持って現れ、
「あれよ、あれよ」という間に出来上がった。
わたしは組み立て式の棚を 望んでいた。
作るほうは仕上げて造り付けだと思っていたみたいで、
手違いはあったが・・・・。
材料代と手間賃は、ランチをご馳走して、オワリ。
実家の近くに用事があり、ついでと言っては申しわけないが、
両親のお墓参りにも行った。
菩提寺にも納めて在るので、遠い墓には行きそびれ、久しぶりだった。
昭和のはじめに建てた旧いもので、まわりの木が伸び、墓そうじにも手間がかかった。
きょうは思い切って行って、きれいになって よかった。
帰宅すると、わが家の前は サクラ並木のソメイヨシノが満開でした。
一年中で 今日が一番 美しい日かな・・・。
この人ほど いくつになっても夢を見て生きている人もないと思う。
本書を読んでいると、知性的な内容だが、
つい スヌーピーや人形に話しかけている、夢見る乙女が想い起こされる。
幼い頃から、人形はもとより小石や木切れまで使って(空想の世界で)会話させたり動かしたりするのが好きだったというから、
今(小説を書く)は その延長の世界だろうか。
作家生活40年。単行本 250冊。
驚くべき数の著作に 目を見張る思いである。
食卓で何かと 出番の多い小皿。
10cm角の皿を 16枚作陶した。
器としては小さいので 収納の祭かさばらない利点もあり、
いくつもほしいものです。
シンプルに花びらを 2枚描きました。
さて どんな風にできあがってくるのか 楽しみ。
夕飯のおかずを作りすぎたとき、
あしたも同じものを食べたくない。
そんな折り、どうしますか。
わが家では、牛すじ肉の煮たものは、
翌日、カレーに混ぜます。
これは 絶品です。
さらに余ったら、みそ汁にひとさじ入れる。
あれっ!と思う。思いがけない味わい。
カレーが好きなら、試してみてネ。
きんぴらごぼうは 多目に作り、翌日、かき揚げにする。
味が滲みているので、何もつけなくてもおいしい。
何十年も料理を作り続けても、まだまだ発見があり、
料理つくりは楽しい。
わが家の前は、サクラが五分くらい咲き出した。
ほとんどの人は「わあ きれいね」と上を見上げている。
ソメイヨシノは寿命60年といわれている。
かなり古木で、大きなサクラの 幹の下の方に、
小さな芽が出て咲いている。
地面から40cmくらいの高さである。
あまりの可愛さに「パチリ」と写真を撮ってあげた。
皆さん、上ばかり見ないで、気がついてくれるかしら。
日経新聞(3.30.)朝刊の「春秋」欄。
「昨年9月に佐渡で自然に放たれたトキが、雄はすべて佐渡に留まっているのに、雌は全部本州に渡り、離れ離れになってしまったそうだ。・・行動がこうもはっきり分かれたのには わけがあるにちがいない・・。」
ここまで読んだとき、
今の人間社会と同じではないか・・、
男の子が気が弱いというか、女性とコミュニケーションがとれなくて、結婚活動(婚活)のために花婿修業をするなどの社会現象と。
こう思いめぐらしていると、
「男女交際の大切さを説いた福沢諭吉」が「動物でも雄、雌、両方が居てこそ楽しい」と書いている、という。
ひと(人)もさまざまだが、おひとりさまで人生を終わるのは 味気ないのでは、と老婆心ながら思える。
【写真】日本経済新聞1面「春秋」欄。2009.03.31.付け。