友人とふたりで、関市百年公園近くの 知人宅を 訪問。
その前に昼食を、と以前訪れたところ「つばき茶屋」に行く。
土間が板張り床の店に 変わっていた。
以前のオーナーさんが高齢になられたので、ほかの人によって経営されるようになったとか。
天井や内装は ほとんど同じで、「和のしつらい」が相変わらず落ち着いた雰囲気で、わたしの好みです。
ランチ(写真を撮るのを忘れた!)も おいしくいただいた。
今度は若いオーナーさんですが、話しやすく感じのよい方でした。
( 和みカフェ&工房「つばき茶屋」)
( 和みカフェ&工房「つばき茶屋」)
小学生の孫は、日頃 平日の昼食は 給食で。
遠足や運動会の日は お弁当が楽しみらしい。
母親に「明日は キャラ弁(キャラクター弁当の意味)にしてね」と頼んでいる。
今朝、孫がわたしに「見て!見て!」と。
お母さん、朝 いそがしいのに がんばったねぇ。
昔 日の丸弁当。 現代はキャラ弁ですか・・。
この本を読んだのは 1998年だから、もう12年。
その頃には ベストセラー。
マスコミによく取り上げられていた。
二、三日前 テレビ出演されていた。
12年間の間に結婚され、二人の子どもさんに恵まれ、可愛くて・・というコメントが愉しそうでした。
それにしても、なんと明るく よい性格の男性(ひと)なのでしょう。
あれほどのハンディを持ちながら、自分で生活する努力家。
少しの道具と 工夫をして、ひとりでパソコンもできるし、歯磨きも。
五体満足な人は、乙武さんに頭があがらない。
「障害者は不便です。だけど、不幸ではありません」と言われる。
こうした幸せな生き方をしておられる。
『 ぼくらのなまえはぐりとぐら 』
~絵本「ぐりとぐら」のすべて~
福音館書店母の友編集部・編者
40年も前、子どもたちが幼いころ、
ぐりとぐらシリーズを 何度読んだことだろう。
ぐり、ぐら(野ネズミの名前)は、本書で知ったが、
フランス語の掛け声みたいなものから、名前になったらしい。
ぐリとぐらシリーズを好きな人たちのコメントや、制作の裏話や、ぐりとぐらの人形や、カステラの作り方も、と楽しさいっぱい。
外国語版も、九つの言語に翻訳されているとか。
この本により、ぐりとぐらの世界が よりいっそう拡がったように思う。
何年か前、岐阜県立図書館での「原画展」を見に行き、親(わたし)、娘、孫とみんなで、可愛いぐらとぐらに会った。
わが家では、三代にわたっての愛読書の絵本の一冊です。
【写真】福音館書店母の友編集部・編者 『 ぼくらのなまえはぐりとぐら 』 ~絵本「ぐりとぐら」のすべて~ 福音館書店・刊 2001.10.25.初版発行 @1700e
市民総合大学 明治カルチャー史学科 第3回の講座。
開場したばかりの朝の明治村内を歩くのは、空気もよく気持ちいい。
「維持修理と 明治村」。
講師は明治村建築担当 石川新太郎先生。
講師は大学院修了後スペインのカタルーニャ工科大学建築学科博士課程を修了された。一級建築士でもある。
きょうは 第四高等学校物理化学教室の階段教室での講義。
若返って 学生になった気分で、講義を受ける。
1965年:昭和40年代、明治の時代の建物を壊してはいけない、という機運が高まっているとき開村し、明治村が果たしてきた役割りは 大きいようだ。
今年で45周年になる、ということは、そろそろ修理工事しなければいけないところが、どんどん出てきている。
建物の構造や用途によって、使われるべき技術や材料が異なっているので、講師の先生のような高度の能力と技術を持った方が力を発揮されるようだ。
いままで わたしは明治村をそういう風に見たことが無かったが、お話を聞いて多少でも知識を得て、改めて見学することにより、博物館明治村の面白さが深まってきた。
きょうは 釉薬を まとめてかけた。(21個)
マグカップには トンボ、つくし、カブなどの 絵を描いた。
人形は デニムのズボンに色を塗ったり、・・と時間がかかった。
釉薬がけは 陶芸の制作の中で、
一番 むつかしいなぁ。
布ぞうり作りの講習会へ。
先月、片方を仕上げた。
今回は20名以上の生徒で始まる。
布ぞうりは、いまブームが続いているそうで、
今回も受付開始後 1~2時間で定員いっぱいになったとか。
わたしは鼻緒のヨリが甘くて、きれいにいかなかった。
先生から、鼻緒と前緒を付けるバランスを、もう少し考えると 履きやすいと言われた。
一足作っただけでは、そこまで気が回らなかった。
【写真】 「布ぞうり作り講習会」
北川悦吏子(えりこ)著 『 素直になれなくて 』 扶桑社・刊
著者は「愛していると言ってくれ」「ロング バケーション」などのテレビドラマで有名なシナリオライター。
若い人たちに 超人気のある脚本を書いている人だということぐらいは 知っている。
本書はツイッターを介して知り合った人たちの青春物語りといった内容。
最初は なんだか軽い人たちの会話だなあと思ったけど、読んでいるうちに、歯切れがよいというか、テンポが心地よく読めてしまう。
ツイッターを通した人間関係の物語り。
現代ならではの 速い動き。
ドラマを見ているような会話ばかりで 楽しかった。
「アジアの国際線 格安チケットで、海外が より身近に」という。
わたしは飛行機が好き。
海外旅行も好きだが、ここ2~3年 乗っていない。
この格安チケットでは、韓国仁川空港まで、いままでの半額で 行けるかも。
なぜ こんなに安く行けるのか。
(1)人件費をできるだけ省く。一人がいくつもの仕事をする。
(2)座席数を増やす。前 後ろが狭くなったという声も。
(3)機内の食事、飲み物などは、全部有料にする・・、とか。
飛行機の世界が変わる・・。
消費者にとっては、とてもよいことだ。
【カット写真】 アシアナ航空の客室乗務員さんからもらったマスコット人形。きょうのブログの内容と、関係はありません。
近所に住むグループ(6人)で、一年に1~2回 食事会。
もう 20年以上も続いている。
毎回 異なった店を選んで 行く。
今回は 隣りの市の 和食・割烹料理。
ことし初めて まつたけ(土瓶蒸し)も食べた。
女性好みで 盛り付けも、味も良いので、人気がよく いつも混んでいる。
久しぶりに6人そろい、おしゃべりに花が咲き、
隣りの席の人には さぞかし にぎやかだったことでしょう。
いつまでも 皆さんそろって、元気にこの会を続けたいものです。
2匹のヤマアラシが、寒いので温め合おうとするのですが、
近づきすぎると相手の針が刺さって痛い。
離れすぎると 痛くないが 寒い。
2匹は 近づいたり離れたりを繰り返しながら、
やがて痛くも寒くもない程よい距離を見つけるという話。
こんな寄稿記事が9月18日中部経済新聞に掲載されていた。
わが家も以前と比較すれば、夫婦で居る時間が増えました。
ヤマアラシの話を、時々思い出して、互いに譲り合い、
愉しい老後生活ができればと思いました。
市民総合大学 明治カルチャー史学科 第2回
「 明治村の宮殿と室内意匠 」
講師は 博物館明治村の主任学芸員・中野裕子先生。
“日本の 日本人による 洋風建築”として、
有栖川宮邸、明治宮殿、赤坂離宮の話しを聞く。
明治村の建物や家具類などは、年が経ち、修理が必要になる。
現代は技術も進み、なんでもできそうだが、手の技術(いわゆる職人技のことだと思うが)は、なぜか 現代の方が衰えていて、思うようにできないそうだ。
これは、現代的な問題だ、とか。
近くて 遠い明治のことだが、こうした建築や室内意匠を大切にすることで、日本の技術の向上に、また 技術の伝承の場として、重要な意味があるようだ。
もうひとつ おもしろいと思ったのは「御料車」。
明治時代は天皇陛下と皇后陛下が、同じ御料車に乗れなかったので、別々だった。
大正になり 同じ車に乗れるようになったとか。
日本の歴史の おもしろさのひとつかな。
何年か前に、読みたいリストの一冊にしてあった。
いま、やっと 読むことができた。
韓国人の著者が「自閉症」の息子を、どのようにしてマラソンランナーにしたか。 また、「鉄人」と呼ばれるトライアスロン選手に育て上げたか、という手記。
本人もすごいが、お母さんはじめ家族も「鉄人」である。
お母さんの あとがきの言葉:
「関心と愛情だけが、子どもを立ち上がらせます。」
すべての親に言えることばだと思った。
訳したのは、日本人なら誰でも知っている蓮池 薫 氏。
【写真】 朴 美景・著 『 走れ ヒョンジン! 』 蓮池 薫・訳 ㈱ランダム講談社 刊。2005.7.13. 第一刷発行。@1400e
11月13日(土)~16日(火)まで、
藤工芸の教室展が開かれる(先生の自宅で)。
今年のテーマは「四季の花」
きょうは ”どくだみ”を練習。
細かいパーツばかりで、結構 大変・・。
だんだん数が増えると、見応えがあるようになるはず。
今朝のウォーキングは、稲刈りが近づいた畦道を歩く。
これまで 青々していたのに、いまは黄色く輝く 稲穂の海。
まもなく刈り取られ、また違った彩りになるだろう。
夏の騒がしさが静まり、今朝は少しひんやりとし、
アキアカネが飛んでいた。
夏が過ぎ、秋もあーっという間に 終わる頃、
なんとなく 不安になる季節が 訪れる。
吹上ホールで開かれている賃貸住宅フェアに行ってきた。
わたしは あまり関係ないが、お供で・・。
たいくつそうに見ていたら、若い女性スタッフから、
地震・免震体験をしませんか と誘われた。
「怖いから」と遠慮したが、「震度の弱いほうからだから、大丈夫ですよ」と言われ、ついつい地震体験車に乗ってしまった。
震度7というのは わずか3秒の体験であったが、
やはり かなり揺れた。
現在では この地震の揺れを軽減する技術が発達しているとか。
きのう 久しぶりに明治村を 歩いてきた。
わたしが結婚した年の3月に開村したから45年経つ。
そのころは建築物も少なくて、入村料が100円。
(現在は68棟。おとな1600円)
いまでは一日で見学しきれないほどに増え、重要文化財は10棟もある。
一年中を通して、イベントも開かれる。
この9月には「開村45周年特別企画」として、どなた様も 65歳以上は無料で入れる(9.18.~9.23.)。
また、小沢昭一村長講演会も開かれるようだ(9.20.).
秋には、着物姿で来村の方は入村料半額という おもしろ企画も(11.13.~11.28.ほか)。
年に何回か、地元市民に無料開放の日もある。
「 明治村に何度も来たくなったらコレがオススメ!
明治村住民登録(年間パスポート)のご案内 」も。
登録料:おとな3000円、65歳以上2000円で、直営駐車場が平日は無料。登録受け付けは、いったん入村してから山梨郡役所で。顔写真入りのしゃれたパスポート。
明治村は 今 また人気の博物館。
こんな近いところに、日本の宝がいっぱいあるので、
年間パスポートを買って、年に2~3回 行こうかなあ。
【写真上】 聖ヨハネ教会堂。学習院長官舎前から。
【写真中】 森鴎外夏目漱石住宅。
【写真下】 西郷従道邸。
犬山市民総合大学 明治カルチャー史学科 第1回講座。
演題は 「 明治村と近代建築 」。
9月の半ばというのに36℃という日、明治村(碧水)での講座。
講師は 博物館明治村の顧問・飯田喜四郎氏(前・博物館長)。
暑い中 歩いて西郷従道邸(重要文化財)、森鴎外夏目漱石住宅、聖ヨハネ教会堂など、建物を見ながら、講師の説明を聞く。
実物を見るというのは、やはり 一番。
なぜ 修復にこれを使うのか(材料、工法)、
その時代に存在した建築材料は どんなものだったのか、など。
説明を聞くと、いままで何度も見た建物でも、
その時代を物語っているようで、おもしろく見られる。
今日の、外での講座は、暑くて 疲れました。
【写真】市民総合大学 明治カルチャー史学科 野外講座。<上>西郷従道邸<下>森鴎外夏目漱石住宅。いずれも博物館明治村にて。
平成22年度 木曽川学 夏季特別講演会。
演題:「戦国時代の木曽川筋」
講師: 岐阜工業高等専門学校 教授 山本 浩樹 先生
木曽川は、犬山から扇状地をつくり、川筋を変えながら濃尾平野を形づくり、伊勢湾に流れる。
戦国時代の合戦において、川の水というのは、攻める側も、守る側も、重要な意味を持つものであったらしい。
1560年桶狭間合戦で勝った織田信長が、木曽川を越えて美濃国の斉藤道三・義隆の稲葉城を攻略するのに7年もかかった。そのあと上洛して京都を制圧するのに1年ちょっとしかかかっていない。
木曽川筋(木曽川の複雑な流路の自然条件や風土)は、戦国時代、東海道最大の軍事的障壁であった、という。
わたしの住む尾張の国でも、織田信長亡きあとの家督争いとなった。 1584年 小牧・長久手の戦いでは、長久手合戦で敗れた秀吉が、木曽川下流部の竹の鼻城を攻める際に、木曽川の堤を切ったため、広い範囲が水浸しにされて落城したと言われる。
そういった「川の流れが、全く変わると、歴史が変わる」というのが、話しの内容でした。
話しがそれることもなく、先生のお人柄そのままに、とても真面目な講演でした。
【写真説明】小牧・長久手の戦いの2年後、天正14年(1586年)の大洪水で、木曽川本流は境川(黄色部分)から、南の現在の流路に、大きく変わり、国境も尾張寄りに変わった。
ブログを書きはじめて、今日で1000日経った。(1000回目)
ブログが どんなものか。
何を書くのか、試行錯誤をくりかえしながら、今に至っている。
文を書くのは、子どもの頃から好きなほうだった、かなあ。
スポーツは苦手なので、高校も大学も新聞部で学校新聞を作っていた。
結婚後、子育てが楽になった頃、新聞社の主催する「エッセイ教室」に通ったことがある。
それ以外は 自己流で 好きなように書いているだけ。
新聞、雑誌の投稿欄には、ちょくちょく掲載された。
最近はブログを書いているので、投稿文まで書くことはない。
60代後半になって、こういう新しい世界を知ってよかったこともある。いままで知らなかった人とのブログ仲間ができ、お目にかかるということもあった。
海外の、トルコのカッパドキアに住む日本人女性との、コメントのやり取りも、わたしには驚きだった。
“お気に入り”にある人や、料理や陶芸の達人のブログを読んだり、在日韓国人の人の、ハングル付きブログを読むのも、楽しみの一つ。 ・・・などなど。
1000日の間に、いろいろな出来事も ありました。
ブログを書くことで、わたしの世界も ひろがってます。
今朝も 5時半に起きて、本を読む。
著者は80歳近いが、ミステリーから幻想小説、時代小説と、幅広い小説を書かれる。
本書も 7つの短編から なる。
『 少女外道 』は、著者の生まれたころ(昭和の初めころ)の、主人公・久緒の生い立ちから画家になり自立するまでが描かれたもの。
女流作家らしく、きめこまかい 生活の描写に、
「上手だなあ」と感心した。
他の6編も 楽しく読んだ。
また この作家のものを読みたい。
敬老の日が近づいたせいか、老人に関する記事が 多く見られるようになった。
「要介護にならないために 健康長寿のコツ」として、
「友人との交流が多く」「趣味の団体に参加」とか、
「外出頻度が多い」と、要介護になりにくい、という ほぼ同じ内容が多い。
また「社会参加をして、ほかの人の役に立っている」などの自覚があると よいそうだ。
わたしはボランテイアをしているので、今はこれが自分のためによいことなのだ、と感じた。
時々は おっくうで「もう止めようか」と思うが、
これからこそ 必要かもしれない。
自分のために ボランテイアも 続けたい。
【写真】 「要介護にならないために、健康長寿のコツ」
日経記事。2010.9.5.SUNDAY NIKKEI 健康欄。
「気に入った 湯呑みなので 直せない?」などと 聞かれる。
「突然 予期せぬ失敗から、愛着のある品との別れ」という不幸に出会うことがある。
ずいぶんと昔のこと、韓国語の先生から、ソウルの女子大生のホームステイを頼まれた(夏の講習中の3週間)。
もちろんボランテイアだ。
その子の親が、わたしが陶器好き と知っていて、手土産にと、青磁の鶴首の花器を持ってきてくれた。
わたしの好みであり、部屋に飾っていた。
ある日、窓を開けたらカーテンが風に揺れて、花びんに当たり落下した。
少し欠けたのが あまりに残念だった。
どうにか自分で直したい と思ったのが、金継ぎ(金繕い)のきっかけ。
その頃は英国の「修復家養成学校」へ行きたいが夢だった。
夢は破れたが、あれから 20年近く、
ほとんど 自分のものを直して、金継ぎを楽しんでいる。
30年前に、ルービック・キューブ(各列を回転させて面ごとの色をそろえる立方体パズル)が発売され、だれもがやっていた。
わたしも やっていたので、そのころあったはず。
いま、また ブームが再燃されている。
小学2年の孫が、とりあえず2×2キューブ(2.5cm大きさ)を買ってもらって、とりこになっている。
いつか新聞で、愛好家のサイトがあり「日本ルービック・キューブ協会」設立されている と読んだ。
大学のサークルもあり、世界レベルの子どももいる、とか。
今はコンピュータを使った数学的な解析もすすんでいるようだ。
孫に聞いたら「僕は 運が良ければ3面できるよ」と言っていた。
本屋でルービック・キューブ攻略本も出ている。
立ち読みしたら、いろいろな形の種類も あった。
【写真】ルービック・キューブブーム再燃を伝える日経の寄稿記事。2010.7.16.文化欄。
金繕い -2- 「盃洗い(さかずき あらい)」に挑戦。
径が12cm、高さが11cmあるところから、
染付けの「盃洗」の一種だと思う。
江戸時代中期から 昭和時代初期にかけて流行した。
「はいせん」ともいう。
知人を通して金繕いを頼まれたので、直接は知らない方の器。
わたしの素人の金繕いが どう評価されるのか心配だ。
欠けた破片はないので、パテで繕い、金粉を蒔いて仕上げた。
パテが乾いてから、ヤスリを掛けるのだが、
これがなかなか難しかった(人様のものだから よけいに)。
『 川喜田半泥子 無茶の芸 』 千早耿一郎・龍泉寺由香・共著
( かわきた はんでいし むちゃの げい ) 二玄社・刊
十年以上も前、陶器のギャラリーの店主に、
三重県津市郊外に在る、広永窯に連れて行ってもらった。
(ここは昭和20年ごろ、津市千歳山の窯を この地に移したとされる)
そのころは「東の魯山人、西の半泥子」と言われた陶芸家で、
一度は行ってみたいと恋焦がれていたので、うれしかった。
山門からも、広永陶苑のギャラリーへは、
車でどんどん入って行った奥に在り、
「なんて広いところだろう」という印象が残っている。
本書は、川喜田半泥子の 人となり が、
作品と共に紹介されておもしろかった。
わたしは、中でも、句画集が 好きだ。
(優しい絵と、わかりやすく ユーモラスな句が、描かれたもの)
【写真】千早耿一郎(ちはやこういちろう)・龍泉寺由香・共著 『 川喜田半泥子 無茶の芸 』 二玄社・刊 2007.3.20.初版発行。@2000e
「 十六ささげ 」
愛知県特産の伝統野菜。
さやの中の豆が16粒なので、この名前が付いた。
(ピンクで きれい)
毎年、家庭菜園で 育てる。
ことしは トマトの陰になり、あまり採れてなかった。
今朝 採り忘れたのが、62cmにもなっていて びっくり。
ふだんは30cmくらいのものを収穫して、
ゴマ和えや 煮物にして食べる。
やわらかくて おいしい。
友人から、金継ぎを頼まれた。
見たら、鈴木青々氏の花器(昭和37年ごろのもの)。
鈴木青々氏は、瀬戸の有名な陶芸作家。
わたしは瀬戸の市民だったし、家業の関係で よく知っている。
こんなすごい人の作品は、わたしなどがかまってはいけないので、お断りした。
それでも、わたしでいいと言われ、引き受けてしまった。
鈴木青々さんは(鬼籍だが)これを見たら がっかりだろう。
人に頼まれて、農夫 マイケル君を 三体 作陶。
蓼科高原 バラクラ イングリッシュ ガーデンに、何度も行ってたころ、こんな風格の青年が、庭の手入れをしていた。
それ以来、その人に似た人形を 作っている。
友人の家では、大きな鉢に 寄せ植えと一緒に飾ってくれている。
また別の人は、庭の花壇に 二人揃って 置いてある。
自分の創ったものを、他人の庭で見るのは 恥ずかしいが、嬉しさもある。
本来ならば「処暑」。 暑さが 越えはじめる頃なのに、
秋の気配は 感じられない日々。
暑いなか、用事があり、高校生の孫と、
実家のある街へ行ってきた。
せっかく近くまで来たので、叔母さまの残暑お見舞いや、
実家の兄の顔を見て・・と、いそがしかった。
毎日 乗っていた電車の駅。
周辺はまったく変わっていて、びっくりした。
この街を出て 45年間も、行ったことのないところを、
クルマでぐるぐる走り回って 愉しんできた。
途中、ガソリンスタンドに寄った。
ぶっきらぼうで、窓の拭き方もいい加減だった。
横を見たら「全国優秀サービスステーション受章」の旗が。
どこが 優秀か?
久しぶりに、実家以外のふるさとを訪れて、
子どもの頃の 生活がよみがえった。