ことしも終わった。
一年 病気もせず 愉しく生活できて 幸せでした。
新しい年を迎えるため わが家の室礼・・小幅掛け軸。
そうと言えるか、
玄関の小幅掛け軸は、母の帯から作ってもらったもの。
昨日 でき上がったばかり。
花は、瀬戸の作家(名前は忘れた)の黒マット釉の花器に、
若松と 小菊を活けた。
旧い付き合いの友人から「実家にあったものだが、明治の初めのもの」といって古布をもらった。
「陶器の敷き物にしたら」と言われたが、
上質の絹で 切り刻むのは忍びないので、
小幅掛け軸を作ってみようか・・。
友人に表装インストラクターをやっている人Aさんがいて、
小幅掛け軸作りは 何度か教えてもらったことがある。
材料も残っている。
「よし 作ってみよう」
掛け花の花器は、赤色4号という土で作り、
焼き締めたら ぴったりの色になった。
ついでに風鎮も土で作ってみた。
自分では気に入って、わが家を訪れる人に自慢している。
でも、プロのAさんには 恥ずかしくて見せられない。
やさしい人だから「笑って」くれるかな・・。
6歳の孫(男子)が冬休みに入り、
LaQラキューというホビーキットを持参して、
お泊りで遊びにきた。
娘である母親によると、
この子はいまケガをして 外遊びができないので、
一日中 夢中になってやっているそうだ。
300円台27ピースくらいから、5000ピース3万円以上まで、幅広くあるらしい。
クリスマスプレゼントにも またもらって、ずいぶん数多くなって喜んでいる。
これまでなら普通ブロックと呼んでいたもので、
今では 小さなもので 7種類のパーツを組み合わせて、円い球形のものも作れるという。
付属の作り方ガイド以外にも、インターネットでいろいろな形の作品の作り方をみて、一生懸命に組み立てている。
おもちゃも 遊び方も 変わってきたものだ。
小さな(1㌢くらい)ものなので、無くさないように 気をつかっている。
【写真】ヨシリツ㈱製「LaQラキュー」でつくった作品
掃除をしていたら、
醤油の染み込んだメモ紙が出てきた。
これは お正月料理の「棒だらの煮物」のレシピで、
2年前に亡くなった母の字で書いたもの。
商家の大家族の嫁であった母は、
毎年 おせち料理を作るのに、二日間はずーっと台所にいて、
紅白歌合戦を見ながら、重箱に詰めたりしていた・・。
特に、黒豆と棒だらは 得意料理。
わたしは結婚してからも 棒だらは自分で作らず、
正月に実家で食べるのが愉しみで通した。
高齢になり「私は体力がないから もう作れない。この紙にかいてあるから、見て作ってね」と渡されたのが このメモ紙。
2、3年は メモを頼りながら自分で作ったが、
棒だらのよいのが手に入らないのと、
「3日間は 朝、晩、漬けた水を取り替えながら・・」とあるように、手間がかかるので作らなくなってしまった。
自分が継いだ母の味を、娘たちにも継いでいけなかった、と少し 残念。
このレシピを見ながら、
「昔の主婦は大変だったなあ」と、亡き母を想った。
なごや百選会・情報誌『月刊なごや』(No.311)。
巻頭鼎談「なごや三重唱 出会いに乾杯!」が掲載されている。
ゲスト登場は、小原工芸作家・山内一生さん。
迎えるのは、日比英一さん・中京大学大学院教授、
岡田邦彦さん・松坂屋代表取締役会長。
*****
わたしは20年くらい前、
山内一生氏と親しくさせていただいていた。
何度も工房を訪ね、お会いした。
ほんとうにたのしい ユニークなお人柄で、
よく冗談を言って、笑わせてくださった・・。
鼎談でも語られているように、小さいときにご両親を失われ、
生まれてから「おとうさん、おかあさん」と言ったことがない。
また、13歳でおばあさんを亡くし天涯孤独になられたことを、知りました。
昭和天皇の御前で実際に紙漉きをされたときのお話しは、
あまりにもめずらして、今でも その情景を忘れません。
今でも、明るく、工房を訪れる多くの人たちを、
愉しく 笑わせておられることでしょう・・。
山内先生の作品の数々は、わが家の宝です。
【写真上】山内一生さん作品『富嶽』。
【写真下】山内一生さん作品『カトレア』。
10月は都合で出かけられなかったので、
今月は先週に続き 今週も藤工芸教室に行く。
同じグループの人たちに追いつくために、
タペストリーを仕上げた。
ラタン人形のペンギンも 編み始めた。
先生が作られたラタン人形は 目が揃って きれいな仕上がり。
あんなのが出来たら いいなぁ・・。
夜は あまり運転しないが、
久しぶりに車で走っていると、
こんな田舎町にもイルミネーションが輝いているところが増えて驚いた。
今日は クリスマス・イヴ。
イエスキリストの誕生日。
「神様が 人間として生まれてきてくださった」ことを祝うこと、が本質。
イエスキリストも、
こんな風景を見たら 腰を抜かすかな・・。
陶芸を始めた頃、
プロの陶芸作家から聞いた・・・、
「一人前になるには、湯のみは3000個作る」。
あれから17年。
湯のみらしきものは、いくつ ロクロで挽いたかなあ。
単純なものほど 難しいように思う。
ことし最後のロクロ挽きは マグカップ18個。
ロクロを廻していると 無心になれる。
だから 止められない。
*******
『70代三人娘、元気の秘訣』講談社+α新書 講談社・刊 俵 萠子・吉武輝子・樋口恵子 共著。
この本は、俵 萠子さんが亡くなった翌日(2008.12.2.に亡くなった)に買った。
三人の方は共通の志を持って、女性の生き方を変えるのに努力してきた女性。
特に俵 萠子さんは、
わたしの理想の生き方を実践してきた人 として尊敬している。
この本の中でも、75歳過ぎて私は「私の人生を歩いてきた」とか、
常に「生活設計の達成感」を感じながら生きている、
と言えるなんて、素晴らしい人生だったと思う。
少し早く人生を終えてしまわれて残念に思う。
本書は 男性にも、特に団塊の世代の男性に読んで欲しい本。
【写真】『70代三人娘、元気の秘訣』講談社+α新書 講談社・刊
俵 萠子・吉武輝子・樋口恵子 共著 2007.7.20.第1刷発行。@781E
和紙で有名な美濃の街で、町屋を改築したカフェ。
お茶を飲んだテーブル前に花器があり、感動した。
色もステキだったが、蓋がバラの花になっていた。
「よし!すぐ作ろう」と思って作ったのがこれです。
釉薬は茶唐津なので まだらな茶色。
白のわびすけを ひと枝入れたら よく似合う。
下に敷いた細い花台は、タイの国の屋根板だったもので、
雑貨屋さんに売っていたもの。
Photo///// 081219-1122-0001 土瓶型 花器。釉薬は茶唐津。
今年最後の竹紙教室。
いつもは外の竹紙工房で、紙漉きをするが、
寒いので、小学校の家庭科教室を借りて 漉く。
先回、はがきを漉いたので「年賀状」つくりを仕上げる。
もったいなくて あげられない、という声があがっていた。
わたしは、一番大切に思う人、竹紙のよさをわかってくれる人、
・・・だれにだそうかなあ。
さらに今日は 大きなタペストリーを漉く。
わたしは 小さなビーズを入れて漉いてみた。
裏庭に 水仙が咲き出した。
いつも 早いのは12月に入ると 咲き始めるので、
この花を見ると、なんとなく気ぜわしい気がする。
別名「雪中花」とも言うように、
寒さの厳しい雪の中でも、凛として咲くので、
上品な感じがします。
今朝、数本採ってきて、
直径40㌢ほどの鉢に挿してみました。
この鉢は、常滑の陶磁訓練校の指導員を、長らくやっておられた方から、譲っていただいた、焼き締めです。
お気に入りの ひとつ。
剣山は 岡山の 備前焼のギャラリーで見つけた。
「こんな可愛いもの!」と買い求めた、大切な一品。
午前中のクラスなので 9時前に家を出る。
段取りよく 家事が終わって気分が良い。
おしゃべりもしたいが、
みなさん 自分の作品作りに集中している。
先生はリラックスできるように気を遣って、
ときどきジョークを言いながら、
指導されるので よい雰囲気。
先月の花の作品も、
色が付き すてきにおさまり、 ハイ、チーズ!!
有名な「時代屋の女房」で
87回直木賞を受賞した作家のエッセイ。
ぜいたくな食道楽の本と言うより、
人生68年間の食の歴史を懐かしみながら、
現代の食生活について書かれたもの。
炊き立ての白いご飯に 生卵をかけ、
いわしの焼いたのと 味噌汁に漬け物は、
今でも おいしい食事だと思う。
こういう作者と同時代を生きてきたので、
「そうそう、わたしも同じ」と言ってしまう。
「私カレー病です」(カレーを昼食に何ヶ月も続けて食べている)を読み、男性でもこういう人がいるのか、と少し驚いた。
わたしもどちらかと言えば、この著者に近い「カレー食事」をしている。
でも、わたしは週に三日間までかな。
現代という時代でも、
著者はやはり「ほんまもん」を味わって、食べたいという。
わが家の庭に ゆずの木。
ゆずの実が よくなった。
例年通り ゆず茶を作った。
名前に「茶」と付くが、ゆずをジャム状にしたもの。
今年は、新聞で見たレシピどおりに 作ってみた。
(日本経済新聞 12月12日朝刊「ゆず茶」)
材料は ゆず と 砂糖 同量。
(数個で200gなら、砂糖も200gで)
細かく切ったゆずを 砂糖と混ぜるだけで、
煮なくとも ジャム状になる。
湯を入れて飲んでも おいしい。
ヨーグルトに入れたり、
パンに載せて食べても 香りがよい。
自家製なので 安心。
ブログを書き始めて 一年になる。
良いことも 苦しいこともあった。
60歳代半ばの、ごく平凡な主婦が、
どんなことを考え、何をして過ごしているかを、
書いてみようと思った。
毎日書くと言うことは、思ったより大変だった。
よく言われるように「ネタが切れる」ということもあるが。
ボランティアも 陶芸もしたい。
本も読みたい。 おしゃべりもしたい。
隣りに住む孫の世話もあり、時間がない。
書くことは よくものを見なければ書けない。
あいまいなことは書けないので、調べる必要も多い。
これらは自分にプラスになり、よいことであった。
また、他の人のエキサイトブログも、
読むのは楽しかった。
いつまで続けられるかしら・・。
CDショップに 森山良子のアルバムを買いに行った。
いつも思うが、こういうお店(昔ならレコード屋さん)には、
わたしのような中高年は 誰もいない。
若いお客さんばかりである。
はずかしいので 店員さんに聞いて、
すぐに買って 出てくる。
みなさんはCDを買うとき、
どうやって買っていらっしゃるのでしょうか。
森山良子さんといえば、
E’xpo 2005年 愛・地球博で、
9月24日お別れ前夜祭のコンサートに出演。
真っ赤なドレスで、
「涙そうそう」を熱唱されたのが印象的で、
今でも 忘れない。
ひさしぶりに 陶芸教室に行く。
マグカップ5ヶ、 人形2体。
あと 小物少し、還元焼成したものができていた。
いつもながら 自分では7分の出来、か。
いつになったら 100%気に入るものができるのかしら。
陶芸仲間と 忘年会。
小牧市にある、閑静な住宅街に佇むイタリア料理店「Kan」。
http://www.itariaryouri-kan.tokai.walkerplus.com/
外観は純日本風だが、中は落ち着いたブラウン系・・。
この店は 以前この辺りを 車で走っていて見つけた。
きょう急に思い出して、予約無しで、
いきなり訪れたが、気持ちよく案内された。
前菜は魚と生ハム。野菜も多く とっても美味だった。
(野菜では めずらしい黒大根も使われている。)
スープはなめらかで味が深く、おいしーい!!
デザートのコーヒーは、
抜群においしかった!と 全員から評判良かった。
わたしたちの年代は、箸が用意されていたのも うれしかった。
コース料理を望むなら、予約したほうが良さそうだ。
別冊太陽『韓国・朝鮮の絵画』「はじめて知る隣国の美と心」が先月出版された。
3年前の秋、訪韓した折に、ソウルの国立中央博物館が新しくなり、この一週間は無料で入場できるという時期にあたった。
そのとき「風俗画帖」の絵があり、強く印象に残った。
(これしか覚えてないが・・。)
15年も前に行った、旧・国立中央博物館も広くて、見るのに大変だった。
新しいほうも かなりの広さで、夕暮れ時になり、とても全部は見れなかった。
民芸運動を行なった柳宋悦(やなぎむねよし)によって、「民画」と呼ばれるようになったという「花鳥画」「山水画」などは、日本人も好きな人が多いと思う。
村田喜代子・著『人が見たら蛙に化(な)れ』の中に、
骨董になった韓国の民画が、いかに高価で幻のお宝であるか、が出てくる。
「風俗画帖」や「民画」は、ユーモラスで、見ていると楽しい。
また 山本一力さんの著作。
氏は「蒼龍」1997年で オール読物新人賞、
2002年「あかね雲」で 126回直木賞を受賞された、大作家である。
それでも、ごく庶民的で、家族を大切にしている。
人情にもろく、こころが暖かくなる話しが多く掲載されている、エッセイ集。
短い文なので、細切れ時間に 読めるのも良い。
近ごろ 作家・山本一力さんに はまっている。
江戸時代、新しい「かわらばん屋」(瓦版屋)として、
事業を起す岩次郎の物語。
岩次郎の、商いをする経営手腕は、今の時代にも通じることが 多くあるように思えた。
たとえば、「商いの根幹を危うくするような倹約は、毒でしかない」という。
節約とは異なる。
ここ一番というときは、何事も惜しんではいけない、ということか。
また、どんな者でも、誇りを持っている。
部下であろうと年下であろうと、人を大切にしなければならない。
日ごろ、岩次郎は、これを実行している。
岩次郎のひと言で、80人を超える職人たちは、ピンと背筋を伸ばす。
睨みが利くのである。 温かみのある男性(人間)なのだろう。
かなり長編なので、読むのに時間がかかる。
本ばかり読んでいるので、家事がはかどらないのが、玉にキズ。
それでも止められないほど魅力のある本。
今度はお正月に読もうかなぁ。
【写真左】山本一力・著『早刷り岩次郎』 朝日新聞出版・刊
2008.7.30.第一刷発行 @1700E
【写真右】山本一力・著『くじら日和』 文芸春秋・刊
2008.2.15.第一刷発行 @1333E
庭掃除をしていたら、万年青(オモト)の実が赤く熟していて、
枯葉色の落ち葉と枯れ草の中に、ひときわ鮮やかだった。
洋花が多い最近のガーデニングには似合わないが、
昔の庭には 万年青の鉢植えをよく見かけた。
若い頃、石田流の活け花を 習っていた。
お正月の花は おめでたいので万年青を活けることがあった。
葉の組み合わせがむつかしくて、
好きではなかったことを思い出した。
可児市にある「JAめぐみの・とれったひろば」に行くと、
いつも、すこし変わった野菜がある。
黄色のカリフラワー :
白と同じように使えばよい。
シチューに使うと よりおいしい、と書いてあった。
ほうれん草 :
茎のところが赤紫色。
生で サラダに使う。
アロエベラ(沖縄産) :
サボテン?と 間違えそう・・。
わたしはメキシコに行ったとき、サボテンをフライパンで焼いて、
食べさせてもらったことがある。
歯ごたえがあったが、特別においしいと思わなかった。
アロエベラって どんなだろう・・。
サボテンと似た味かしら。
竹紙を漉きに行ってきました。
先月、漉いたタペストリー用の大きなのが、乾いてました。
本日は年賀状用に、ハガキを漉く。
もったいなくて使えそうも無い。
作家・水上勉さんは、40年もの間 竹の紙を漉いてこられた。
水上勉・著『竹紙を漉く』文芸春秋・刊を読むと、
氏は竹を知り尽くし、
本当に大切にされている様子が読み取れる。
花屋さんの前を通ったら、ポインセチアが いっぱいあって
つい 店先に入ってしまった。
原産地はメキシコ。
ポインセチアは、その咲く時期から、
「赤はピュアなキリストの血の色」ということで、
クリスマスのシンボルのように扱われるようになったという。
庭の大きな植木鉢に入れ、シクラメンと寄せ植えした。
小さなサンタクロースも3個置いたら、
5歳の孫が とても喜んでくれた。
著者の吉武輝子氏は 俵萠子氏、樋口恵子氏などと共に、
元気いっぱいで大活躍の女性評論家として名高い。
本書は著者自身の「大腸がんで180日」入院顛末記である。
この手の本は短時間のうちに読んでしまう方がよい。
さすが吉武さん。自分の病気も客観的に見られ、分析できる人とお見受けした。
バリバリの健康体の人かと思っていたが、
病身で か弱い女性だと知った。
お元気になられたから、社会のために もうしばらくがんばってください。
【写真】吉武輝子・著『生きる。180日目のあお空』 海竜社・刊 2006.5.23.第一刷発行。 @1500E
俵 萠子さんが 70歳近くになられた折に、
生きることは始めること―七十歳の挑戦という本を出された。
加齢につれて「夢を形にしていく」ということが大切だと言われる。
著者自身も 陶芸を始め、個展を開き、
陶芸教室を開き、美術館まで創ってしまわれた。
わたしに宛てていただいた手紙にも、「その後 夢を形にしていらっしゃいますか。」と書いていただいている。
さて、半分くらいは実現できてるかな。
「何歳になっても 新しい友だちができるような生き方をしなさい。」とも。
※俵 萠子・著 2005.05.発行 海竜社刊 @1400E
今朝 新聞で「俵萠子さん逝去」を知り、びっくりした。
2003年ごろ、わたしは愛知県陶磁資料館の「友の会」会報の編集をしていた。
俵さんは 評論家のかたわら、絵と陶芸をたしなみ、
群馬県で「俵萠子の陶芸塾」を主宰し「俵萠子美術館」館長もされていた。
俵さんご自身から手紙をいただき、愛知県陶磁資料館で講演会を開かせてほしい、と希望された。
事情があり実現はできなかったが、応対したご縁で、何回か自宅にも手紙をいただいたり、美術館の招待状まで送っていただいた。
いつか行くつもりで大切にしまってあった。
その後5年の間に 俵さんは乳がんの手術、交通事故などいろいろとおありだったようです。
病歴もありその点ではご苦労も多かったようです。
多くの評論、小説、エッセイを残された。
おそらく最後の本になった『こどもに世話にならずに死ぬ方法』中央公論新社刊。
母上の介護の苦労から、御自分のことを考えて言われたのだなあ。 自分も心しなくては と思った。
本当に残念です。
若いお母さんたち5人グループの人たちに教えている。
陶芸を始めて3回目の作品が焼きあがりました。
若い人たちは、少し基本を修得すれば、
自由な発想で個性豊かな作品を作られるので、たのしみです。
先月は、都合で行けなかったので、
二ヶ月ぶりの藤工芸の おけいこ日。
先日のバスツアーの話で盛り上がり、
親密度が深まったようだ。
花束を作る。
パーツを作って まとめるが、
花芯を編むのに 時々こんがらかってしまう・・。
次回は 染める。
何色にしようかなぁ。 黄色か水色がいいかなぁ。