平成22年度 木曽川学 夏季特別講演会。
演題:「戦国時代の木曽川筋」
講師: 岐阜工業高等専門学校 教授 山本 浩樹 先生
木曽川は、犬山から扇状地をつくり、川筋を変えながら濃尾平野を形づくり、伊勢湾に流れる。
戦国時代の合戦において、川の水というのは、攻める側も、守る側も、重要な意味を持つものであったらしい。
1560年桶狭間合戦で勝った織田信長が、木曽川を越えて美濃国の斉藤道三・義隆の稲葉城を攻略するのに7年もかかった。そのあと上洛して京都を制圧するのに1年ちょっとしかかかっていない。
木曽川筋(木曽川の複雑な流路の自然条件や風土)は、戦国時代、東海道最大の軍事的障壁であった、という。
わたしの住む尾張の国でも、織田信長亡きあとの家督争いとなった。 1584年 小牧・長久手の戦いでは、長久手合戦で敗れた秀吉が、木曽川下流部の竹の鼻城を攻める際に、木曽川の堤を切ったため、広い範囲が水浸しにされて落城したと言われる。
そういった「川の流れが、全く変わると、歴史が変わる」というのが、話しの内容でした。
話しがそれることもなく、先生のお人柄そのままに、とても真面目な講演でした。
【写真説明】小牧・長久手の戦いの2年後、天正14年(1586年)の大洪水で、木曽川本流は境川(黄色部分)から、南の現在の流路に、大きく変わり、国境も尾張寄りに変わった。