今年度木曽川学セミナー第5回目は 松田之利先生。
(財団法人犬山城白帝文庫歴史文化館館長。岐阜大学名誉教授)
先生は「昨夜遅くイタリアから帰国したばかりでまだ時差ボケ中です・・」と。
先生が最近関わっておられる大学の学生が、フィレンツェの世界遺産・大聖堂に落書きしていたことがわかりマスコミをにぎわしていた。
大学が責任を取り、先生があやまりに行ってこられたという。
かの国イタリアでは落書きについて謝りにこられたのは初めてだそうで、日本人は律儀な国民と思われて好感を持たれたとか。
本日の講義の内容は、
徳川幕府歴代将軍の旗本で仕えた「徳山氏」歴代の生き方。
徳山氏初代五兵衛則秀は、もともと大野郡徳山を本拠に織田信長に仕え御幸塚(ごこうづか)城主。
関が原の戦い後、徳川家康から五千石を得て軍事・街道筋の要「徳山」を固めた。
二代目は美濃国役普請奉行、大坂城普請奉行に、三代目は江戸本所屋敷割り・道橋奉行、四代目は御先鉄砲頭、五代目は火付改盗賊奉行にと、・・徳川幕府直参旗本の道をまっしぐら。
主に揖斐川の上中流域で薪燃料(段木)収納、舟運の技術を生かして商売したという徳山氏の財政事情は、現代にも通じるものがあり、興味深い話であった。