今朝 新聞で「俵萠子さん逝去」を知り、びっくりした。
2003年ごろ、わたしは愛知県陶磁資料館の「友の会」会報の編集をしていた。
俵さんは 評論家のかたわら、絵と陶芸をたしなみ、
群馬県で「俵萠子の陶芸塾」を主宰し「俵萠子美術館」館長もされていた。
俵さんご自身から手紙をいただき、愛知県陶磁資料館で講演会を開かせてほしい、と希望された。
事情があり実現はできなかったが、応対したご縁で、何回か自宅にも手紙をいただいたり、美術館の招待状まで送っていただいた。
いつか行くつもりで大切にしまってあった。
その後5年の間に 俵さんは乳がんの手術、交通事故などいろいろとおありだったようです。
病歴もありその点ではご苦労も多かったようです。
多くの評論、小説、エッセイを残された。
おそらく最後の本になった『こどもに世話にならずに死ぬ方法』中央公論新社刊。
母上の介護の苦労から、御自分のことを考えて言われたのだなあ。 自分も心しなくては と思った。
本当に残念です。
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