30年近く前、知人が 韓国人大学教授(女性)を わが家に連れてこられた。
昼どきであったので、わたしは簡単な昼食を出したら、片膝(ひざ)を立てて食べ始められてびっくりした。
服装はパンツスーツだった。
あとで知人から「韓国は立て膝を立てるのが正式なの」と教えられた。
丁 宋鐵(てい むねてつ)・著 『 正座と日本人 』 講談社・刊
著者は医学博士。
歴史学者になりたかったほど、大の歴史好きという。
茶道をたしなむには 正座しなければならない。
これは 日本人なら誰でも常識だと思っている。
ところが 茶道を完成させた利休は、アグラをかいている。
茶道で正座をするようになったのは、江戸の後半からとか。
でもこれは断定ではなく、いろいろな見解もあり おもしろいところです。
広く庶民だれもが 正座をするようになったのは、明治になってから。
したがって 茶道が日本の文化に大きな影響を及ぼすようになったのも、その頃らしい。
わたしが長年抱いていた問題も、この本で納得がいった。
当分 本書は 頭から離れない。
9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」。
「菊の節句」ともいう。
桃の節句や、端午の節句と並び、五節句のひとつだが、
いまでは誰も言わない、忘れられつつある。
菊の盛りには まだ早い。そのために 祝う人も少ないのかしら。
『暮らしに生かす旧暦ノート』(鈴木充広著)によると、
重陽の節句は、家族とともに 近くの高いところに登って、
「長寿と一族の繁栄を願うといい」といわれているとか。
著者はこの日ひとりで東京タワーに登って、一族のことを祈った。
わたしも一生に一度くらい、9月9日に高いところに登って、
(どこが よいかなあ・・)
いつまでも 家族が幸せでありますように、と祈ってみようか。
日曜日の午前中は日本語教室。
このクラスは すこしよくできる人が多いので、足並みをそろえるためにテキストを離れて、日本の文化について話し合いをした。
季節がハッキリしている日本の食物を中心に「実りの秋」を 想像してもらいました。
残りの時間に 反対語を勉強した。
できるようになった人に、「日本語検定」を受けるといいね と言う話も出ましたが、主婦にとって「受験料が6000円は痛いネ」「子どもと二人で受けたら12,000円だ」と。
なんとか なりませんかネエ。
最近 ちょくちょく「巣ごもり消費」ということばを見かける。
消費者が外に出ず、食事や娯楽などの消費行動を 家庭内で済ますこと。
お金のかかるアウトドアレジャーより、家の中でDVD,本、ゲームなどをして過ごすようになったので、外食産業や旅行業界が打撃を受けているとか。
政権交代とかでの、高速の無料化や、景気の回復で、外出が多くなることを願う・・。
<写真>2009.9.1.中日新聞から。
娘の家族から「ミートソースを作って欲しい」と言われていた。
わたしは 朝 作っておいて、昼間に 煮込む。
玉ねぎのミジン切り、ひき肉、トマト缶、と、簡単な材料ばかりだが・・。
実は わたしが なぜか好きではなく、食べないので、作るのも おっくうなのだ。
夕食に「おいしい おいしい」と食べてくれるのは うれしい。
わたしのミートソース作りのコツは、
クロックポット(電気なべ)で長時間かけて 煮ることだけ。
何年か前、知人が「お地蔵さん 作って」と、
紙に 大きさや 姿を書いていった。
それから 3、4年の間に、いくつ作ったか。
50体は 作ったかしら・・。
粘土 250gくらいで、ロクロで胴体を作り、あとは手作業。
いくつ作っても 眼を入れるときが 一番むつかしい。
身長13㎝。 体重は ? 作者と同じ すこし太め。
お地蔵さんは 子どもを護る 仏様・・。
作っていても なんとなく癒される気がする。
隣町へ出かけた途中で立ち寄ったスーパーで、
珍しい「天狗なす」が売っていた。
愛知県産なのに、わたしは食べたことがない。
天狗の鼻のような、突起したものができるので、そこから 名づけられたらしい。
1個258円と 少し高いが、ふつうのなすに 比較すれば 大きい。 じーっと見ていたら、
店員さんが「水分が多くて 火が通りやすいので、煮物や炒め物にしたら おいしいです」と、教えていただいた。
(お許しを得て、一枚 パチリ させてもらった)
日本の歴史に深く影響のある人物が 描かれている。
11人目に「池田勇人」を 経済大国を実現させた人として 採り上げている。
いま、日本は 政権交代で、政治家の資質が問われている。
池田勇人総理大臣は、戦後の日本を 豊かにしてくれたひとりだった。
わたしは大学生の頃(昭和37年ごろ)、池田勇人氏の私邸へ 遊びに行ったことがある。
友人の母親が、池田満枝夫人の親友ということで 招かれた。
いま、思い出すことは、
☆ 書生さんが 数人 あわただしく仕事をしていて、
家の中を行ったり来たりしていること。
☆ おやつに、当時 超高級であったメロンをいただいたこと。
☆ トイレが 5つも並んであったこと。
☆ 奥様は非常に優しくて 学校の様子を聞かれたこと
(わたしたちの同窓生でもあったので)、など。
とくにこの何年かの総理大臣をみていて、池田勇人総理が いかに偉大な男性(ひと)だったことか。
それも合わせて、わたしの長い人生でも、よい思い出のひとつである。
【写真】堺屋太一・著 『 日本を創った12人 』 PHP文庫。2006.2.17.第1版第1刷。PHP研究所・発行。@724e。初出は 1996.11.単行本 PHP研究所 刊行。
絵本や画文集では よく拝見している。
本書は 堀 文子さん(画家)の履歴書。
みずみずしくて かわいいタッチの絵を見ると、
とても91歳とは 思えない。
大正時代に生まれた女性(ひと)としては、ずいぶん進歩的な考えを持ち、実行してきた女性であったことよ。
これから生きていく若い人には、参考になる生き方をしてきた女性。
孫たちにも 読んで欲しいけど・・・・。
日本語教室。
本日は いつもの部屋が借りられなくて、料理の教室での勉強。
生徒は少なくて 7名。
相変わらず 漢字の読み方になると 戸惑う人が多くて・・。
わたしも日本人でなかったら 大変だったろうなあ。
また、「東西南北」の説明のとき、島国である日本では、地図を見るときなどは これがないと不便 というか わからない。
ペルーやブラジルの人にとっては、これは 頭が混乱する、ということが判った。
じゃあ「目的地を人に教えるとき どうやるの?」とたずねたら、
ひとりの青年が「まーっ直ぐ行って 右の回れば・・と言うだけで分かる」で 大笑い。
お国が変われば、考えも変わる。