なかにし礼・著 『 生きる力 』 講談社・刊
~ 心でがんに克つ ~
いつだったか、テレビ番組で著者が
「陽子線治療でがんが治った」と言っておられるのを見た。
そのとき「陽子線」という言葉を初めて耳にした。
著者が強いところは、医師の治療に従わずに、
自分で治療法を調べ探し出されたこと。
・・わたしなら「がん」と聞いただけで驚き、
医者にすべてお任せしてしまうだろう。
「がん」が事実と知って、悲しみの中で、
著者は自分に栄養を送らねばならないと考える。
栄養とは・・?
それは精神的な歓喜だ。 歓喜とは感動だ。
感動するために猛烈な勢いで本を読まれたという。
なかにし礼さんは、すご~い強い意志の持ち主だった。
病気で元気のない人・・読んでみてください。
【写真】 なかにし礼・著 『 生きる力 』
~ 心でがんに克つ ~ 講談社・刊
2012.12.20.第一刷発行 @952e
二、三日前 木曽川学に出席するためエレベーターに乗った。
65歳前後かな? 半袖の襟つきシャツを着ている男性が、
ペンダントをされていた。
・・エッ! と 驚いた。
以前のこと・・
知人の男性が(40代。イギリスで生活していた人だが)、
イアリングをされていた。
この二日間とも、一緒に居たが、
わたしの夫は それに全然気づいてなかった。
今朝、テレビを見ていたら、関西の大学教授が、
襟にブローチを付けておられた。
最近は 男性もオシャレになりましたね。
7月6日日本経済新聞土曜日版プラス1(ワン)に
こんな記事が載っていた・・
「美婆」と書いて「ビバ」と読む。
いくつになっても現役で働き、人として美しい。
このような高齢の女性をこう呼ぶのだとか。
「ビバ」とは「万歳(ビバ)」と引っかけてある。
また男性版には
「美爺(ビジー)」で、忙しいを引っかけてこう呼ぶらしい。
自分のまわりにもがっばっている人はいる。
こういう人を「あの方は美婆ねえ」とか、
「高齢だけど活き活きと生活(くらし)てる美爺よ」と言えばよい。
わたしも少しでも美婆を目指して がんばりましょうか。
「美婆」「美爺」と呼ばれるには、
それなりに自分みがきをして、しゃんとしなくてはネ。
木曽川学セミナー第4回「川と祭りの民俗」
~木曽川流域の 七夕行事を中心に~
講師:須永 敬先生(九州産業大学 国際文化学部)
0 七夕は なぜ「タナバタ」か?
タナバタという語をめぐっては いくつかの説がある。
「棚機」説 ・・棚で機を織り、水の神を迎える女。
わたしは この説がいちばん本物らしく思える。
七夕は全国的に さまざまな行事があり、伝承されて来た。
木曽川流域のこの地方でも、各地で少しづつ異なる・・
講義を聞いていくと、興味深いことばかり。
わたしの住む尾張では、七夕が、七歳の子どもの成長祝いと結びついている点が特徴だ。
各家庭ごとに、七月七日に厄災を流し去るという習俗。
現在は幼稚園や学校行事として盛んになったので、
個人の家庭ではやらなくなったように思う。
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11年間続いてきた「木曽川学セミナー」も、
今年度で終わりにすると今朝発表された。
定員200名の、10回連続講座は毎年申込み多数で、抽選になるほど人気があるのに 残念だ。
15歳で熊本の郭に売られてきた少女イチが、一人前の娼妓となっていく物語。
同じ女の子なのに、貧しい家に育ったというだけで 哀しい仕事をさせられる。
このような世界は どんなものか 想像もできない。
・・が、救われるのはこの主人公イチは 郭の学校で活き活きと学んでいること。
また その教師が人間的にすぐれた人で、遊女の生活を理解して教育していること。
イチが遊女となって世の中のことを知り、人間らしく生きていくのが頼もしい。
読んでいると 応援したくなる。
この本の中の遊郭「東雲樓」は 熊本で実在していた とか。
著者の村田喜代子さんは、わたしの好きな作家でもあり、読み応えのある小説だった。
【写真】 村田喜代子・著 『 ゆうじょこう 』 新潮社・刊
2013.4.25.発行 @1800e
すてきなガーデンカフェを見つけた。
次女と買い物の帰り道「コーヒー飲もうか」ということに・・
じゃあ先ほど車で走りながら目についた「ガーデンカフェ」に寄ってみることに。
すこし戻って、木々が美しいお庭のある店。
店主の自宅を改装してカフェにされたような・・?
午後の時間にはコーヒーに 手作りのデザートがついてくる・・
わたしは”わらび餅の 黒蜜きな粉かけ”をお願いした。
もちもち感が抜群、
冷たい甘味はコーヒーにもよく合って、おいしかった。
手入れの行き届いた和風庭園を眺めながらの、
珈琲タイム・・幸せなひとときでした。
友人の息子さんがギャラリーを開いている。
きょうから外国のアンティークアクセサリーの展示が始まるので行ってきた。
息子さんは木工家具作家が本職。
もう20年ほど前に、わが家の大きなテーブルを、
トチの樹で造ってもらった。
それ以来、飾り棚や 大皿立てなどの作品もある。
最近結婚されて可愛いい奥様もできたので、
展示品も雰囲気が変わってきたように感じた。
わたしはフランスのアンティークレースがはめ込まれたネックレスをわけていただいた。
久しぶりにお母さんである友人とも、
ランチしながらおしゃべりできた。
今朝は用事のついでに、自宅から30分ぐらいのところの喫茶店に入った。
カウンター席に、薄い紫系のピンクの上着に、とってもおしゃれな帽子をかぶった、高齢の女性が 独りで珈琲を飲んで居られた。
わたしの席から後ろ姿がよく見える場所だったので、「素敵な女性」と思ってた。
帰られる折りに立ち上がられたら80歳代の方のようで、
足もとも不自由そうで 杖を持っておられた。
あの年代になっても、独りでお茶を愉しみに外出されていることに感心した。
わたしはと言えば、よくモーニングには行くが、
いつも友か 家族が一緒・・。
独りではなんとなく行けない。
いつか「独りで食事やお茶に行かれないのは”大人”ではない」言った人がいた。
先日も ある友人が言っていた・・
「あと何年 生きられるかわからないが、おしゃれして、外出して、大いに楽しもうよ!」と。
・・自立した老後を目指して。
ことしも木曽川学が始まった。
一回目は法事の為、欠席した。
二回目のきょうは「美濃の 踏み返し鏡という鏡」について。
南山大学 名誉教授 伊藤秋男先生。
いままで 古墳には興味はなく、祖先が生活していた、
地面の中に埋まっている建物の址や出土する道具などは、
見ても それ以上におもしろくもなんとも無かった。
が、毎年この先生が個性的な話術で、
「埋蔵文化財はこんなに愉しい」と言われると、
「少しは しっかり見なくては・・」と思えてくる。
講演中に、教材の直径20cmくらいの神獣鏡が回ってきた。
手に持って拝見しながら
「ろくろで大皿を挽いて こんな紋様を描いたらいいなあ」
と考えていた・・
陶芸仲間だった友から
「私の友だちに、あなたと同い年で同じ学校を出たという人がいるよ」と聞いていた。
また他の同級生からも
「あなたと同じ市内のお寺のお庫裡さんになられた方がいる」と言われた。
わたしの出身校は中高一貫教育制の女子校で、
一学年に350人くらいいたので 全然わからない・・
きょう友に一緒に行ってもらって、直接対面することになった。
想っていた人とは違っていたが、高校の時の写真を見ながら、
共通の知っている人を見つけた。
残念だが、ご本人と同じクラスになったことはなかったが、
恩師や同級生の話しができた。
50年以上も前のことなのに、話しが弾み、
お互いによく覚えていたものだ。
帰路に 自宅でもあるお寺までクルマで送って行った。
小高い青龍山が借景となり、北には木曽川の清流が見え、
南に濃尾平野を眺望する絶景の地にあった。
北と南ではあるが、同じ市内に住んでいることがわかり、
再会を約束してきた。
( 深緑のお寺の庭 )