今年になってから植松三十里さんの本は3冊目。
気に入っている。
1964年東京オリンピックの200年前、
お江戸を沸かせた大イベント:
朝鮮からやってくる通信使にまつわる話。
通信使は将軍の就任を祝うためにやって来る。
そのことは知っていたが、
こんなににぎやかに迎えるものか・・
女性の歴史小説家:植松さん。
「唐人行列絵図」の出版公認をねがう家族愛の話しが あたたかい。
いつの時代にも母の愛が子どもを育てるのだなあ
【写真】植松三十里・著 『 唐人さんがやって来る 』 中央公論新社・刊
2013.7.24.発行 @1890e
今朝の新聞によれば
アラン・レネ監督が91歳で亡くなった。
フランスで生まれ世界中に人気があった、
ヌーヴェル・ヴァーグの名監督。
わたしは若いころ何本かこの人の映画を観た。
忘れられないのは広島でロケされた「二十四時間の情事」
(戦争と原爆という人間の行為を扱う・・)
この映画はわたしが二十歳のころの作品だったのだ。
その後何十年もずーっと忘れていた・・
新聞の追悼文によれば、90歳近くまで映画を撮り続け、
昨年はベルリン映画祭でアルフレ―レ・バウアー賞(革新的な映画部門)と獲られていたという。
友人が織物の展示即売に参加しているので、
楽しみに出かけた(富加町・究道館内・花久亀工房)
さをり織りの小物のほかにも染め物・押し絵などてんこもり。
手作り品はどれも よく出来ている・・
わたしは 赤紫色のマフラーをいただいた。
帰り道、何年ぶりかでギャラリーカフェ「やひろ」に寄る。
ここでは「京都職人の竹細工展」をやっていた。
プロの職人さんによる伝統技術の工芸作品で、
繊細でていねいな作品などは何十万円もする。
・・・ よい目の保養になった。
【写真群】岐阜県・”富加町郷土資料館「つちびな展」と町内ギャラリー応援企画「いなか舎」てくてくめぐり”から。
主催:あぜみち仲間 http://azemiti.web.fc2.com/ ・富加町住民提案型協働事業
これまで11年間もの長い間、
毎年「木曽川学シンポジウム」が開かれていた。
隣り町が事務局で、
主催している木曽川学研究協議会が解散するという。
今回でもって終了となるシンポジウム。
木曽川学セミナーの講師陣(8名)が次つぎとミニ講演された。
統一テーマは「木曽川の水害 ~むかしと今~ 」
(わたしにとっては むつかしい講義もあり、眠気も襲ってきた)
きょう一番心に残った話は・・
明治維新後招聘されて来日した、
オランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケ。
「・・水害を止めるには、治水工事の前に治山が重要である」
デ・レーケのことは、何年か前の木曽川学セミナーの講座で、
いろんな先生から聞いていた・・
” 山と川はつながっている ”
最近 日本での大雨被害をみていると、
デ・レーケの話しは真実だなあ と思った。
***
【このカット写真は「家庭画報」より】
雑誌(家庭画報)を見ていて、
ふと わたしもこんな掛け花を作ろうと思った。
黒泥の土を使用。
雑誌のと同じでは 芸がないので、
わたしなりに白化粧で少し模様をつけてみた。
庭からピンクのわびすけを 一輪・・
・・いかが。
焼成後が楽しみ。
何十年も生きてきて、コーヒーショップ(喫茶店)へ
ひとりで入ることはなかった・・
コーヒーを飲むときは いつも誰かと一緒・・
きょうは大型ショッピングモールで一時間ほど、
ひとりで時間をつぶさなければならなかった。
買い物にも飽きてしまったので、
コーヒーを飲むことにした。
岸恵子著の『私の人生 ア・ラ・カルト』を持参していた。
著者は年上ながら「喫茶店でよく原稿を書く」など
オシャレな生き方をされているので感服している女性。
わたしも今日は自分のブログの下書きを
コーヒーを飲みながら書いた。
ちょっぴり作家気取り ?
一度コーヒーショップで作文を書いてみたかった。
月一回の作文教室は 楽しみ。
皆さんの童話、エッセイ、小説ありと、さまざまなジャンルの
ユニークな原稿が発表されるので、毎回が 待ち遠しい。
きょうの教室で わたしはある本の感想を読んだ。
先生からいただく批評がドキドキだ。
「Tさん、この文はいいですね」と言われ、
ごきげんで 帰ってきました・・
【カット写真】 フクロウ(籐工芸)
今朝 新聞を開いて びっくり。
ベルリン国際映画祭の授賞式で、
『小さいおうち』に出演の黒木華さんが、
最優秀女優賞に選ばれた。
わたしは以前に
直木賞受賞作家・中島京子さんの
『小さいおうち』を読んでいた。
映画化されたので 見たいと思ってたので、
きょうさっそく見てきた。
黒木華さんの、しっとりと落ち着いた役(女中タキ)を演じたのに好感が持てた。
奥様の道ならぬ恋の邪魔をして、
死ぬまで悩み抜いた女中さん。
その晩年の役(倍賞千恵子さん)ら、
脇役陣がこれまた上手で見応え充分。
よい映画でした。
【写真】 中島京子・著 『小さいおうち』 文春文庫
2012.12.10.第1刷 @534e
植松三十里(うえまつ みどり)・著
『 調印の階段 』 PHP研究所・刊
植松三十里・著 『 おばさん四十八歳 小説家になりました 』の中で、これから書くと紹介されていた本。
日本史上で最も不名誉な”仕事”を買って出た男の、
重光葵(しげみつ まもる)(外交官)のことを小説にした本。
わたしは重光葵という男性(明治16年生れ)を知らなかった。
本書を読みながら
日本にもこんなすごい方がおられたと何度も尊敬した。
敗戦後の外務大臣としてGHQと向き合い、
占領軍の軍政を排し、国体を護持できるとの草案を導き出す。
マッカーサーは降伏文書調印の際、重光氏のことを
「こんな切れ者の外務大臣を相手にしようとは予想もしなかった」と言ったとか。
上海勤務の時期に片脚を失い、悶々と日々を送っていたとき、
支えたのは生まれたばかりの娘と亡き母という。
こんなに強い人にも、やはり支えたのは家族だった。
色褪せた久留米絣(かすり)の着物を着たお母さんが生きがいだったのですネ。
本書を読み終えて重光葵のことをもっと知りたいと思った。
また昭和史を勉強せねばと思い、取りあえず中公新書 渡辺行男著『 重光葵 上海事変から国連加盟 』を Amazonで注文した。
【写真】植松三十里・著『 調印の階段 』PHP研究所・刊
2012年8月22日 第1刷第1版発行 @1900e
用事があるけれど すぐに終わるからと、
家人が言う。
それなら近くにある三井ショッピングパーク”ららぽーと磐田”で、遊んで待っていることにしてついて行く。
ららぽーと磐田(高見丘工業団地)一帯は茶畑だったという。
今も周りはず~っと茶畑。
家から東名高速道路を使って2時間。
”ららぽーと”は若向きの店が多く つまらなかった。
が、無印良品の店や 大きな本屋、雑貨店は
時間を忘れるほど楽しかった。
ここを出て少し足を延ばして、日本平PA(静岡市)まで・・
冬晴れで 雪をかぶった富士山もよく見えて 満足。