梅雨明け直後の頃は、食べごろに育った野菜を目こぼしで採り忘れていると、一日でびっくりするほど大きくなっている。
赤オクラは 普通に収穫するときの3倍になっていた。
これは 筋が固くて とても食べられない。
ゴーヤ、キュウリも、2倍の大きさになっているが、こちらは味に変化無く 食べられる。
時々こうした お化け野菜が ぶらさがっている。
家庭菜園ならではの 笑いの種・・。
以前、とっくり(徳利)を集めていた人がいた。
200個以上集まったので、展示するところを探している、と言われた。
明治、大正時代のころは、酒を買いに行くと 酒屋さんが とっくりに入れて売ってくれたという。
容れ物のとっくりは酒屋さんのもので、中身の酒を量り売りしてくれてたものらしい。
それゆえにとっくりには 酒屋の屋号が書かれている。
何合入りかわからないが、高さ28センチ、胴回り23センチ。
先日、実家に行ったとき、兄が何処で手に入れたか たくさんのとっくりを持っていた。
「欲しければいくつでも持っていけ」というので、「井筒屋」と、読めないが「ヤマ覺」と書いてあるのをもらってきた。
さあ 何にする?
満月の夜、萩とススキを入れて、団子でも飾ろうか・・。
どちらも 色 艶がよく、唐津焼のような趣きがあり、見飽きない。
ほおずき。
ナス科の多年生。
雨あがりの庭に 橙赤色の ほおずき が光っていた。
遠い昔 小学生のころ、
ほおずき の袋から種子を取り除いて皮だけにしたものを 口に含んで膨らまして鳴らして遊んだ。
ほおずき を見ていたら、鮮明に思い出した。
あの頃は ガーデニングなどとおしゃれな言い方では無く、
近所の畑の片隅に いくらでもなっていたなあ。
なつかしい。
市民活動助成金対象事業のひとつとして、~みんなでつくろう~マミーズ広房「たまてばこ」と名づけた子育て支援の会がある。
夏休みのイベントの一つとして「親子で楽しく陶芸にチャレンジしてみませんか?」の講師に頼まれた。市の広報で募集するという。多人数は無理なので10組の親子に限定してもらって引き受けた(実際は11組)。
ほとんどの親子が初体験ということで、タタラで皿を作ってもらい、残ったら粘土遊びのつもりで好きなものを作ってもらうことにした。
小学校の低学年の子が多かったが、 きれいに出来上がっていた。
アンケートを見せてもらったら、全員が「おもしろかった」に○がついていた。「また やりたい」と記入されていた。
わたしも楽しかったけど、目が回る忙しさで 疲れた。
三田誠弘・著「 堺屋太一の青春と70年万博 」出版文化社・刊
「堺屋太一・という人が作家であり、人気の経済評論家であることは知っていたが、これほど未来予測ができ、日本の将来を見極めれた人とは思わなかった。
「70年万博を成功させた人」ではあるが、当時 月給4万円の時代に、ふるさとの商工会議所の調査予算をとるために、資料づくり代として400万円もの私費を投資したりして、万博が生まれたのだとは、知っている人も少ないでしょう。
「団塊世代」ということばの生みの親である。いまから40年も前に「団塊の世代」の世が来ることを、予測されていたという。
これは70年万博の時 観客の動員を考えていて、そのころの高校生の数が多いというところでヒントを得たということは、驚きだ。
夏の朝、二日間、5時に起きて 読み終わった。
<写真> 三田誠弘・著 「 堺屋太一の青春と70年万博 」出版文化社・刊。 平成21年3月29日 初版発行。@1429e
あさ 9時から 流しそうめん用の「そうめん」をゆでる。
子ども80名分と、大人のスタッフ用30名分のそうめんは、3人がかりで1時間かかる。
あいにく小雨が降り続く中、庭に張ったテントの中で 決行。
ことしで3回目なので、竹の樋の傾斜の付け方も上手になり、きれいに流れる。
子どもたちが「うめぇ」「おいしーい」と口々に声を出す。
ゆでたほうも やりがいがあった。
夏のたのしい思い出のひとつになれば うれしい。
年1回「外国の友達と交流し、いっしょに ふる里の祭りに参加しよう!」というオープン講座を開く。
毎年、ボランティアとして手伝っている。
ことしは開会セレモニーに続き、和太鼓の演奏、フラダンス、ペルーの歌など、盛り上がりを作った。
夕食は地元の婦人会の指導を受けながら、「世界をつなぐ長ぁ~い巻き寿し」作りに、全員で挑戦した子どもたちは、目をきらきらさせて初めての巻き寿し作りをしていた。
大人は、本当に食べられるような、きれいな巻き寿しができるのか、心配していた。
思ったよりきれいに巻けて、味もよく 大成功!!
異文化、ものつくりワークショップの「折り紙」講座を受け持った。
近ごろ 折り紙などしたことがなかったので、本を買い勉強。
ふうせん、舟、セミなど簡単なものは 教えられたが、
高学年の子が、コマとか、花など、2枚、3枚使って、上手に折るので、教えてもらう。
ペルーのお友だち・本学4年生の仲良し二人。
スペイン語と日本語でおしゃべりしながら、折り紙を折る。
「どっちの言葉を よく使うの」とたずねたら、
ひとりの子は「ママと話すときはスペイン語。パパとは日本語だよ」と、
かわいい顔で目をくりくりさせながら 話してくれた。
異国の、祖母と孫(他人だが)の会話は、面白かった。
ボランティア仲間のSさんは、和太鼓の達人。
きょうは「外国の友達と交流し、いっしょにふる里の祭りに参加しよう!!」というイベントで演奏された。
(子ども大学国際理解オープン講座 ふる里交流。 楽田ふれあいセンター)
Sさんは 大好きな和太鼓を持ち、衣装もピシーっと きまり、
たいへんうれしそうな いい顔をされていた。
わたしのブログにコメントを下さったりもするので、
「ブログに書いていい?写真も」とお願いしたら「どうぞ」と言ってくださった
近い将来 定年。 時間の余裕ができたら「和太鼓教室」を開き、子どもたちに教えたいそうだ。
きょうのイベントでは、外国の子どもたち20名が参加。
「日本の楽器」を感じたようだ。
日本経済新聞(朝刊)「私の履歴書」7月は、加山雄三氏。
一ヶ月間 毎朝 楽しませてもらったが ついに 終わり。
72歳までの人生は、 この履歴書を読むまで、
親の七光りも影響して、芸能界で順調に活躍してきた人だと思っていた。
毎朝 読むにつれて、倒産やケガなど苦労も多く、 努力をしてきた人だと わかった。
いまも 輝いておられる所以。
やはり この人は“永遠の若大将”。
現在の若いタレントで この人を超すような人はいないだろう・・・・かな。