*
わたしには娘が三人、孫娘が四人居る。
隣り家に住む長女が「八人の女子会で京都へ一泊旅行しよう」と言ってきた。
ほかの七人は、すでに日程も調整済みだと。
「京都か。久しぶりに行こう」
さっそく八人のグループLINEが組まれた。
「どこにでも付き合うよ」と打ち込む。毎夜LINEが飛び交った。
当日は三か所から出発し、片道二時間ほどのドライブで行くことになった。
梅雨入りした週末。長女と孫の車で出発。
小牧ICから先ずは合流場所のの養老SAへ。道中雨にも降られたが、二時間弱で京都東ICを出るあたりからは傘要らずとなった。
計画どおりお昼前、予約のランチに充分間に合った。店名を染め抜いた、長い暖簾がかかった古民家。京都のおばんざい屋「おくどはん」。京野菜の料理と、おくどで炊いた米が評判。高校生や大学生の孫も「ごはん、おいし~い!」。
午後は別行動。それぞれ自分好みの店や観光をして、三時間後に駐車場で落ち合う。
わたしと長女は寺町三条のアーケード街をめざす。途中「天性寺」では真っ白なアジサイが目に入った。境内東の端の鎮守社に旅の無事をお詣りしたあと、十分ほど歩いて錦市場。めずらしい食材を味見したり、「有次(ありつぐ)」で台所用品を買った。調理器具は大好きだ。
今回のお宿は左京区八瀬(やせ)。若狭街道沿いで、比叡山麓西の高野川の渓谷を望むところ。
夕ご飯まで娘たちはよくしゃべりし、孫たちもにぎやかに笑い転げる。
それを見ているのもいいものだ。
翌朝早くホテルの広い庭で遊ぶ。飛んだり跳ねたり子どもみたい。売店でお土産を買う。社会人の孫二人は職場の人たちに気を遣(つか)う。
九時、宿を立ち「清水寺」へ。日曜日でもあり観光客であふれている。駐車場所をやっと見つけ、参道の長い坂を上る。雨上がりで寺のまわりは深緑がきらきら光る。
坂の途中に龍村織りの小物屋を見つけ、入る。女性店主が中国人風の男性客と英語で話していた。あとでわたしは「英語、上手ですね」と話しかけた。「最近は三割くらい外国人のお客さんだから」「フランス語、スペイン語も少しならネ」と。おもしろい会話に、つい買ってしまった。
孫娘たちは「大きくなってから、いとこ同士がこんなに長い時間一緒に居られて、よかったわ」「姉たちに甘えられたよ」と少し照れていた。娘たちは「身内の者だけで、とことん気楽な旅だった」と喜んだ。
あしたからまた八人の人生はどんどん変わっていくことだろう。いい思い出が人間を豊かにしてくれる。 (R1.07.21.)
*
*
ことしの「よりみち探偵団の研修旅行」は金沢へ。
JRで名古屋駅から三時間あまり、正午すぎに金沢へ到着。
よりみちの仲間は食いしん坊ばかりで、さっそく近江市場で海鮮丼で昼食。1時を過ぎていたが、どの店も満席状態。
そのあと2時間を散策した。
今夜の宿は街なかのゲストハウス。
玄関は黒い格子戸の前に布のれん。白地に黒字で「あかつき屋」。今夜は貸切りだという。
中へ入るとすぐに、
「わあ いいなあこの建て方!」
築85年という町屋造りは柱も黒光りしている。
「腕の良い棟梁、大工さんで、建て方がしっかり。狂いは無いですね」と。
経営者のHさんは顧問先生の古くからの知人。
もと新聞記者。まちおこしに関心があり、7年前町屋を探してゲストハウスに改装された。
「よく気が付きましたね・・」
そうなんです。わたしは材木屋の娘です。
それと建具がどれもユニークで、今では見られないほど細かいところまで腕のよさが見られる。
置かれていたゲストハウス利用者書き込みノートは、個人の感想文や描かれた絵で読み応えがある。読み通すには時間が足りなかった。
翌日は前日から決めていたカフェで朝食。そこのシェフが外国人。お客もわたし達のほかは外国人ばかりで、金沢も外国人の観光客でいっぱい。
長町武家屋敷跡は27年ぶりに訪れた。
兼六園は雨降りだったが、紅葉は真っ盛り。
21世紀美術館は時間が無くてカット。
一日フリー乗車券のおかげでラクラク観光できた。
************************
作文教室の金森先生が美濃加茂市中山道太田宿の宿跡小松屋で、講演された。
昨年の暮れから楽しみにしていた。
題して「岐阜と川端康成」
~岐阜に川端康成の原点を探る~
先生は作文教室でも時どき川端康成の話しをしてくださり、川端文学をわたしも身近に感じていた。
岐阜に関係した伊藤初代との実話も話していただき、優しい語り口で2時間楽しんで聴かせていただいた。
第2回「小さな朗読会」
3月18日(土)午後 「ぎゃらりぃ木屋」
昨年に続き今年も「小さな朗読会」が開かれた。
いつも親しくしていただいている佐々木珠美さんが「希望の牧場」(森 絵都/作)を熱演。
この作品は原発事故被害に会った牛の話で、内容も深く考えさせられる。
語りも、内容に合わせた珠ちゃん独特の口調で心にひびきました。
ほかに3人の出演者も、それぞれ個性あふれる語りで楽しませていただきました。
第Ⅱ部の宮沢賢治/作「注文の多い料理店」は、4人の語り手での朗読でした。
あのようにそれぞれ分けて語られて おもしろかった。
何年経っても、名作はいいですねえ・・
* 犬山新婦人「朗読を楽しむ会」主催
きょうは よりみち探偵団(女子会)の日
三月は ひな祭り。
第11回「人形小路 雛めぐり」で
高浜市 吉浜地区へ行ってきた。
顧問先生の知人で、吉浜まちづくり協議会の人に、案内をしていただいた。
平日でもあり、半日かけてゆっくり見学できた。
江戸時代の雛人形は衣装の品も良く見応えがあった。
サロン「ぽっぽっぽ」でランチ。
この吉浜地区は「鶏めし」が得意(B級グルメ全国大会入賞)。おすすめの「鶏の五目御飯」をいただいた。
吉浜人形店では、江戸時代の豪華な雛人形や、5月子どもの日の飾りを楽しませてもらった。
・・また、女子ばかりでも出かけよう・・・
自衛隊駐屯地・音楽まつりへ行ってきた。
「陸上自衛隊春日井駐屯地 創立五十周年記念 音楽まつり」
(二カ月近く前から、往復はがきで入場整理券を求めて応募したら、さいわい当選したので)
出演団体の中に春日井西高校吹奏楽部がある。孫がこの学校この吹奏楽部で頑張り通していた。
あの頃を思い出しながら聴かせていただいた。
陸上自衛隊第10音楽隊(守山駐屯地)
春日井駐屯地らっぱ隊
三河陣太鼓(豊川駐屯地)
十施桃陣太鼓(春日井駐屯地)
そして部員80名の 春日井西高吹奏楽部
どれも個性が光り、見応え、聴き応えがあり、たっぷり二時間は 短かった。
きたむらおさむ著『コブのない駱駝』
二ヵ月ほど前に、新聞でこの本の書評を読んだ。
著者は伝説の音楽グループ:フォーククルセダースのメンバーだった男性。
その後、名前は覚えていたし、精神科医となったということくらいは知っていた。
今の現実の社会では、一つの山を征服するだけではなく、どの山にも登れるようにする。
小さな山に登って降り、大きな山には車で上り下りする。
「コブのない駱駝」という曲(作詞・北山修、作曲・加藤和彦)は、著者が一番言いたかったことでしょうか。
著者自身が作詞家、精神科医、大学教授など、いくつもの波乱に満ちた人生。
そこも面白くて、のめりこんで読んだ。
【写真】きたむらおさむ・著『 コブのない駱駝 』
~きたやまおさむ「心」の軌跡~ 岩波書店・刊
2016.11.17.第1刷発行 @1800e
*
たった一人の兄が亡くなった。
半年ほど前から体調が悪く入退院を繰り返していた。義姉から「また一度会いに来て」と連絡が来た。そのときは、きっと兄は「遠いのにたびたび来なくてもいい」と強気に言うだろう、と思っていた。
病室に入ると点滴を受けており、胸のあたりがぜぇぜぇと音がして苦しそうに見えた。手の甲、足の甲と脛(すね)は腫(は)れて、指で押すと戻らずそのまま凹んだ。腎臓が働いていない。額に手を載せると「冷たくて気持ちがいい」とつぶやく。声をかけると「遅かったなあ」と言う。こんな返事が返って来るとは思わなかった。病室を出ると弟と夫が「弱ってきたねぇ」「あと一週間かなあ」と。
八日後、死を迎えた。葬儀屋さんにせかされるように、段取りよく兄は居なくなってしまった。
私より六歳上なので一緒に遊ぶことはなかった。小学生のころ、いたずら坊主で、よくクラスの女の子を泣かせ、掃除当番をサボっていたそうだ。「また学校に呼び出されて注意を受けた」と母がぼやいていた。親の反対にもめげず、好きな窯業の学校に行った。それでも結局は父の家業を継ぎ、順調に商売を拡げ、従業員と家族を守り、周りから慕われていた。
葬儀後、家族や親族それに親友らで会食。
酒が入ると上機嫌になり、なんでも人にあげてしまう、という話題で盛り上がる。いとこから「よくカラオケで歌っていたよ」と聞かされた。私や弟は「兄が人前で歌うなど知らなかった!」兄の子どもたちも知らないという。独身時代に兄はギターを弾いていた。私が寝る頃になると弾きはじめるのでうるさくてねぇと話すと、親しかった人も「そんな一面もあったのかぁ」と不思議がった。
昨年の暮れ、私の作陶する小さなお地蔵さんが欲しいというので届けた。「だれにも遣(や)らないで家(うち)に飾っておくから」と先廻りして言う。亡くなったあと、兄と親しかった人から「かわいいお地蔵さんを貰ってねぇ」と聞いた。「人のうれしそうな笑顔を見るのが好き」と兄はよく言っていた。家業もよい時代に恵まれ、好きなことができ、幸せな人生を終えた。
妹の私からは「ま、いいか」と思えてきた。
(おわり)
きょうは よりみち探偵団の新年会
毎年 よりみちの最初の日は初詣でする。
歩いている人に頼んで全員の記念写真を撮ってもらう。
その後 新年会の食事会。
ことしは韓国料理。
ナヌル、チヂミ、チャプチェ、韓国式雑煮・・など
どれもおいしくて 大満足。
話題も豊富で、長い時間 楽しかった。
おめでとうございます。
元旦には長女、次女、三女の家族も集まり
お祝いしました。
11名
(一番大きい孫はあいにく年越し当直勤務)
結婚して51年。
家族も皆んな健康で過ごしていることは
何より幸せかな?
ことしも韓国に遊びに行きたい。
いま 一番の楽しみは エッセイ教室に行くこと
藤工芸教室に行くこと
よりみち探偵団で歩き学ぶこと
・・・
*
:: 次のページ >>