幼な児が、「春は何処まで来ているの?」と。
・・・・?!
「よし! 春を見つけに行こう!!」
田んぼの とある畦道へ連れて行った。
見つけた!
狙った通り、頭を出していた!
そう、つくし(土筆)。
面目が立って、好かった・・。
犬山・羽黒 八幡林の戦い 古戦場(小牧長久手の戦いの緒戦)
勇将・野呂助左衛門碑・野呂塚保存会の取り持ちで慰霊祭が行われた。
野呂公の子孫尾ご一族と、地元地域の野呂塚保存会会員。
羽黒小学校長、町内会長会、市長、県議、市議のみなさん等。
朝から晴れあがった青空の下、粛々とすすんだ。
犬山市内のコンクリート工場敷地(工業用地)を市が購入して、体育館&公園施設を造る・・総投資額40億円規模と市政報告で聞いた。
7万人規模の地方都市が、室内新体育館に40億円も投資するかなあ。(30万人規模の都市並みに背伸びする必要があるのか)
**********
(3) 仮に40億円規模で投資の腹をくくるなら、犬山城下の名証グランドを全部買い上げて、3000台規模立体駐車場(”犬山ドーム”)の確保こそ、喫緊の課題ではないだろうか。
うち1000台は城下町住民・事業者の優先有料駐車場。残りを外来流入者に時間貸し駐車場。100年の計の基本プランを!
城下町隣接地に大型駐車場を持つ観光都市の強みを持とうよ。
アクセスは小牧東IC~パークウエイ官林~犬山ドーム立体駐車場~西谷~新愛岐大橋。四日市交差点~41号~小牧IC。高架とトンネルで。
資金は補助金・起債と、市民債などファンド創設などやる気があれば開けよう。
犬山市内のコンクリート工場敷地(工業用地)を市が購入して、体育館&公園施設を造る・・総投資額40億円規模と市政報告で聞いた。
7万人規模の地方都市が、室内新体育館に40億円も投資するかなあ。(30万人規模の都市並みに背伸びする必要があるのか)
(2) 50年前 美味しいお米が採れる美田をつぶして誘致したコンクリート工場敷地。美しい水田・里山に囲まれた立地。
ハコモノよりも農林商工連携の新業態開発など、市民や農林業界・商工業界が夢の持てる利活用案を、時間をかけて広く提案公募したらどうか。貴重な工業用地を失いたくない。
企業誘致で法人税収入が期待できるもの(現行税制では本社所在地で納税するから、本店は市内が必須条件)を、
できれば地元の農林商工が連携・活性化できる起業創業が期待できる新産業の創業・新規設立を 誘導するほうが、次世代に夢を残せる。
資金は補助金・起債と、市民債などファンド創設などやる気があれば開けよう。
犬山市内のコンクリート工場敷地(工業用地)を市が購入して、体育館&公園施設を造る・・総投資額40億円規模と市政報告で聞いた。
7万人規模の地方都市が、室内新体育館に40億円も投資するかなあ。(30万人規模の都市並みに背伸びする必要があるのか)
10いくつもの公立小中学校の体育館の有効利活用を考えてから、新体育館(室内専用競技場)建設の是々非々を、もっと広く深く論じたらどうか。
(設備投資効率からみたら「学校設置基準の室内運動場」ほど稼働率の悪いものは無い)
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(1) 教育の聖地、管理責任など、できない理由議論より、
学校教育・地域教育、子ども未来園・小中学校・社会人&高齢者の体育・徳育・共育の交流・絆づくりこそが、教育の犬山のテーマ。わが郷土:犬山のアイデンティ、100年の計であるはずで、4年ごとにコロコロ変わるものでは無いはず。
(知育・体育・徳育・生涯学習、幼青壮老の交流共生そが、まちムラの活性化・幸せな郷土だ、と思う。=学ぶ・まねる・遊ぶの場づくり=)
ニーズのある競技種目の必要充分サイズで、中規模室内体育館 兼”幼老交流・児童センター” 兼広域避難所="寄り合い処"=を、いくつも分散配置(建設)するのが、住みよいまちづくりじゃないかなあ。
資金は補助金・起債と、市民債などファンド創設などやる気があれば開けよう。
またまた、東名阪高速道路。 大山田PA.
ここにも、「高速道路に 桜前線」の案内看板がある。
東海環状自動車道の、美濃加茂ハイウエイオアシス、 鞍が池SAなど、NEXCOのSA,PAで よく見かける。
全国のハイウエイのパーキングエリアには、その土地その山の山桜が植えられているが、NEXCOでは、意識してソメイヨシノも植栽しているらしい。
そして、高速道路の桜前線の北上を、愉しませてくれる。
ここ、北伊勢の大山田PAでは、「ソメイヨシノの開花は、3月27日、満開の見ごろは4月3日」と 記されていた。
さあ、ことしの春は、いつ開花するかな・・。
東名阪高速道路。 大山田PA.
もう一つ 発見があった。
飲食・物販サービス棟からも離れたところに、喫煙コーナーがある。
ここで発見・・・・、
「猿 出没 注意」!!(?)
いたずらではない。 急遽 設置された看板だという。
ここのパーキングエリアは孟宗竹の里山を削りとって、造られた。
ことしの冬は4~5回以上に、積雪5~20cmに見舞われた。
山肌も雪に覆われて、猿やらタヌキやらも食べ物に不自由しているらしい。里山から里地ならぬ、パーキングエリアにまで エサを求めて出没を繰り返しているらしい。
東海北陸道、中央道、北陸道辺りでは、山中であちこちに「動物に注意」の標識看板に出くわすが、 北伊勢の桑名市で「猿出没注意!」とは・・。
東名阪高速道路 大山田PA。
喫煙所コーナー脇に見つけた・・・・。
「ホウライチク」の目隠し垣根。
裏の山手は手入れの行き届いた孟宗竹の竹林だというに、
わざわざホウライチクで目隠しするように、植栽されている。
「蓬莱」とは、仙人が棲み家とし、不老不死の地とされる霊山。
宝來とも当て字されるほど めでたい名前。
日本古来の竹ではなく、火縄銃渡来とともに東南アジアから来た(と思う)。 つまり、肉厚3~8mmの大きいこの竹は、棹竹の繊維を取り出し、火縄銃の火縄の材料として使われ、火縄銃が各地に広まるとともに列島各地で”栽培”された。
ほかの竹のように地下茎で縦横に増えるのではなく、株立ちする。
庭の目隠しや、添景として、防風垣根、建材としても重宝な竹。
肉厚が厚くて、水に入れると沈むほど。
篠笛の材料としても、大事な材料である。
おらがムラの神楽保存会の祭り笛も、この竹を伐り出し、2年もかけてゆっくり含水率を10%ぐらいに下げてから、笛作りに使っている。
東名阪高速道路 上り線大山田PAで 小休止。
小正月前のどんど焼き(左義長)を思わす「ぼぉ~んっ!」「ボォンッ!」・・。かすかに煙りの匂いも。
PA横の里山は、一帯が孟宗竹の竹林が広がる。
(孟宗竹畑の里山の裾野を削り取るように高速道路を造った)
タケノコがそろそろ頭をのぞかせて来る時節を目前に迫る。
竹林農家の人が収穫しやすいように片付けながら「手入れ」中。
間引いた竹を、焼却しておられた。
よく観ると チェーンソーで間引き伐採をしながら、すぐ焼却。
(う~ン、芽だし直前の間引きが適時だったかなぁ?)
孟宗竹を、竹細工師が、ざる・竹籠など生活道具・用具、敷物など作り物の材料にするなら仲秋の月見あとの新月の日に伐採する、と思っていたが。
竹林の手入れ。
文字通り、過密になってきた竹林の間引き伐採をし、根元を片付けて、陽射しを地面まで届かせるように「手を入れる」。
木漏れ日が地下茎の地温をあげて、
たくましく 頼もしい「タケノコ」が生まれてくる。
タケノコの初物~旬のものが、待ち遠しいナ。
「牛鍋丼 はじめました」
ファストフード店の看板。
(ン? 牛丼では ないのか・・)
きょうの腹ごしらえに 食べてみる。
なつかしい味だった。 おいしかった。 これなら行ける。
・・・すきやき定食の ぶっかけ丼だ。
店内には「追っかけ小鉢、はじめました。」のポスター。
つまり「煮込んだ豆腐とか、生卵の”トッピング”小鉢です・・」
若いスタッフさんの言葉が 妙に分り易かった。 納得。
@280とは。
つぎの集客主力メニューに する気だな。 こりゃ本気だな。
・・明治32年、日本橋の魚河岸ではじめた「牛鍋の ぶっかけ丼。なつかしい味を再現しました・・」とも。
これまでの「牛丼」は @380で、もとの価格ゾーンへ戻ってた。
某中核都市。 生涯学習・市民総合大学的な講座を垣間見た。
設置者は市区町村の行政で代表は首長さん。
指定管理者・運営は社会福祉法人・**市社会福祉協議会。
その講座は、美術学科、文化学科に類する学習内容もの。
学習目標は「言語・文芸・歴史などの学習を通して、人間の営みや生き方に触れ、美意識やものの見方を深めて、生活の充実をはかります。」
あるいは「美術の各領域にわたる基礎的な知識と実技の基本を通して、美術に親しみ、鑑賞力を養い、日常の生活を豊かにします。」
(この稿の対象とは異なるが、参考までに、名古屋市高年大学鯱城学園の案内パンフから引用する)
美術館・博物館・世界文化遺産・名所旧跡を巡って、絵画・彫刻・文化的建物などの紀行報告を軸にした講座が、続けられた。
講座が終わって、ひきつづき講師を囲んで茶話会が和気あいあいにすすむ。
参加者は、企業戦士でがんばり、年金受給開始年齢で退役し、悠々自適の世界に浸っている男性と、その専業主婦で熟年生活を謳歌しているふうな方々が多い。
「・・・生活の充実をはかる」「日常の生活を豊かにする」を地で行くよう。市バス地下鉄(高齢者)無料パス・割引パスの話も聞こえ、外出にも不自由しない、”元気な高齢者”。
・・舞台裏で控えていて、気になったこと。
子どもや孫の話しが出て来ない。 地域の幼児・児童・生徒・若者とのふれあい・交流の話題は出ない。
もっぱら自分自身が、本物の文化・芸術作品に出会い触れること(だけが)関心事であるようだこと。
次ぎの世代に語り伝え、見聞を広めさせ、体験交流をする方向に、なぜなっていかないのだろうか。
自分ひとりが愉しみ、燃焼し尽して行く。
これが高齢者の生涯学習の一面だとしたら、長寿して若い次世代に社会保障されていることを、なんと受け止めているのだろうか。
「ごくろうさま!」と会場から送り出されて、妙に落ち着けなかった一日。
コーヒーショップ&FC展開の「珈琲所 コメダ珈琲店」。
不案内なところへ出かけたときにも、この店は 気軽に入れる。
珈琲店ゆえに「珈琲の味・香り」にはこだわりがある。
創業以来「コーヒーを大切にするこころから」がモットー。
ご当地では、業界の常識、生活様式にまで浸透した「モーニング・サービス」もある。 厚いトーストにゆで卵付きとオーソドックスだが、すっかり固定客を増やし続けている。
お店のコンセプトが手堅い・・:
「ご家庭の応接室やリビングのように、お客さまの日常に溶け込むこと」にこだわり続ける。
FC店オーナーの経営意欲の高さを引き出すFC本部の事業継続戦略も 手堅い。
開店初期投資の回収支援もさることながら、FCロイヤルティは「席数に応じた定額ロイヤルティ」だけ。
FCオーナーとしては、やる気・努力・進化への研さんを積めば積むほど、やりがいが増す。
FCチェーン本部の営業支援なども充分だろうが、単純明快な家族経営陣、一族で複数店舗展開へ、などすそ野が広がっている、とお見受けする。
ファミリーレストランとは違う、ファーストフード店とも違う。
コーヒーカフェ、カフェギャラリーとも違う。
まさに「わが家の応接間、リビング」代わりにと、しっかり根付く。
ランチタイム開けに、ちょっと「仕事部屋代わり」「ネットカフェ代わり」に、御愛用中である。
【写真】 珈琲所 コメダ珈琲店 ホームページから。
ちょっと お茶しながらひと仕事というとき、重宝なお店。
コーヒーショップ&FC展開の「珈琲所 コメダ珈琲店」。
創業者・加藤太郎さんが名古屋市瑞穂区で「コメダ珈琲店」を始められ、(のれん分けのようなスタイルに見えたが)あちこちに「コメダ」のお店が増えた。
営業であちこち回ると、よく見かけていたが、土地バブル、株式バブル、財テクバブルで世の中が凹んでいたころ、FC展開を始められた。
たまたま、スーパーマーケット、ドラッグストア、外食チェーンなどロードサイド・チェーンビジネス展開の立地調査、物件開発関係の仕事に多く関わっていたころで、コメダ珈琲店FCの物件探しと よく競合した。
以来順調に事業を進められ、今では関東~甲信越~北陸~東海~関西に380店舗規模にて、盛業中。
ランチタイム開けに、ちょっと「仕事部屋代わり」「ネットカフェ代わり」に、御愛用中である。
【写真】 珈琲所 コメダ珈琲店 刈谷恩田店にて。
伊勢湾岸自動車道 刈谷PA:刈谷ハイウエイオアシス。
仕事柄、毎週ここで一服。 立ち寄りたくなるSAの横綱格。
愛煙家としては、いささか不満があった。
分煙!はいいが、喫煙コーナーの指定場所が、いかにも冷遇。
物販飲食棟から離れた通路わきに、灰皿スタンドが2基。
炎天下で屋根も無し。囲いも無し。ベンチも無し。
先日の雪降り日にも、雪の降る中、立ちん棒で一服。
遅ればせながら(?)、屋根付き風邪除け付きコーナーができた。
ちょっとはこころづかいしてもらえたかな。
刈谷ハイウエイオアシス(伊勢湾岸自動車道PA)
高速道路からも、一般道路からも利用できる複合パーキングエリア。
各地に大型のサービルエリアとして、あちこちに在る。
多くは高速道路建設用に山土を掘り出した跡地で、眺めがそこそこ良いポイントに造られる。
高速道路利用者には都合よくても、通過する地元の道路網や生活者利便のことは無視されて位置取りされている。
ここ、刈谷ハイウエイオアシスは、平野部の平坦な場所。
しかも足元では県道など生活道路、物流往来車の多い場所で、高速道路と立体交差する山林地に造成・建設されたようだ。
セントラルプラザと名づけられたゾーンでは、ン百台相当の広い一般道側にも駐車場を構えている。
一階には「産直市場おあしすファーム」の食品市場(売り場面積200坪相当)がある。
高速道路利用者も、産直商品をショッピングするが、
何より一般道から利用するお客さんの数が半端ではなく多い。
近隣には食品スーパーも無いようで、毎日、繁盛している。
その一般道駐車場側に、「自転車 駐輪場コーナー」が在る。
その斬新なデザイン、機構に おどろいた。
建物前の広場であり、芝生張りのベンチとして休憩場所であり、
自転車駐輪所なのだ。
「北方領土に攻撃用ヘリ配置~ロシアが計画~」
こんなベタ記事が 2011.2.11.日経朝刊6面(国際面)最下段に13行で報じられた。
その内容は抽象的で なにか刺激することをおそれている風情ありあり。
********
しかし今はネット情報が豊富で(記者クラブ系テレビ・新聞の既成メデイアに頼らずとも)いろいろ情報があふれている・・。
インターファクス通信の、ロシア国防省、ロシア軍マカロフ参謀長の表明からは、北方四島の軍事要塞化促進の意思が強い・・:
* 択捉島に4000㌧級岸壁の建設。国後島に3400mの滑走路を持つ基地建設、自動車化し高速移動を可能な戦車隊増強、対艦ミサイル配備、射程30km級防空システム配備、そして「攻撃用ヘリ・輸送用へりの配備」など。
* (2010.9.7.尖閣諸島中国漁船侵犯事件への日本政権の対応力の足元を見極めたかのように)2010.11.1.メドベージェフ・ロシア大統領が北方領土・国後島を視察。
* その後、第一副首相、国防次官、地域発展相とつづき、2011.2.4.セルジュコフ国防相が択捉・国後島を視察。
* 2011.2.10.ロシア国防省が上記の国後島・択捉島に関する軍事要塞化を表明した。
2月11日(12日も)前原外相がモスクワでラブロフ外相と会談するも、1945年8月ソ連軍が進攻・占領したもので、敗戦国ニッポンは主権を放棄したもの、との主張を譲らなかった。
日本ロシア間には、戦争を終結させる「平和条約」は未だ締結されていない。
2006.8月、ときの麻生首相が訪ソしたときに二島先行返還など協議再開の兆しがあったが、帰国後の国会で「ロシアの不法占拠がつづき・・」発言で、ロシアは硬化、協議再開は霧消した。
その後「北方四島の産業開発・経済開発に日ソ両国が一緒になって開発しよう」とのサイン発信がうかがわれたが、2010.9.前原外相の「北方四島は日本固有領土で”領土問題は存在しない”」発言、2011.2.7.菅首相の「ロシア大統領の国後島訪問は”許しがたい暴挙だ”国会発言が、前原外相のモスクワ訪問の手土産となってしまった。
******
3年間余で首相の顔が5人も入れ替わるニッポンに、いまは敗戦国ニッポンと「平和条約締結の交渉相手は居ない」とロシアは認識していると、ロシア通(元外務省欧亜局長東郷和彦氏や、7年間も駐日ロシア大使を務めたパノフ氏)は嘆く。
ロシアはまた、北方四島の産業振興・経済建て直しに中国・韓国の投資を歓迎する とも、あからさまにこの時期に公言する。
「北方四島の産業開発・経済開発に日ソ両国が一緒になって開発しよう」とのサインは、いまも本音では願っている・・と思われる。
現政権発足後も、外務省筋などから「新しい、独創的な外交・通商・経済手法を編み出して」「日本が参画して欲しい」と、(素人には)聞こえるが、現政権・与野党は、政局の減点・罰ゲームにお忙しい・・・。
いまは聞きたくても聞き出せないところに匿われているが、元・衆議院外交委員長・鈴木宗男氏の情勢分析・外交術も聞いてみたい・・。
【写真】上:日本経済新聞2011.2.11.。下:jijicomより。
名古屋第二環状自動車道(名二環)の高針JCT~名古屋南JCT間の延伸・開通が、平成23(2011)年3月20日15:00~と発表された。
中日本高速道路㈱NEXCOの 東名阪自動車道(名古屋西JCT~高針JCT~名古屋南JCT)の名称が「名二環」と改称される。
全区間(50kmくらい?)普通車で600円。
これと比べて名古屋高速:楠木~鶴舞JCT~名古屋南JCTの 普通車750円は 高い!
これまで三重県~名古屋西ICから東名・名古屋への、東西通り抜けの利便がよかった。
今回の名二環の開通で、岐阜県~清洲JCT/楠JCTから名古屋南JCTへの、南北通り抜けの利便が高まる。
例えば、
犬山市内から刈谷市内へ行くのに 五通りのルートができた。
(1)名古屋高速ルート:(およそ50km)
小牧IC~楠JCT~名古屋南JCT~豊明IC~R23
(2)名二環ルート:
小牧IC~楠JCT~高針JCT~名古屋南JCT~豊明Ic~R23
(3)東名・伊勢湾岸道ルート:
小牧~小牧東JCT~名古屋IC~豊田JCT~豊明IC~R23
(4)東名・名二環ルート:
小牧東IC~小牧東JCT~名古屋IC~高針JCT~名古屋南JCT
~豊明IC~R23
(5)中央道・東海環状道・伊勢湾岸道ルート:(およそ90km)
小牧東IC~土岐多治見JCT~豊田JCT~豊明IC~R23
行程距離差が大きいが、利用する曜日・時間帯の渋滞・規制の都合により、所要時間は60~70~80分で、大差無くなる。
それだけに、
「高速道路料金の全面無料化」で、選挙の看板にするよりも、
所要時間の長短に応じた高速通行料金(JRの特急料金相当)は有料制を維持しても納得がある。
(行程距離は高速道も一般道も、おおとそ同じだから、高速道路も一般国道も新設・維持管理費は 国税で全額負担する)
平日:木曜日の16:00~16:15.(十五分間観察)
伊勢湾岸自動車道 刈谷ハイウエイオアシス。
上り線駐車場へ つぎつぎと入ってくるクルマ。
思わずナンバープレートから登録地を書き留める(乗用車)。
久留米、三河、横浜、名古屋、岐阜、鹿児島、静岡、金沢、所沢、尾張小牧、岡崎、大阪、豊橋、山梨、奈良、一宮、福井、名古屋、浜松、長野、岐阜、徳島、札幌、豊橋、大阪、習志野、三河、岐阜、京都、岡山、長野、静岡、名古屋、浜松、尾張小牧、一宮、岡崎、豊橋、三河、名古屋、多摩、岡山、群馬、沼津、多摩、三重、大阪、福井、金沢、熊谷、多摩、奈良、豊田、松本、京都、浜松、練馬、山梨、福島・・・。
高速道路無料化、週末乗用車1000円乗り放題。
非常に心地よい響きのかけ声:高速無料化。
このごろ政局・政争、迎合政治の道具に引き当てられてしまった。
投資回収が終わった路線の儲けで、せめて日本列島四島を海岸沿いに一周できる高規格道路網の完成を急ぐことこそが、この国の軍事的国土防衛、防災&緊急時救援・復旧の国家的緊急課題だと思うがなぁ。
高速道路は、国民生活、経済活動の大動脈であり、距離的移動のしやすさもあるが、利用者がもっとも享受しているものは「時間的経済性」であり、この「時間的経済的利便」に対しては、国民は相応の支出を負担することにやぶさかではない、と思う。
(JR東海で言うなら、乗車券のタダは歓迎、特急料は払う)
それにつけても、高速道路は、県域、道州域を超えて、全国区である。
寿司屋で、松竹梅談義に花咲いた・・。
中国では松・竹・梅を「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という。
「三友」とは、
友としてふさわしい「正直な人・忠実な人・多聞な人」。
「松」は 厳しい冬にも落葉しない。岩山・断崖絶壁にもしっかり根を張るから、忍耐強く真心を尽くす人。
「竹」は 節を持った人。隠し立ての無い人。
「梅」は 厳冬に咲くことから、厳しい状況でも 笑顔を絶やさない人。
「梅」は 実を結び、熟し、やがて落ちて芽を出すことから、「生命のしるし」とされてきた、と。
梅の花を家紋とするものは、ほかの図柄より格段に多いのもわかるなあ。
「梅は 百花の魁(さきがけ)」:
年のはじめ、梅があらゆる花の先頭を切って咲き、春を告げる。
この地方では、まさに旧暦・新年のころ、実梅が花を付け始める。
いつか寿司屋さんで、お品書きから(並と書かれたのを指差して)これを、と注文したら、「梅 いっちょう!」と声が返ってきた。
松竹梅は、特上、上、並の等級を表す、符丁となる。
寿司屋で、松竹梅談義に花咲いた・・。
中国では松・竹・梅を「歳寒三友(さいかんさんゆう)」という。
松や竹は冬でも緑を保ち、梅は百花に先がけて花を咲かせる。
飛鳥~奈良時代から祝儀、縁起物の代名詞だった、とか。
異論も出た・・:
常緑で不老長寿につながるものとして、奈良時代は松がたとえられていた。竹が縁起物になるは、室町の時代。梅が加わるは江戸時代から、と。
高潔な美しさ、清楚な美しさの代表格として、梅は 讃えられる。
朝の散歩。
きょうは こっちの路を・・・・。
田んぼのの端に梅畑。
樹齢50年ものの、小梅に花が。
小梅が咲くと、青梅(いわゆる梅干しの梅)が。
そして八重に咲く梅(花梅の類い)がつづく。
このごろ「梅の開花前線」北上・・とは、話題にならないなあ。
なんで、さくら花(ソメイヨシノ)ばかりが、もてはやされるのだろうか。オオシマサクラとエドヒガンの一代交配種のソメイヨシノ。
ソメイヨシノは 花が咲き、実もそれなりに付くが、実を結ぶことはない。花を付け、実を結んで次の世代に発芽することができないソメイヨシノ。
枝の挿し木でしか命をつなげないソメイヨシノ。人の手を借りなければ一代限りで絶滅する花の木が、いままた人を惹きつける。
士農工商の身分制度を下敷きにして、征夷大将軍・幕府統治体制の幕引き近くの江戸時代後期に庭師の手で作り出された「ソメイヨシノ」。挿し木で命をつなぐクローン種。植樹された環境が同じなら、同じ日に開花する園芸種。
河川改修、海岸埋め立ての堤防の踏み固めに、花見の人出の脚数に託す、日本固有の護岸土木工事の智慧の華:ソメイヨシノ。
親政議院内閣制への明治維新への隠し味となり、大東亜共栄圏つくりの、討ちてし已まん・七つボタンはサクラと錨の象徴となったソメイヨシノ。
第三の”開国”の象徴は、花も実もあるウメの花であって欲しい。
ウメの開花前線、ただいま北上中・・・。
花の開花前線 北上!とは、梅の開花前線だったのになあ・・。
このまちの小学校のPTAnewsにH会長さんの寄稿文から:
~「日ごろ気にかかることがある」「私たち大人が子どもたちを教育するという立場に在りながら、当たり前のマナーをできていない人(大人)が多いということ、です。」~
~「気にかかること」:そのうち、三つだけ示します・・:
「挨拶をしない大人」「履物を揃えない大人」「静かにしない大人」です。~
**************
「静かにできない大人」
~「静かにすべき所で 静かにできない大人が多い、ということです」~
~「お通夜などの厳粛な場面でも、最初のうちはコソコソと、そのうちガヤガヤと喋り始める。」~
~また、「子供が騒がしくても 誰一人 注意しようとする大人がいない。」~
~「そんな場面が 最近多いような気がします。」~
***********
人の話しを 最後まで聞いていない。
自分のきょう明日には関係ない、影響しないと思った途端に、
静かにときを過ごす、我慢することがつまらなくなる大人たち。
自分ひとりがその場でほかごとに思いふけることが、
なにか悪さをしている状況に怖くなり、
となりの誰かれなく道連れにして逃げ込もうとする大人たち。
家族で・ご近所で・地域で・学校で・集会で・会社で・・・で、
「これらすらもできない大人たち」が、
「子どもたちを教育する(養育、保育、徳育、知育、体育、食育する)」。
(1)「挨拶をしない」 (挨拶をしない大人)(挨拶を返せない大人)
(2)「履物を揃えない」(判っているのに 揃えない大人)
(3)「静かにしない」 (判っているのに、我慢できない大人)
まず自分から、 そして、わが子から、わが家から始めよう。
「挨拶を自分が先にする」(相手が自発的に 挨拶を返せるまで)
「その都度、その場で履物を揃える」
(整理する、とは、次にすぐ使える状態に揃えておくこと)
「静かにする。」 (他人を巻き込まない)(他人と比較しない)
このまちの小学校のPTAnewsにH会長さんの寄稿文から:
~「日ごろ気にかかることがある」「私たち大人が子どもたちを教育するという立場に在りながら、当たり前のマナーをできていない人(大人)が多いということ、です。」~
~「気にかかること」:そのうち、三つだけ示します・・:
「挨拶をしない大人」「履物を揃えない大人」「静かにしない大人」です。~
**************
「履物を 揃えることができない」。
保育園、幼稚園では、入園式の日の初めての日から、
「履物を揃える」「下駄箱へ履物を入れる」。
この躾けが“いの一番の約束ごと”
ご縁の濃い保育士さんのボヤキを思い出す・・:
「お箸の持ち方、使い方が身に付いていない」
「着衣帽子のひもが結べない・きれいに解けない」
「鉛筆の持ち方、運びが身に付いていない」、
そして「履物を 揃えることができない」。
地域の活動のひとつに、御神楽保存会活動がある。
秋の大祭が近づくと、毎晩集会場で笛太鼓の練習会をする。
子ども会を中心に小中学生の子たちも参加してくれる。
子たちは 履物を揃えて下駄箱に並べる。
大人たちの何人かは ザラ板前やら、土間へ脱いだまま上がる。
企業の健康診断に出向いたときの、眼の付け所の一つ:
「正門の周囲、玄関周りの整理整頓、清潔を見よ」
「意識して手洗い所を借用し、湯沸し場で水を飲め」
腑に落ちなかったら、「食堂・休憩所を診よ」
帰りは「裏門・勝手口から出て、外周用水路の中を診よ」と。
むかしから言われる ことば:
小中学校の担任の家庭訪問は、玄関とトイレ借用で半分判る。
集合時刻に厳しい子か。給食のあいさつ・箸運び・好き嫌いは。
親子の絆と育児、家族の掟・躾け、ご近所との付き合い。
すべては「生きる力」、群れで生きる「掟と役割り献身を身体で学習する力」をつけるため。
「(返事はできても)挨拶ができない子どもと 大人」
「(ひとりで履けても)履物を揃えることができない子どもと 大人」
・・・「子どもは地域の宝もの」「子どもは未来からの預かりもの」
「それができない親・大人」。そんな「親に育てた祖父母・大人」。
他人のせいではない。
いますぐ、大人が実行し、当たり前の暮らしに しよう・・。
・・「子どもは 親の背中を見て 育つ」。
野良仕事をする。車も通らない狭い旧道沿いだ。
駅に近く、朝夕に限らず、往来が多い。
中学校への通学路で、生徒たちが毎日通る。
道端に近いところで野良仕事をしていると、登下校中で、おしゃべりに夢中の子たちも、絶妙の距離で、 「お早うございます」「こんにちは!」と声をかけてくれる。
この子たちは 気持ちよく育っているなあ、と思っていたが、どうやらそうばかりではないようだ。
野良仕事、道端で一服する。
通りがかる大人たちに、こちらから「こんにちは」と声をかける。 顔なじみの人はすぐに声が通う。 勤め帰り、どこかへお出かけ風の大人たちからは、“無視される”のが、実はほとんどだ。
朝夕に、飼い犬の散歩の人、ウォーキングでやってくる人。
「こんにちは」と声かけしても、“無視する”大人(中には中学生らしい子も)が実はほとんどだ。
PTAのH会長さんの言葉通り、「挨拶をしない大人」「挨拶ができない大人」「挨拶されるのを迷惑顔ですり抜ける大人」「挨拶されても他人事で無視する大人」が、実は十中八九が日常化している。
うれしいこともある。幼な子の手を引いた親・祖父母たちは、もれなくにこやかに挨拶が交わせる。
その子たちが中学を卒業すると、「挨拶ができない人」になっていってしまう。
そもそも「挨拶は、こころのふれあいのまくら言葉」。
「挨拶を返さない若者」「挨拶をしようとしない“ひとの道”を通る大人」として成人する地域に、PTA会長のHさんは強い危機感を持っておられる。
「挨拶は、ひとの道の一丁目一番地」だと思う。
ことばを持たない生き物ですら、仲間を眼で耳で認めたら、もれなくリアクションするのになあ。
このまちの小学校のPTAnewsにH会長さんの寄稿文から:
~「日ごろ気にかかることがある」「私たち大人が子どもたちを教育するという立場に在りながら、当たり前のマナーをできていない人(大人)が多いということ、です。」~
~ 一つ目は「挨拶です」。
~ 学校や社会活動などで「挨拶運動」に力を入れて、子どもたちに指導していただいていますが、最近は挨拶ができない大人が多いように思います。学校でいくら挨拶を指導していただいても、校外では(※筆者註※ 家庭や、ご近所では)挨拶ができない。~
~ これは私たち大人が、挨拶ができていないからではないでしょうか。~
朝 起きたら、家族同士が、まず一人づつ、「お早う!」
そのとき、お互いの顔を見合わせて「お早う!」
出かけるときは、顔を見合わせて、「行ってきます!」
帰ってきたら、顔を見合わせて、「ただいま!」
食事は極力揃って食べる。
時間がずれたら、だれかが食卓に着いて「孤食」には しない。
「いただきます」「ごちそうさま」
・・・これが、三世代で夕食を囲むわが家の毎日・・。
このごろ孫たちが毎日電車で通うようになってきた。
ご近所の老友から「あんたのとこの孫たちは、いつも先に声掛けてくれて、挨拶してくる。気分がいいよ」と聞かされる。
・・・実は、こちらこそ「おかげさまで!」と お返しする・・。
(内心「うれしくて、ありがたくて」。こころで小躍りしている)
このまちの小学校のPTAnewsにH会長さんの寄稿文から:
~「日ごろ気にかかることがある」「私たち大人が子どもたちを教育するという立場に在りながら、当たり前のマナーをできていない人(大人)が多いということ、です。」~
~「気にかかること」:そのうち、三つだけ示します・・:
「挨拶をしない大人」「履物を揃えない大人」「静かにしない大人」です。~
H会長さんは:
~「本来マナーを守るということは 勉強よりも大切で、家庭という最小の社会の中で、親が子に教えるべき躾けといえます」「まずは大人が子どもの手本となる様に 心がけたいものです。」~
PTAの会長さんが、子どもの教育は、教師だけではなく、子どもたちの手本となる大人たちに向かって、「自分が躾けの手本になろう!」と呼びかける。
これは、すばらしい行動だ!と思う。
理屈がまかり通り、損得ソロバンが先走り、個人の“自由”が傍若無人に主張される風潮の中で、
さらりと小文を寄稿するH会長さんの思い、願いを読んで、さわやかな朝を迎えた思いでうれしい・・。
この町の小学校の耐震化改修工事がすすんでいる。
それは防塵防音ネットで囲われた現地を見ればわかる。
町内会の回覧板で知らされた、
PYAの「PTA NEWS]による情報を見る・・・:
(報告の筆者は 小学校の教頭先生と署名がある)
「2010.7月から始まった南舎耐震改修工事は、11月末時点で終了しました。9月から使用している1階に続き、11月末からは2階が改修され、6年生が新しい教室で生活しています。2011.3月末の完成なので、生活する上で不十分な面もありますが、今後、3階、4階の部分改修とともに漸次整備されていく予定です」
「また、来年度の2011.5月末からは、体育館の解体、新校舎の建築と続き、新生小学校の本丸にとりかかることになります」
このあと、「子どもたちの学習や学校生活に支障をきたすことがないよう、最大の配慮と対応を進める・・」とつづく。
そもそも(こちらが見逃したかもしれないが)3棟在る現在校舎のうち、ひとつだか、二つだかは耐震補修してこの後も使い、一棟と体育館は解体する。
新築するは1棟だ、とまでは聞き及んだが、新築する校舎が丸いのか四角いのか、平屋なのか何階建てなのかさえ、見当が付かない。
どこかに完成後のパース図くらいはあるのだろうが、
知られたくないのか、知らせたくないのか、とんと見かけない。
まして、「完成後は地域の皆さんにも、利用していただけるように・・」とこの町の首長さんが、言われたそうな。
「関係者の皆さんで云々・・」と言葉が続いていたようだが、地元に校区に住む高齢者でしかない者は「関係者」では無いらしく、その姿も機能も、地域民の利用方法など、一向に見えも聞こえもしない。
(情報が無いことが 悔しい、と思う)
PTA NEWSという回覧板の一つの記事で知らしめることでよしとする、この町の「このごろの風土」が 我慢ならない。
もの言わぬが 美徳、などとは決して思わないが。
(どこかが 歯車が、モノサシが、おかしいゾ)