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このまちの小学校のPTAnewsにH会長さんの寄稿文から:
~「日ごろ気にかかることがある」「私たち大人が子どもたちを教育するという立場に在りながら、当たり前のマナーをできていない人(大人)が多いということ、です。」~
~「気にかかること」:そのうち、三つだけ示します・・:
「挨拶をしない大人」「履物を揃えない大人」「静かにしない大人」です。~
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「履物を 揃えることができない」。
保育園、幼稚園では、入園式の日の初めての日から、
「履物を揃える」「下駄箱へ履物を入れる」。
この躾けが“いの一番の約束ごと”
ご縁の濃い保育士さんのボヤキを思い出す・・:
「お箸の持ち方、使い方が身に付いていない」
「着衣帽子のひもが結べない・きれいに解けない」
「鉛筆の持ち方、運びが身に付いていない」、
そして「履物を 揃えることができない」。
地域の活動のひとつに、御神楽保存会活動がある。
秋の大祭が近づくと、毎晩集会場で笛太鼓の練習会をする。
子ども会を中心に小中学生の子たちも参加してくれる。
子たちは 履物を揃えて下駄箱に並べる。
大人たちの何人かは ザラ板前やら、土間へ脱いだまま上がる。
企業の健康診断に出向いたときの、眼の付け所の一つ:
「正門の周囲、玄関周りの整理整頓、清潔を見よ」
「意識して手洗い所を借用し、湯沸し場で水を飲め」
腑に落ちなかったら、「食堂・休憩所を診よ」
帰りは「裏門・勝手口から出て、外周用水路の中を診よ」と。
むかしから言われる ことば:
小中学校の担任の家庭訪問は、玄関とトイレ借用で半分判る。
集合時刻に厳しい子か。給食のあいさつ・箸運び・好き嫌いは。
親子の絆と育児、家族の掟・躾け、ご近所との付き合い。
すべては「生きる力」、群れで生きる「掟と役割り献身を身体で学習する力」をつけるため。
「(返事はできても)挨拶ができない子どもと 大人」
「(ひとりで履けても)履物を揃えることができない子どもと 大人」
・・・「子どもは地域の宝もの」「子どもは未来からの預かりもの」
「それができない親・大人」。そんな「親に育てた祖父母・大人」。
他人のせいではない。
いますぐ、大人が実行し、当たり前の暮らしに しよう・・。
・・「子どもは 親の背中を見て 育つ」。
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