沖縄本島に住む知人から、
「台風が 束になってやって来た!」と。
台風6号、7号、8号が あっち向いたりこっち向いたり。
たまたま出張で石垣島へ。
仕事を終えて帰る段になったら、熱低から台風8号へ。
6号が台湾、先島諸島へ向かってるのに。
台風7号は どんどん成長して、小さいながら強い台風へ。
沖縄本島直撃コース。 名護市あたりがコース。
沖縄本島へまともに上陸するのは 3年ぶりとか。
漁港は船の係留に、農家はビニールハウスの補強に。
温州ミカン農家は繰り上げ収穫に・・。
強い風、局地的大雨、8mもの大波・・。
どうか被害が少ないように、人も作物も無事でありますように。
「飛行機も、船便も欠航続出で、
石垣島できょうもまた 足止めになりそう」
どうか、御無事で過ごされますように・・
おとなり韓国ソウルでは、9月2日に首都直撃!と、
備えを万全に!と早くも盛んに報道されている。
久しぶりに 小松市まで北陸道へ。
残暑(猛暑日)厳しい高速走行。
北陸トンネルを出てすぐ、こまめに休憩。
杉津パーキングエリア。
何度も行き来するが、このPAで休息は はじめて。
売店裏の 「敦賀湾展望台」コーナーは 絶景。
酷暑ながら 海は静かで 若狭湾のいろいろを思う。
先のことを忘れて しばし 黙考。
8月29日(日)零時~ NHK生放送。今夜も生でさだまさし。
夏の暑さ・・ キャスターのさだまさしの語りが 愉しい。
以前の暑さは、真っ青な空、太陽のカンカン照りの暑さだった。
このごろの暑さは、人工的な暑さ、だという。
確かに、「内陸部ではフェーン現象で暑くなるでしょう」
こんな天気予報の言い回しが、”昔”は 定番だった。
このごろは、予測気温や湿度で表現し、その数値の的中率が注目される。
昨日の大阪の最高気温は36.9度で、酷暑日13日連続云々。
そして熱中症で救急車出動回数、搬送者が何人などがニュースになる。
青い空、真夏の太陽に、白い雲。
日よけのヨシズ。 開け放たれた北の窓。
涼風が吹きぬける、感じが好きだ。
そんな夏を過ごすには、水気をこまめに摂りながら、
昼飯後に、風通しのよい縁側で昼寝をするのがいい。
幼な児。
ピカピカの一年生も 日焼けでクロクロに。
「ねえ、ムカデの足は何本あるの?」
「・・・うーん、百本足だよ」
「えーっ 数えたの?」
当て字で「百足」とは書くが、脚は21対。
それに口ばしや触覚かな・・。
ムカデは赤ちゃんは産まない。湿り気の多い土で枯れ葉の下などに 卵を50個くらい産む。一ヵ月くらいで孵化。2~3年かかって成虫へ。寿命6~7年。
小さな昆虫やクモの巣のクモなどを好む。
湿り気のある家の中にも進入する。
とりわけゴキブリやクモがいるような箇所があると、ちょっとした隙間からでも家の中にやってくる。
むかし「寝ている布団中でムカデに噛まれた」と言う話しが出た時、「そりゃあ、きっとゴキブリを食べに来ていたんだよ」「ゴキブリが出ないように、台所や水回りを清潔に乾くようにしろよ」「クモの巣のクモも好物だよ」と。
・・・新生活運動と言う戦後の窮乏生活時代の話し・・。
近頃の高気密でエアコンで暮らす住宅では、いったん入ったムカデも出口・逃げ道が見つからず、苦労するだろうな。
そう言えば、「乳児が居るような家では、蚊帳の中で寝かせろ」「蚊帳は蚊だけでなく、ムカデも入らないから」。
「見つけたムカデはハエ叩きでたたき殺すか、熱いお湯をぶっかけろ。ムカデは熱にはトンと弱いから」と聞いたな。
万一、ムカデに噛まれて毒が入ったら、流水で冷やしながら毒を揉み出すか、噛まれたところに口を付けて吸い出し吐き出して、流水で冷やす。
手元にあれば、抗ヒスタミン軟膏剤を塗る。
あとは1~2日間の腫れ、痛みとかゆみとのお付き合いだ・・。
【写真】(㈱K・S・P社HPより)
春・夏の甲子園を連覇した沖縄・興南高校。
島袋投手と 慶田城(ケダシロ)開中堅手は、
普天間基地の滑走路南端に接する校区の子。
この国の安全保障が、身体に響き耳に聞こえ目に見えるまち。
8月21日決勝戦。
島袋投手、慶田城中堅手が全国制覇したとき、
ふたりのご近所に住む知人から、喜びのメールが届いた・・:
あのとき6年生だったあの子たちが、6年後の同じ8月に、不安を抱えながらも毎日頑張っている地元の人たちに代わって、
「沖縄が この国のために頑張ってるぞと、日本中に示してくれた!」と。
7月18日沖縄大会で優勝し、甲子園行きを全国一番乗りで決めてから、寄ると触るとふたりの子たちの話しで もちきりだった、とか。
おめでとう おふたりさん。 おめでとう 興南高校。
おめでとう 沖縄! この国の未来を ともに考え 強くしよう!
【写真】普天間基地全景。南方から北を見る。滑走路南端(画面下方)の東(右)に接する市街地の大学キャンパスにヘリが墜落した。
滑走路北端脇には宜野湾市役所。宜野湾市広報サイトより。
春・夏の甲子園を連覇した沖縄・興南高校。
17歳の球児のことばが 重い・・。
島袋洋奨ヨウスケ投手。春・夏の連覇を投げ抜いた。
沖縄へ帰っての 優勝報告会で、
「沖縄県民、全員でつかみ取った優勝です。」
「結果だけでなく、いろいろな経験を伝えたい。」
島袋投手は、普天間基地の滑走路南端に接する校区の子。
この国の安全保障が、身体に響き耳に聞こえ、目に見えるまち。
2004年8月米軍ヘリが沖縄国際大学へ墜落炎上した事故。
墜落した米軍ヘリの破片が 自宅の前に飛んできた。
沖国大ヘリ墜落後の市民集会で「安心して暮らせるようになってほしい」と小学生代表挨拶をした。あれから6年。
夏の甲子園の決勝戦で4打数4安打の慶田城(ケダシロ)開中堅手も、島袋投手とは 幼なじみの近所同士。
残り少ない夏休み、できたら ふたりで(おじいちゃんの居る)今帰仁の海でゆっくり泳ぎたい、とも。
【写真上】轟音を上げて米海兵隊普天間飛行場から離陸するFA18戦闘攻撃機。時事通信社サイトより。
【写真下】普天間基地全景。南方から北を見る。滑走路南端(画面下方)の東(右)に接する市街地の大学キャンパスにヘリが墜落した。
滑走路北端脇には宜野湾市役所。宜野湾市広報サイトより。
春・夏の甲子園を連覇した沖縄・興南高校。
18歳の球児のことばが 重い・・。
夜遅く 沖縄の母校へ。
学園の体育館を開放しての優勝報告会。
はるばる各地から駆けつけた県民で、超満員。
我如古 盛次主将は、
「 この優勝旗は すべての県民で勝ち取った優勝旗です。
ありがとうございました」と、応援に 感謝した。
我如古主将と、銘苅圭介選手は、
名護市辺野古・キャンプシュワーブの校区の子。
東の海側は、キャンプシュワーブに連なるサンゴ礁の 入り江。
西の山側は、宜野座の米軍演習場の森林地帯。
名護市辺野古の校区から、興南高校へ来ている球児。
・・・ 沖縄では、みんなが知っている。
甲子園の大観衆の中が興奮する中で、
“沖縄の思い”を伝えたい!
解かってほしい! 考えてほしい!と、
“夢”をやってのけた、のだ。
【写真】名護市久志~豊原~辺野古の海岸線。右寄りの岬一帯が米軍キャンプシュワーブ基地。
夏の甲子園 優勝校・興南高校(我如古(がねこ)主将)。
13-1 で、神奈川・東海大相模を退け 優勝。
前日の準決勝 兵庫・報徳学園を 6-5で、逆転勝利。
翌日の決勝戦に向けて、我如古主将・・
「 明日の決勝戦は 沖縄の歴史を変える試合です。
興南の野球を 全国に知ってほしい! 」と言った。
ついに頂点に立ったと喜びに湧き上がるアルプススタンド。
その頭上の先に、はるか沖縄の方角に 目をやりながら、
「 沖縄の歴史を 変えることができた。
県民 みんなで勝ち取った優勝です! 」と言い切った。
背筋を伸ばして、凛とした声で きっぱりと。
インタビュアが つぎの言葉が失うほど 強い気迫で。
130人の部員のキャプテン。
「 あまり口に出して言うタイプではない。
自分の行動、背中を見せるんです。」という。
控えや記録員の部員たちも、
「 言葉でも プレーでも 引っ張っていく主将です」
「 選手の中の 監督みたいな存在。
主将は とても責任感がある人です。」と。
当人は 小学校の卒業文集に、
「 努力があるから 夢がある。
目標は 夢で終わってはいけない。」と記している。
[写真]深紅の優勝旗を受ける興南高校我如古盛次主将。(by-NHKTV)
「チームが熱くなってくれた。
歴史を変えることができた。
県民すべての力で勝ち取った優勝です。」
興南高校・我如古盛次(がねこ・もりつぐ)主将の弁。
第92回全国高校野球選手権大会 最終日:8月21日
決勝戦 : 興南 13-1 東海大相模 (甲子園球場)
激しい攻防を戦い抜き、
晴れの表彰式を終え、甲子園4万7千人の大観衆の中。
優勝インタビュー。
興奮に溺れることもなく、
落ち着いて、力強く 応える我如古主将。
ことしの興南高校 夏の大会、
ことしの沖縄県民の”悲願”を背負った130人の野球部員。
ことしの、いまの、「沖縄の思い」
沖縄の18歳が、すべてを 表わしている!
おめでとう 沖縄!
沖縄を、あすのこの国を みんなで考えよう!
【写真】深紅の優勝旗を手にする興南高校我如古盛次主将。NHKTVから
ひちつばたごの街路樹。
市道富岡荒井線:日の出団地~新郷瀬川蒼木橋の間。
ことしも 毛虫食害の樹が目立ち始めた。
樹勢の弱かった樹で、丸裸にされたものも。
(犬山ニュータウン 北はずれあたり)
庭木の手入れ書あたりでも「病害虫は特に見られません」
「肥料はほとんど必要ありません」と、育てやすいというが。
「日当たりのよい、やや湿り気のある土を好みます」
「乾燥する場所では うまく育ちません」
食い荒らされた枝葉から、きょうは毛虫は見つからず。
食い荒らされようは、桜の木の被害に似ている・・。
長崎県対馬のほか、飛び地で木曽川流域にしか自生していなかった、希少な樹。入鹿池ちかくに天然記念物・自生地も。
来年も元気に芽吹いてくれよな! 大事に見守りたい。
「私が住んでる春日井市でも、キクイムシの被害が出ているようです(;」
「黙ってそのまま木が枯れていくのが忍びなくて、なにかしたいのですが・・」とのコメントをありがとうございます。
(樹木医とか森林インストラクターでもなく、里山をこよなく愛する素人の、耳学問のウンチクと読み流してください)
***************
ナラ枯れを引き起こしているのは、「ナラ菌(病原菌)」。
(カビのようなものと想像してますが)
ナラ菌が樹木内に拡がって、樹が水切れ状態に陥って枯れる。
カシノナガキクイムシ(カシナガ)は、
枝葉へ水を吸い上げる、幹の皮のすぐ下の導管(水の通る細胞の管)よりも、もっと幹の芯材のほうにアリの巣状の居住区をつくって繁殖する。
ナラ菌の媒介運び屋が、カシノナガキクイムシ(カシナガ)。
このカシナガ・キクイムシの繁殖力が、旺盛。
カシ・ナラ類の健全な木が好物のようで、
いまでは20府県以上・1500ha以上が被害を受けて、まだ拡がっている。
体長数㍉の成虫や、その幼虫にも、天敵があると思うが、なにせ立木の幹の中に居るから限られよう。
【ナラ菌・カシナガ被害の見つけ方】:
立ち枯れに至っていないが、「カシナガのキクイムシが飛来して、どの樹に取付いたか。穿孔して樹を痛めつけはじめているか」を早めに見分けるには、
カシナガ・キクイムシが穿孔した木くずや糞が(おがくずのように)樹の根元に溜まっている。
昨年の夏、東大演習林(犬山)で学習視察させてもらった現場では、根元から人の背丈までくらいの胴回り数十か所に穿孔があり、根元に木くずが溜まっていた。
その樹はもう手遅れで、やがて水不足で立ち枯れを待つのみ。
(2010.8.17.撮影。春日井市の グリーンピア春日井にて。苔むすほどの大樹の幹にも木くずがこぼれ、すでに”真夏の紅葉”)
【被害を受けている樹を救うには】:
殺菌剤(ベノミル水和剤)を孔あけ・注入して、ナラ菌とキクイムシのえさになるナラ菌が出す酵母を殺菌する。
ただ、木くずがこぼれて見つかった時点で措置しても、助かるかどうか・・。
【特定の健全なカシ・ナラ類の樹木を護るには】:
飛来しやすい春~夏~秋に、
「根元から人の背丈ほどまで、幹をまるごとフィルムシートでぐるぐる巻きしておく」「
殺虫剤(フェニトロチン)+粘着剤を、まるごと塗りたくっておく」などの策があるとか。
公園・庭木のカシ・ナラはできても、里山、奥山では難儀なこと。
【被害を広げないためには】:
ナラ枯れした樹を伐採して焼却するか、
ナラ菌・キクイムシの着いた丸太を、殺虫剤の水槽でドブ漬け殺菌する。
これも、手間ヒマ・コスト的にも 困難な難題。
カシノナガキクイムシ(カシナガ)の被害=「ナラ枯れ」の駆除・防除の対策は、”松くい虫”の被害と同じように、防除・駆除は難儀のようです。
*** ナラ枯れ被害 by 林野庁 ホームページ ***
http://www.rinya.maff.go.jp/j/hogo/higai/naragare.html
思わず膝を打つ”名言”に出会った!・・。
1970年代生まれの30代を、
(「団塊の世代」に対比して)
「断面の世代」と呼ぶ。
名付け親は、美術作家の束芋(たばいも)さん。
現代日本の諸相を切り取る映像作品が得意。
大阪・国立国際美術館の展覧会へ出品している作品が、
題して「 束芋 断面の世代 」。
[日経新聞20100818夕刊文化欄より引用し書き留める]
断面の世代のパターン(典型)は、
集団の和よりも 個を尊重する。
一通りのことは自分一人でできるが 専門性は弱い。
あきらめも早い。
自信たっぷりだが、
実はとても薄っぺらな存在であることも多い。
その親にあたる「団塊の世代」と比べ、好対照・・。
なぜ”断面 ”なのか。
束芋さんのたとえによれば、
団塊世代は”太巻き”とすれば、
断面世代は”太巻きの断面”そのものだ、という。
団塊世代は、
自分の専門に誇りを持ち、その道を究めようとする。
個性あふれる一人ひとりは、いわば太巻きの具。
各人が 米やかんぴょう、キュウリとして役割りに撤し、
ノリのような優秀なまとめ役に率いられれば、
集団として とてつもない力を見せる。
断面世代は、これに対して”太巻きの断面”そのもの。
全部そろうが、いかにも ぺらぺらな存在だ。
しかし、ぺらぺらだからこそ、
それらを集め直せば、おもしろい太巻きができるかもしれないし、そこから新たな世界が見えてくるかもしれない。
[日経新聞20100818夕刊文化欄より引用し書き留める]
平成22年度「小弓の庄」自主事業で、ことしは「布ぞうり作り」。
(昨年までは わらぞうり作りの講習会を 毎年 開催。)
と き: 平成22年9月23日(木・秋分の日)午後1時から
ところ: 「小弓の庄」
定 員: 先着 20名
受付開始: 平成22年9月1日(水)午前9時から
講 師: 地元在住の”お師匠さん”たち
参加費: 500円(材料代込み)
持ち物: はさみ(裁縫はさみ が 使いやすい)
申込み方法:「小弓の庄」へ。直接または電話で申し込み。
TEL: 0568-68-3767
東尾張~東濃~西三河の里山に拡がる”夏場の紅葉”。
「ナラ枯れ」と言われるキクイムシ被害。
枯らしているのは「カシノナガ キクイムシ(カシナガ)」
体長 数㍉のキクイムシが、
ナラ菌という病原菌を運び、
元気な樹木に孔をあけて入り込み、菌を繁殖させる。
カシナガは その菌の酵母を食べて自給自足するらしい。
高温の入梅~梅雨明け時の、風に乗って飛び出して、
数百㍍~数㌔ほども先の、元気なコナラ・クヌギの樹へ。
丈夫なくちばしで、表皮から穴掘りして、
芯材近くで卵を産み付ける。
孵化した幼虫は やがて羽化して、親のお手伝いをする。
縦横にトンネル網を張り巡らして、家族を増やす。
表皮のすぐ下の導管(幹の水を送るところ)の破壊がすすむと、樹木は水不足で立ち枯れとなる。
カシナガ・キクイムシの繁殖が激しい梅雨明け時に、立ち枯れするものが続出して、まるで”夏場の紅葉”となる。
中央自動車道、東海環状自動車道から見える里山にも、このごろめっきり被害の山が増えてきた。
冬場の穴掘りは苦手のようで、冬を越した家族は、翌年の梅雨時に、新しい樹木を求めて飛び出し旅をする。
【写真上】カシノナガキクイムシの成虫標本。出典:三重県樹木家会サイトから
【写真中】キクイムシに穿孔された立木断面図。出典:同上。
【写真下】ナラ枯れの被害拡がる。東海環状自動車道下り線 せと品野IC附近。
(犬山市東之宮古墳の白山)(犬山市高根洞の里山)
「ナラ枯れ」の被害が 拡がっている。
真夏の里山に 紅葉したかのような景色。
ナラ枯れは、樹木の伝染性の病気でブナ科の樹木が集団で枯れていく。
10年前なら、越中富山、長良川上流の飛騨地方で。
数年前に木曽川を越えて、東濃・尾張北の丘陵地帯に。
わが家の近くでは、コナラ、クヌギの薪炭林地。
胸高の直径30㌢ほどの大径木が 立ち枯れする。
このごろは猿投山~西三河の里山にも拡がってきた。
思わず「マツクイ虫被害?!」と見間違える。
枯らしているのは「カシノナガ キクイムシ(カシナガ)」
山林に拡がった被害を、人の手で防除するのはむつかしい。
孔をあけて穿入した木を見つけるのも苦労だし、
立木を燻して死滅させるわけにもいかず・・。
【写真上の上】犬山市白山。東之宮古墳からラインパークの里山
【写真上の下】犬山市高根洞の里山。長者町四丁目から。
【写真中】ナラ枯れの被害を受けたコナラの樹。犬山市池野。
【写真下】東海環状自動車道下り線・愛岐トンネル入り口付近
(入鹿池越しに明治村・尾張富士)(尾張富士をズームアップ)
お盆休み。 連日 明治村は にぎわった。
21時まで開園時間延長し、毎晩の花火大会も。
ことしは 周辺の里山が、ときならぬ 真夏の”紅葉”。
もともと薪炭林の里山地帯で、クヌギ、コナラが多い。
ところどころ、あちこちで、赤茶色に色づいている。
梅雨明けごろから、色が着きはじめ、
一気に 立ち枯れ状態にすすんでいる。
入鹿池側から、明治村を抱く尾張富士の裾野。
ふもとから頂上近くまで、色づいてきた。
原因は”ナラ枯れ”。 キクイムシによる被害だ。
カシノナガキクイムシが、今年の梅雨時前に大挙 飛来か。
幹に取り付いたキクイムシが、集団で 穴掘りをした。
防除・駆除も いたしがたい曲者で、結果 なすがまま・・。
(キクイムシに食われたクヌギ・コナラの樹。入鹿池畔)
2004.8.13.14:15 地上整備で回転翼接続ボルトの留めピンつけ忘れから、米海兵隊普天間基地の大型ヘリCH53Dが、沖縄国際大学の本部棟に接触墜落・炎上した。
当時 現場から80㍍の至近距離の家で飛び上がった知人から「本土の人たちは もう忘却の彼方の墜落事故だろうな」と便り・・。
敗戦後27年間(日本”独立”後でも19年間)も、沖縄を 日本ではない“外国”扱いにしてきた本土のひとたち。その間にも、沖縄の戦略価値は大きくなる。
そして沖縄の”本土”復帰後38年間も、沖縄は 世界の軍事戦略拠点である。この後も長らく、最重要戦略拠点だろう。
ユーラシア大陸の東端で、不凍の海で、(比較的に)巨大地震が少ない海嶺岩盤の沖縄本島。そして世界有数の海の幸の宝庫だし。
どこの国だって、こんな魅力の軍事戦略拠点は欲しいよな。
この国を自衛する。他国から侵略を受けない。他国の侵略を水際で抑止する。その負担を、その我慢を押しつけてきた本土の人たちが、「それではわが家の近くに少しでも移して、いっしょにこの国の国防・安全を確保しましょう」と、だれも言ってくれないではないか。(大阪の知事さんひとりが気付いていて、負担の分担を申し出てくれたけれど)
高速道路無料化、エコポイントセールもいいけれど、沖縄の私たちは、四六時中 頭上を飛び交う航空機のしたで、同じ道路を軍用自動車と並んで走る生活をしているのだけれど。
そちらにいる友人から、「沖縄に行った時 米軍基地をフェンス越しに見てびっくりしたよ」と、旅行記風にメールをもらえるだけでも、うれしいが・・。
台風襲来と、駐留米軍の何かの事故事件のときだけは、思い出してもらえる。
やっぱり本土の人には、沖縄を わかってもらえないだろうな。
2004.8.13.14:15 地上整備で回転翼接続ボルトの留めピンつけ忘れから、米海兵隊普天間基地の大型ヘリCH53Dが、沖縄国際大学の本部棟に接触墜落・炎上した。
当時 現場から80㍍の至近距離の家で飛び上がった知人から「本土の人たちは もう忘却の彼方の墜落事故だろうな」と便り・・。
2009年8月 政権交代した鳩山政権は、普天間基地の県外・国外への移設を模索したとき、メディア各社は「日米同盟の危機になる」と喧伝した。
県外・国外移設が困難・行き詰まりとなると、一挙手一投足、一言一句を微に入り細に及んで、「言った」「言わない」と トップ記事扱い。
(7世代あとまでもの「この国の存立・発展を志す、希望の理念」は、心ある人たちが 主張されているだろうけれども) 沖縄にも聞こえてくるものは、目先の解の正答率を並べたてる論調が、相変わらず続く。
「日米同盟の危機を回避し、この先こうしよう」という話しが、本土の人たちから、本土のメディアから、伝わってこない。
「ン十年先には こうありたい」「いまアジア情勢、国際安全保障環境、戦争の無い世界創りには こうしよう」との意見も、提案もないと映る。
販売部数稼ぎ、視聴率維持に、我田引水の論陣を張って、一億総評論家。 本土の人は 気楽でいいよな。
【写真】宜野湾市広報サイトより。普天間基地全景。南方から北を見る。滑走路南端(画面下方)の東(右)に接する市街地の大学キャンパスにヘリが墜落した。滑走路北端脇には宜野湾市役所が。
2010.8.6.広島原爆の日。
広島平和記念式典で、潘基文(ハン・キムン)国連事務総長:
「私は 平和のために広島に参りました」と。
そして、その道のりを示しながら、希望のメッセージを伝えた。
「「
より平和な世界を手にすることは可能です。
皆さんの力は、それを実現する助けとなります。
被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。
次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。
皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。
私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。
それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。
なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。
」」
「「
また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。
地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。
」」
「「
核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。
私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。
」」 (出典:読売新聞)
自分の信念を、自分の志を 強く持つ人の言葉は 明解だ。
自分の思いを言葉で表わし切った時、強い光を放つのを見た。
<秋葉忠利広島市長 平和宣言 NHKTVから>
幼な児のギモン:「お盆って なあに」
カネ(おリン)を鳴らすのは「なんで 二つなの」
「どうして ホオズキの花を 飾るの」
こりゃぁ 難題だな・・・。
「人の体は、肉体と霊体とで できてる。
霊体が肉体の洋服を着て生きている。
人が死ぬと、肉体は 土に戻してあげる。
戻した場所の印が お墓。
霊体はずーっと生きていて、(お彼岸と)お盆の時に、
御位牌を通って、帰ってくる。
子どもや孫たち そろって、お迎えして、
ご飯も一緒に食べて、またお送りするんだよ。」
「御先祖様のいる霊界では、
カネを二つ鳴らすのが、お食事だよって合図だって。」
「ホオズキは 盆提灯の身代わりだよ。
御先祖様をお墓へお迎えに行ったり、お送りするときも、
道に迷わないように 照らしてあげる。」
・・・解かるかなあぁ。
その幼な児は、毎朝TV「ゲゲゲの女房」の熱烈ファン!
2010.8.6.広島平和記念式典。
秋葉忠利広島市長は、朗々と平和宣言を発した・・。
「「
核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁(ページ)を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
」」 (出典:毎日jp)
2010.8.9.長崎平和記念式典。
田上富久長崎市長は、切々と平和宣言を発した・・。
「「
核保有国の指導者の皆さん、「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。
世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのは私たちです。私たちには、子供たちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。一人一人は弱い小さな存在であっても、手をとりあうことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。私たちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。
」」 (出典:毎日jp)
被爆都市:広島と長崎の首長さんが、
自分の信念を、自分の言葉で、世界に向かって、
堂々と 高らかに宣言する姿に 惹きつけられる。
(それにつけても 霞が関・作、永田町・朗読の 影の薄さよ)
<写真:NHKTVから>
台風4号が勢力を増しながら、すすむ。
沖縄を通るころより最大風速を30m/sへ強めている。
65年前だったら、広島・長崎の原爆で、
黒い雨を、日本中に降らせて、
「一刻も早く、戦争を止めなさい!!」だ。
とき まさに御先祖様をお迎えして、
お盆のときを過ごすとき。
ことしは御先祖様が、
台風の雨風とともに やってくる。 合掌
ことしも「広島・長崎 原爆の日」を迎えた。
”鎮魂から、核軍縮の場へ”
あれから65年。
やっと、「核兵器の無い世界へ」動きが出てきた。
2009.4.プラハで米オバマ大統領が原爆廃絶を提唱。
2010.8.6.広島平和記念式典に、
国連、米、英、仏の代表者もはじめて参列。
<写真>長崎平和公園・平和記念像。広島平和公園・原爆ドーム。いずれもNHKテレビから。
ことしも「 夏祭り & 盆踊り 」の 季節。
地区コミュニテイ協議会と 町内会長会ほか多数の団体が参加。
地域の子どもたちが 先ず登場して、
たのしい響きを聞かせてくれるのが、いちばんの愉しみ。
子どもは地域の宝物だ。
入道雲。
ことしも入道雲の季節がきた。
このところの熱帯夜つづきで、
朝9時過ぎだと言うのに、
もう入道雲が沸き立っている。
言うまいと 思えど きょうの暑さかな
言うまいと 思えど きょうも 入道雲
かき氷が 食べたーいっ!
ニイニイゼミ? いまごろいっせいに鳴き出した。
ン? なぜだ? こんな真夜中に・・。
真夏の 真夜中。
熱帯夜で、昼間の酷暑のほとばりがいつまでも消えない。
ムシムシする夜に。
雨風が出てきたら“夕立”のおしめりとなる。
熱帯夜が すこしさわやかになってきたかなという夜。
街灯に照らされた樹木あたりから、セミが鳴きはじめる。
命短かいセミたちの、夜勤がはじまる。
夜勤者の代表がニイニイゼミか。
もともと朝から夕暮れまでの 昼勤者だと思っていたが、
このごろは昼夜連続勤務の働き者。
ジー ― ― ― ― ―
目の前を、他府県ナンバー車が次々と通る・・:
ここは伊勢湾岸自動車道 刈谷ハイウエイオアシスの、
下り線駐車場。
岡崎、品川、多摩、三重、三河、豊橋、名古屋、三重、
京都、奈良、岡崎、尾張小牧、三重、豊田、名古屋、
石川、なにわ、豊橋、名古屋、大阪、豊橋、鈴鹿、富士山、
名古屋、三重、名古屋、なにわ、名古屋、川崎、大阪、
尾張小牧、浜松、松本、鈴鹿、名古屋、富山、所沢、神戸、
多摩、三重、岡山、鹿児島、三重、名古屋、石川、和歌山、
豊田、松本、鈴鹿、京都、豊橋、名古屋、石川、浜松、
習志野、所沢、豊橋、三河、札幌、
う~っ!また札幌、名古屋、えっ!!鹿児島
書き留めていた、レジのレシートの裏が一杯になった・・。
ほんの十分間も経たないうちに・・。
トヨタお盆休業カレンダーは8/7~8/16。
伊勢湾岸自動車道は ニッポンの動脈だ。
朝方 モミジの葉っぱにカマキリを見つけた。
成虫になったものの、まだ子ども。
姿カタチから、あまり好かれない。
孵化した直後には、アリに食べられたりもするが、
ここまでくれば、アリも餌食となる。
アブラムシなど野菜畑の害虫を食べているうちは「益虫」
飼育カゴの中でセミでも食べようものなら「害虫」呼ばわり。
寿命は数カ月。
秋頃には交尾のあとオスを頭から食べる場合もでて、
メスの強さ、共食いの生命力と美化される。
大きな成虫カマキリは、クマゼミをも捕食する。
真夏の緑陰は まさに生物多様性の世界・・。
1、2、3、・・・12、・・
1、2、3、・・・12、13、14。「14個だ!」
全国学力テスト第4回の集計分析結果が公表された朝。
夏休みに入った、ピカピカの一年生。
毎朝、数える、朝顔の花。
3週間前、投票所となった小学校の中庭で見かけた。
一人ひとりが 種の袋を選んで 種蒔き。
水をやって 育てて 観察していた。
夏休み入り。 自宅へ持ち帰り 観察日記。
「体験学習」「考える教育」「生きる力」・・
教育の在り方で揺れるなか、
本人も 朝顔も すくすく育っている。
梅雨明け。カンカン照り。
部屋の虫干しを思い立った。
当節 はやりの水煙噴霧殺虫剤をセットして、
建具を閉め切って 離れる。
「・・・?」
何か 声がする。
「火事です! 火事です! すぐに逃げてください!!」
・・・?
天井の煙り感知型 火災警報機が 叫んでいる!
うっかりしていたなあ。
感度良好。 とんだ防災訓練となった夏の日。
梅雨の終わりごろ、7月15日に大雨に見舞われた。
木曽川中流域:飛騨川が木曽川に合流する美濃加茂市。
七宗町、八百津町、可児市、犬山市あたり一帯集中豪雨。
可児市はゴルフ場が10コースくらいあるほど丘陵地帯。
その一帯全域から可児川となり、鬼が島伝説もある渓谷を経て、国定公園日本ラインの木曽川へ注ぐ。
小さな盆地の出口に渓谷美だが、水量が渓谷のキャパを超えた。
そのうえ鉄道の鉄橋橋脚にかかった流木が流れを阻み、
土盛りした鉄道路盤が あふれた水をせき止め、
地下道(アンダーパス)で交差する県道が濁流の流路となった。
(土盛りの鉄路で阻まれた濁流は 地下道の県道が放水路となって、走行中のクルマも、駐車場の大型トラックも押し流した)
可児市のハザードマップでも最高位の危険個所指定。
地下道前後の県道周辺では車ごと数十台が流された。
3名の方が亡くなったり行方不明になられた。合掌
【TV画面写真】中京テレビ。大雨翌日のミヤネ屋番組から。