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はじめに

自分史を書くにあたって はじめにを読む

第1回 あれから9年

私から君に手紙を書くのは久しぶりのことだ。 1話を読む

第2回 父・三千(みち)の話

私の父親すなわち君の祖父の話から始めよう。 第2話を読む

第3回 母・静と今井家の話

君の祖母静のことについて。 第3話を読む

第4回 少年時代〜大学時代

[04 子供の時代 犬山] 日本が太平洋戦争に負けて、昭和天皇が終戦宣言をしたその2か月後10月13日に私は生まれた。
第4話を読む
[05 小学生の時代 犬山] 母の静は、世にいう教育ママでいろいろな習い事や塾に通い、ソフトボールにも中熱中した。
第5話を読む
[06 中学・高校生の時代 名古屋] 中学生まではおとなしくしていたが高校生になり一気にスポーツ心が爆発、頭の中は走ることに占拠された。
第6話を読む
[07 大学生の時代 京都] 大学在学中最大のことはやはり「雄弁会」に入部したことだろう。その後政治家という職業を選択する遠因となる。
第7話を読む

第5回 家業を継ぐ〜秘書時代

[08 父の家業を継ぎ犬山に戻る] 大学を出て、父の家業を継ぎ四年間酒屋をやることになるが、いきなり私がこの経営を背負い込むはめになる。
第8話を読む
[09 代議士秘書の時代] 秘書になった昭和48年、江崎代議士はその内閣の自治大臣、飛ぶ鳥を落とす勢いの頃だった。
第9話を読む

第6回 県会議員時代

[10 県議選に出馬] 今まで9回選挙をやったが、すべての選挙の原点がこの最初の県議選であり、政治家石田芳弘を生んだのがこの選挙だ。
第10話を読む
[11 愛知県議の時代] 県会議員のチャンスが来たのでまずこれに挑戦し当選、政治家としてのスタートは議員から始まった。
第11話を読む
[12 細川護煕さんとの出会い] 県会議員になって10年たった頃、私の周りに公私にわたり政治的に大きな動きがでてきた。
第12話を読む

第7回 犬山市長時代

[13 犬山市長選挙] 犬山市長選挙の相手、松山邦夫さんは、いわば犬山政界、経済界のトップたる群を抜いた実力者であった。
第13話を読む
[14 犬山市長時代・地方分権の時代の中で] 私の座右の書は「論語」である。五十代の生き方は天命なのだ。
第14話を読む
[15 犬山市民病院問題・「さら・さくら」の建設と医師会の力] 自治体の仕事は、医療、介護、教育の三つに尽きると思った。
第15話を読む
[16 犬山市のビジョンと河合雅雄さんとの出会い] まちづくりの方向として「全市博物館構想」が出来上がる。
第16話を読む
[17 城下町再生物語と成瀬家についての思い出] 犬山城は我が国最古の国宝天守であるにもかかわらず成瀬家という江戸時代以来の個人城主の所有であった。
第17話を読む
[18 行革の本丸教育改革と民主党との出会い] 「Education」という英語を「教育」と翻訳したのは福沢諭吉だが、これは、「学習」と翻訳すべきであったという論もある。
第18話を読む
[19 愛知県知事選挙に挑戦] 私の心を支えたのはこの二つの言葉「本来無一物」と「可能性への挑戦こそ人生の生きがいである」だった。
第19話を読む
[20 東京財団・神野学園その他] 知事選挙に敗れ、目標を見失った。しかし、世間はありがたいもので、私が何をやろうとしたか見ていてくれた人はいた。
第20話を読む

第8回 衆議院議員に当選し政権交代に参加

[21 衆議院議員に当選し政権交代に参加] 私の62才の誕生日、民主党の鳩山幹事長から突然電話で「衆議院選挙にぜひ立候補してくれませんか!」
第21話を読む
[22 国会議員として] 言うまでもなく国家の主権者は国民だが、その主権者の代表として国会議員はある。
第22話を読む
[23 民主主義と議会改革についての提言] 日本の民主主義の成熟のためにはどうしても声を大にして言わなければならないと考えていることである。 それは議会改革だ。
第23話を読む

第9回 名古屋市長選挙について

[24 名古屋市長選挙について] 地方行政の長として働くのが私の使命ではないかという思いをどうしても消すことができなかった。
第24話を読む [25 補足 子孫に美田を残さず、および日本の祭] 君に残す物は何もない。しかし、心は大きなものを残したい。 第25話を読む