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07 大学生の時代 京都

  父三千はそもそも体育の教師なんぞ目指すことに反対だったから、条件として家業を継ぐという約束で同志社大学商学部も受験していたので結果ここに入学することになる。
  父と二人で京都の同志社大学へ入学金を納めに行った日、古都は蕭蕭と冷たい霙が降り、誠に陰惨とした気分で大学生活のスタートを切った。大学へ入っても数か月間は全く鬱状態が続いた。同志社大学は明治5年新島襄によって建てられたキリスト教の英学校を起源とする。だからキャンパスには教会があり、神父が学生の悩み事に乗る。私はある日思い余って神父を尋ねた。その時その神父が言ったことは今でもはっきり覚えている。
  「現時点で、可能なことと、不可能なことと一度整理してみなさい。不可能なことは諦めることです。きっぱりと諦めることです」
  そういわれれば当たり前のことだが、人間は一つの考えに囚われるとなかなかそこから抜け出せないものだ。
  神父のその一言で一瞬頓悟、大学受験の挫折から立ち直った。そして京都という町と同志社大学はその後の私の人生の充実した青春の舞台となった。

  因みに、君の譲(ゆずる)という名前は同志社大学の創設者新島襄(じょう)からとって私が付けた。
  新島襄は幕末の日本を脱出し、クリスチャンとなり、アメリカ、ボストン郊外のアマースト大学に学ぶ。明治の開国となり祖国に戻り、京都にキリスト教に基づく英学校を建てる。それが同志社の始まりだ。
  「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起こり来たらん」
  この言葉が建学の精神で、良心を手腕に運用という人物像が同志社人のアイデンティティーだ。いかにもクリスチャンらしいではないか。私は新島が幕末の閉鎖社会から解放を求め太平洋を渡り新大陸アメリカへ向かった時の気宇壮大を、父親として息子である君に託してみたかったのだ。

  若いころ、私も強烈に外国へ行きたいと思った時があった。が、私の人生は不思議と常に故郷犬山へ吸い寄せられる宿命の連続だ。
  「井の中の蛙大海を知らず」というが、この句には下の句がある。「されど天の青さ井の深さを知る。」
  私の宿命は、広く大きな価値観より、強く硬い価値観に導かれたのかもしれない。
  同志社大学商学部では会計学を専攻した。ゼミの豊島教授は原価計算という学問の専門だった。卒業後その専門知識はほとんど忘れたが、会計学をかじっておいてよかったことがある。犬山市長になったときアカウンタビリティーといっていわゆる「行政の説明責任」というテーマが浮上した。このアカウンタビリティーこそ会計学そのもので、行政の財務状況を数値で説明することであり会計学の役割なのだ。犬山市政の公会計に複式簿記を採り入れたり、会計学の行政評価システムを研究した。
  人生に無駄というのは一つもない、いつかは必ず何かの役に立つものだ

  大学在学中最大のことはやはり「雄弁会」に入部したことだろう。このことがその後政治家という職業を選択する遠因となる心の中にほのかな火をつけた。
  「雄弁会」に入ってみようと思い立ったのは、スポーツの道をあきらめたことと、逆にこの際自分の不得手に挑戦し、人の前でうまくスピーチできるようになりたいと思ったからだ。要するに、自己改造に挑戦したのだがこれがうまくいった。
  政治的発言をするようになったし、典型的な体育会系人間が、文化系人間に変身した。大学対抗の討論大会に出たり、全国遊説に回ったり、最も勉強になったのは選挙の手伝いだった。たしか四年生の秋だったと記憶するが、京都新聞主催のスピーチ大会に出て優勝し、多額の懸賞金をもらったこともあった。
  先輩の誰かに教えてもらった言葉「大学の四年間は、人生の縮図だ」を自室の柱に張り付け、日々努力を重ねたが、その四年間は一年ごとに充実感が上昇し、四年目はわが青春の黄金期の感があった。
  青春の四年間を京都という古都で生活できたことはよかった。政治家になってまちづくりを仕事にしたが、日本の都市は、「平安京」が基本型だ。四年間の生活で京都というまちの型がキチンと頭に入っていたので、犬山市をはじめ全国のまちづくりがイメージしやすかった。

  昔の日本人は「風水」でまちを作った。「風水」とは土地の山川草木、宇宙と一体感を抱くこと。さらに、神社・仏閣の宗教世界がまちという空間に力を与え、求心力を増す。「風水」とは自然科学にのっとった「都市計画」なのだ。そのモデルが京都である。
  私の人生に影響を与えた都市の名前を言えと言われたら一に犬山、二に名古屋、三に京都、四に東京、五に掛川となる。
  因みに、五番目の掛川は、高山でも長浜でも金沢でもいい。犬山のライバルとして研究のため、たびたび訪問したまちである。その他一宮は代議士秘書時代、春日井、小牧は衆議院議員の選挙区として忘れえぬまちだ。とにかくまちは人生というドラマのステージであり、それ自体が千変万化する生命体だ。このまちづくりについては、実践談を後程詳しく述べる。