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06 中学・高校生の時代 名古屋

  中学以降は君も学んだ名古屋市にある東海中学・高等学校に通学することになる。
  私の教育持論からすると中高一貫教育はいいし、男子だけというのもいい。私学であり、浄土宗という仏教教育になじんだこともプラスだったと思う。哲学者梅原猛は最も尊敬する日本人の一人だが東海学園の先輩ということもあり梅原さんの宗教に関する著作は多く読んだ。このことに関してはまたあとで述べるつもりだが、宗教は大切だ。われわれは信仰心なしで生きることはできない。何となく仏教世界の中で中学、高校生活を送ったのが良かったのではないのかと考えている。
  学校での成績は、中学の時はよかったが、高校生になってからは陸上競技に熱中しあまり自慢できない。もともと子供のころから足は速かった。まずだれにも負けたことがなかったし、運動会といえば常に私のためにあるようなものだった。東海学園はいわゆる受験校のようなイメージで入学したので初めの頃母親からスポーツは封印されていたのだ。運動部に入ると疲れて勉強ができなくなる、と母親は言った。中学生まではおとなしくしていたが高校生になり一気にスポーツ心が爆発、頭の中は走ることに占拠された。今から思うと、もしあの時私の周りにいい指導者がいたら走る才能が開花し優秀なランナーになっていたかもしれないが、東海高校陸上部は最悪の環境のクラブ活動だった。我流で毎日黙々と走り続けていた。
  ただしここで生涯忘れえぬ教師に出会う。それは体育の佐藤先生だった。佐藤先生は、現在の筑波大学、当時東京教育大学に学び愛知県柔道界の大御所だった。東海学園は柔道世界では全国的に名をはせ、そのシンボル的存在が佐藤先生なのだ。その佐藤先生が私にこう言った「俺は30年体育の教師をやってきたが、お前は10年に一人出るかでないかの逸材だ。おれの後を継いで体育の教師になれ」と。

  凡庸な教師はただ喋る 
  普通の教師は説明する 
  いい教師はやってみせる 
  卓越した教師は人の心に火をつける

  英国の教育思想家アーサーワードの有名な言葉だが、佐藤先生の一言で私の心に火が付いた。・・・・その後私は東京教育大学の受験に二度挑戦するも失敗、目的は果たせなかった。東京教育大学体育科の受験は学科とともに体育実技五種目があったので体力も落とせずトレーニングも続けながら、周り友人受験生の中で、孤独に耐え、一人独自の受験生活を送った。この受験の失敗は辛かったし、暫く尾を引いた