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第1回動画配信 あれから九年



01 あれから九年

  私から君に手紙を書くのは久しぶりのことだ。この前は平成14年の夏、愛知県市長会の視察でアメリカへ行き、当時オーストラリアに留学していた君に送った手紙だった。
  あれからちょうど9年。私の人生も君の人生も、すっかり景色が変わった。あのころの私は、50代半ば、人生の油に乗った絶頂期だったし、君は海外で学生としての青春真っただ中だった。
  君はその後オーストラリアで獣医師になる夢を断念し、帰国して現在の動物病院に勤め、下積み的な毎日を送っているように父には思える。

  私は私で60歳代へ入り、犬山市長を辞めてから特にこの4年間ナント3回選挙を経験した。愛知県知事選挙に挑戦、惜敗、衆議院選挙に当選、あの劇的な政権交代を経験するも1年半で今度は名古屋市長選挙に挑戦。これは惨敗だった。まず再起不能と現実を受け入れるべきかもしれない現在の心境だ。ここ数年間動きすぎたと後悔の念がわく。さらに追い打ちをかけるように、政治の仕事のもう一方、教育の世界で、神野学園理事長という仕事も情熱を持っていたが、理事会の中から思わぬ動きが出てきてこれも続けることができなくなってしまった。

  「われすべてにおいて,後悔せず」と言ったのは、宮本武蔵。ニーチェは「人生はすべてが運命だ。すべてを肯定できれば、人生は喜びに充ち溢れる。」と言ってはいるが、正直今の私は目標を失い、弱い気持ちに支配され、尾羽打ち枯らしている。
  何とかもう一度立ち上がりたい、強い気持ちを取り戻し、人生にまた今までとは違った意味を見出したいと毎日必死の思いだ。
  そこで息子を相手に、もう一度父の人生を振り返り、君に語ることで私の人生の座標軸を取り戻したいと思ったのだ。
  一方、人生は結局親から子へ、ちょうど聖火リレーのように、自分の生きざまを送り届けるものだという気がする。
  父の人生にかけた希望や思い、失敗や挫折そしてそこからどうやって立ち直ったのか。あるいは影響を受けた人物や書物や言葉、考え方などなどの経験談を君に語っておくことが、父親としての息子への教育であるような気がする。

  譲よ!君がまだ小さい時、私はよく君を肩車してやったものだ。それが親としての無常の喜びだった。
  今君は私の人生の経験という肩車に乗って、君のこれからの人生の広く高い視界を望めばいい。