第4回動画配信 少年時代〜大学時代
04 子供の時代 犬山
さて閑話休題とでもいうか、話題を変えてご先祖の話から、私、芳弘の物語を語ろう。
日本があの太平洋戦争に負けて、昭和天皇が終戦宣言をしたのは昭和20年8月15日だった。そしてその2か月後10月13日に私は生まれた。昭和20年、西暦でいうと1945年から今日まで60有余年の歳月は有史以来日本の歴史の中でも確実に一つのハイライトにあたる部分ではないだろうか。広島・長崎に人類初の原子爆弾が落とされ日本全土の都市はほとんど壊滅、焦土と化した。その中から日本の再生が始まり、私の人生はその歴史と重なる。
幼稚園は光明幼稚園へ入った。第一期生だからここでも犬山の幼稚園の歴史と重なる。宗教法人の園なので初めはお寺の本堂で授業を受けた記憶があるがその後立派な園舎が建ち、移った。池田信之園長は犬山市教育委員長をやり、愛知県私立幼稚園協会の会長もやった人だから当時から幼児教育には熱心だった。この分野も日に日に戦後の立ち上がりに頑張った時代だったのだろう。光明幼稚園は私、譲、その娘凛ちゃんが今通い、一つ時代史となる。


目次
- あれから9年 [動画]
- 三千の話 [動画]
- 静および今井家の話 [動画]
- 子供の時代 [動画]
- 小学生の時代
- 中学・高校生の時代
- 大学生の時代
- 父の家業を継ぎ犬山に戻る [動画]
- 代議士秘書の時代
- 県議選出馬 [動画]
- 愛知県議の時代
- 細川護煕さんとの出会い
- 犬山市長選に出馬
- 犬山市長の時代・地方分権の時代の中で
- 犬山市民病院問題・「さら・さくら」の建設と医師会
- 犬山市のビジョン・河合雅雄さんとの出会い
- 城下町再生物語と成瀬家についての思い出
- 行革の本丸教育改革と民主党との出会い
- 愛知県知事選挙に挑戦
- 東京財団・神野学園その他
- 衆議院議員に当選し、政権交代に参加
- 国会議員として
- 民主主義と議会改革についての提言
- 名古屋市長選挙について
- 補足 子孫に美田を残さず、および日本の祭