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05 小学生の時代 犬山

  小学校時代の話に移ろう。前にも話したが、父親は関に行きっぱなしだったので、この頃は母親だけの影響を受けたような気がする。というのも母の静は真面目一本やり、世にいう教育ママだったのでいろいろな習い事や塾に通わされた。
  一方、ソフトボールには一年中熱中した。君には信じられないかもしれないが、国全体がまだ貧しかった当時、われわれはキャチャーとファースト以外はグローブなしの素手で守備したものだ。また、夏は毎日木曽川通いだ。川で平気に泳げた時代だったので川遊びは最高に楽しかった。焼けるように熱い川原の石を踏み、泳ぐ魚を追いかけ、唇が紫色になるまで冷たい水に浸かり、夢中に遊んだ。まだ戦後の貧しさを引きずりながらも大自然のなかでのびのびと少年たちは成長した。
  後年、世界的動物学者河合雅雄先生に出会い犬山市のビジョン作りのアドバイスを受けたとき、河合先生が「犬山は森のまちだよ!」と言われた。少年の頃の記憶がその言葉に反応し、結局犬山市のビジョンを一言で表すフレーズは「木曽の流れに古城が映え ふれあい豊かな森のまち]となった。犬山を一言で表すに、実にいい表現だと思わないかね!