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22 国会議員として

  「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が興ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
  ・これは日本国憲法の書き出しである。言うまでもなく国家の主権者は国民だが、その主権者の代表として国会議員はある。この民主主義の大原則から憲法は説き起こしている。
  国会が召集され、印象的だったことを絞って話そう。
  まず衆議院の議長が決まった。これは議会制民主主義の教科書どおりだ。国会の長は議長である。国民が議員を選んだら、次は選ばれた議員で議長を作る。衆議院全員一致で与党第一党の民主党から横道孝弘議長、野党第一党の自民党から衛藤征士郎副議長が選出された。
  日本は「議院内閣制」をとる国だから、次なる国会の仕事は内閣を組織することであり、まず内閣総理大臣が決まった。マニフェストを掲げ、圧倒的多数でもって政権交代を成し遂げた民主党代表鳩山由紀夫さんが選挙の結果、総理大臣に就任した。この時の衆議院の議場を私は生涯忘れないだろう。議場の3分の2が民主を中心とする与党で占められていたから、初めから民主党の高揚した気分が議場全体を飲み込んでいた。そして日本中というよりそれこそ世界中の報道陣が集結し、議場全体見渡す限りカメラのシャターやフラッシュの嵐だった。長かった自民党政権に終焉を告げ、新しい民主党政権による政治再生への希望みたいなものが竜巻のように舞い上がり、議場は興奮の坩堝と化していた。
  アメリカ大統領の就任式に招待された人の話を聞いたことがある。新大統領が支持者たちと最初にホワイトハウスに向かって行進をする時、沿道の群集の上げる歓喜の叫びが地割れのようなどよめきとなって興奮の極に達したという。この日の衆議院の議場はその話を彷彿させた。
  政治とはそういうものだ。大衆の心に一瞬にして火をつけ、気持ちを高ぶらせる。この頃しばらくは日本中が熱病にかかったような興奮状態だった。そして私の人生はその高揚の日々の時間帯を粛々と通過していった。
  鳩山総理の就任演説もよかった。今迄に聞いた政治家の演説の中で、最高レベルだと確信する。あくる日のマスコミ論調にはなかなか厳しい意見もあったが、私はとても格調が高く、鳩山さんの理想主義が出ていてほれぼれした。
  愛知県の知事選挙に挑戦しようとした時、最初に相談に乗ってくれたのが当時民主党幹事長の鳩山さんだったし、衆議員選挙に立ってくれないかと言ってきたのも鳩山さんだったし、鳩山さんは理想を語るタイプの政治家として大変敬愛していた。
  ところが鳩山さんは総理になってからそれこそチェンジしてしまった。菅さんに交代する時私は主張したが、鳩山さんは途中で総理を辞めるべきではなかった。小沢さんと抱き合い心中したわけだが、あれではかっての自民党と一緒ではないか。とくに総理を辞めてからの発言には失望させられるが、あの時点で頑張って総理を続けていれば、民主党の今の局面も変わっていたような気がする。
  続いて印象的だったことは、天皇陛下の存在がとても身近に感ぜられるようになったことだ。国会の開会日には必ず天皇陛下が来られ、開会のお言葉を聞くことができるし、平成天皇ご即位20年の式典やら正月やら園遊会やらと、しばしば皇居に参上し陛下をはじめ皇室の方々のお顔を見、お話できた。今まで天皇に抱いていたバーチャルなイメージに血が通い体温を感ずるようになったとでもいうか、これは教科書には書いてない国会議員にならなければわからない感覚だろう。
  それはさておき、先日の東日本大震災で被災した人たちに天皇陛下がお見舞いされた。菅総理が見舞いしたときは、被災者から行政の対応の遅さに苦情が相次いで出たが、天皇陛下のお見舞いには、涙を流して感謝したという報道があった。
  これは、天皇は国家の権威そのものであり、総理大臣は国家権力のシンボルであること、すなわち「権威」と「権力」の違いではないだろうか。権力は絶えず政争を伴う。まさに天皇陛下の存在は、われわれ日本民族、それは過去の歴史全体をもひっくるめて、日本という国と日本人そのものの存在の重さにわれわれは頭を垂れるのではないだろうか。国会議員になって今更ながら憲法で言っている「日本国民の統合の象徴」としての天皇制には国家というものの重厚さを再認識させられた。
  衆議院議員となって半年後、議員会館が建て替えられ、部屋がより大きく広くなった。私の部屋は衆議院第2議員会館の7階になったが、この高さはちょうど国会議事堂のてっぺんと同じ高さにあたる。国会議事堂は、三権分立の原則で、最高裁判所と同じ高さに設計されている。7階のガラス窓全面に、国会議事堂を真ん中にして左手に皇居と最高裁判所と政治のエリア永田町の各政党の本部が一望でき、議事堂の右手には、行政エリアの霞が関の各官庁の高層ビルが林立する。まさに日本の統治構造がパノラマ絵のように眼前にあった。
  国の統治構造を人体に例えると、国会議事堂が心臓で、霞が関の官庁街が動脈で、最高裁判所が静脈と表現される。その論理が、そっくりそのまま現実の景色に変換されて、私の眼前に広がっていた。
  ここは日本国の中枢だ!
  ところで、私は若いころ自民党政治の中で育った。その私がどうして民主党の国会議員になったのかについて若干触れよう。
  政党というものは言うまでもなく人間の集まりで構成される。人脈というものだ。もちろん政党を分けるものは政策の違いによる。しかし私のように若いころから政治の世界に入ると丁度川の水脈のように、あるいは山岳地帯の山脈のように政党の人脈が目に見えるものだ。民主党は結党10年そこそこの歴史の浅い政党ではあるが、鳩山さん、小沢さんをはじめ自民党の人脈が滔々と流れ込んでいる。自民党の主流をなしていたが、自民党に限界を感じて民主党を形成した人脈がある。
  もう一つの大きな人脈は官僚群だ。政治に志を持った官僚が立候補したくても自民党では父親の跡を継ぐ息子がいる。この一群が民主党になだれ込んだ。
  私は官僚ではないが、自民党政治の世襲制に完全に失望した一人だ。自民党の国会議員はほとんどが世襲制になってしまった。世の中いろいろな職業があって、子が親の跡を継ぐのは悪いわけでは決してない。しかし、政治世界の世襲制は血縁にある人物以外の立候補のチャンスを奪い、政治家という職業を私的家業にし、弾力性のない社会を助長する後進国の階級社会だ。そもそも政治家というものは、大衆の中からどこのどいつだかわからない無名の人材が、徒手空拳躍り出てくるエネルギーが世の中を元気にさせる。
  また私が自民党の世襲制に愛想が尽きたわけは、自民党長期政権は同時に政治家の利権の構造も定着させたからだ。日本経済のバブル期、自民党国会議員の金権腐敗ぶりは極に達した。そのころ自民党議員の秘書として舞台裏を知る私は現在の民主党議員の質素な金銭感覚には隔世の感を持つ。
  そのほかにも今回大量に当選してきた民主党の議員の経歴は実に多彩だった。民主党は膨大な新しい鉱脈を掘り当て、この人脈が成長すれば、政治の中身も徐々に変化するに違いないという期待感を抱かせた。
  政策面での民主党と自民党の違いも一言論じておこう。
  私は演説で時々使ったが、例えば「大阪城は誰が作ったか?」という質問に答えて、自民党的視点は、「それは豊臣秀吉さ」と答える。一方民主党的視点は、「それは名もなき職人が作った」と答える。私は若いころは、豊臣秀吉が作った側に立っていたが、人生経験を積んで、やはり歴史は名もなき大衆が動かすという考えに立ち至った。民主党のマニフェストはこの価値観に貫かれており、民主党のスタンスに立つことに何の矛盾も抱かなかった。
  あれから2年たった現在、民主党の掲げたチェンジの光彩は衰え、国民の支持率も下降線をたどっている。
  政権を取った後の民主党は、そのアイデンティティーを見失ってしまったかに見える。鳩山総理が1年を持たず辞任したのもまずかった。あれでは自民党と同じではないか!そのあと菅さんが新しい総理になったが、数か月で民主党の代表選挙があった。このとき小沢一郎氏がライバルとして立候補した。私に言わせると、これがいけなかった。
  この選挙が熾烈を極めた。菅さんが勝利し引き続き政権を担当することになったものの、完全にあの選挙で小沢VS反小沢に党内が分かれてしまい近親憎悪のごとき両陣営の綱引き合戦、分裂の力学が生じてしまった。物理学でエントロピーの増大というのがあるが、破壊、分解のベクトルが生じる物理現象である。私はそのすべての原因を小沢さんの行動にあると考えている。小沢的なるものを肯定したら、それは自民党政治のマイナスの遺伝子を引き継ぐことになるのではないか。
  次の章で、衆議院議員を辞して、名古屋市長選挙に挑戦する話に移るが、その時の私の心境は、カールブッセの詩にあるように、

   山の彼方の空遠く
   幸い住むと人の言う
   ああわれ人と とめ行きて
   涙さしぐみ帰り来ぬ

   山の彼方のなお遠く
   幸い住むと人の言う

  という心境であった。