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第3回動画配信 母・静(しず)と今井家の話



03 静および今井家の話

  三千のことはひとまずこれくらいにし、君の祖母静のことについて若干話そう。静も幼いころ石田家へ来た養子縁組だ。私が犬山市長を務めていたとき、国立国会図書館の一研究者から問い合わせがあったからまず史実だと思っていい、静の二代前島田豊という人物は明治政府の役人として「ウェブスター」をはじめ、多くの英語辞書を作り日本の英語史では重要な役割を果たしたらしい。「ウェブスター」は一冊所有しているからいずれ「家宝」として君に渡すことになる。この豊の父親も同名の島田豊といい、江戸幕府の外国奉行だったが、大政奉還により徳川慶喜に従い静岡に移り住んだ。静の母親ことは可児の玉木家に生を受け島田家に嫁いだが、夫、善夫が早逝し、多少の血のつながりにあたった石田家へ静を養女に出したのだ。
  さて、言うまでもないが君は当然母親鈴代の血も濃厚に受け継いでいる。母方今井家は五郎丸、樂田の土地の血を色濃く引く家系だ。今井姓も松山姓もそれぞれの土地では最も多い地付きを表す姓だ。鈴代の父欽吾は樂田松山家から今井家に婿として入籍したのだが、この松山家から明治期に衆議院議員松山義根を輩出している。私が衆議院議員になったとき、鈴代の叔父松山正康がそのことを教えてくれ、松山義根の墓も参った。犬山で生まれて国会議員になったのは、この松山義根と私石田芳弘の二人しかいない。
  こういう話はあまり他人にしないほうがいい、一つ間違うと自慢めいて何となく軽い人間に見られる恐れがある。ただ、君に話しておきたかったのは、自分の先祖に対する思いを喚起するためだ。最近の科学でも、人間の遺伝子は継続するというし、日本人の宗教観は霊魂不滅なのだから、先祖の思いをすべて譲に継承して欲しいという切なる願いから話すのだ。
  ついでにもう一つ取るに足らぬことのようだが、この手紙は君の母親鈴代のことについてあまり多くを割かないかもしれないが、言わずもがな、君は母親からも大きな影響を受けている。ただし、生物学的に言うと男は種で女は畑というではないか。先天的なものは父親から受け継ぎ、後天的なものは母親から大きな影響を受けるというのが私の考え方の中にある。その点も斟酌して以下読み進んで欲しい。