そのむかし ここは竹材の一大産地だった・・。
あの戦争が始まるまではね・・。
長老から よく聞く。
1980年代、いよいよ住宅地化がすすみ、竹ヤブまでもが「市街化区域」に指定されるところが続出する。
タケノコ採りを兼ねた竹林がようやく残るほどになり、竹ヤブは生活ごみ、産業廃棄物の不法投棄の場に狙われる。
地主は やむをえず 伐り払って暗闇のゴミ投棄者から自衛せざるをえなかった。
竹林は10年たたずして 姿を消していった。
「孟宗竹」。
やっと生き延びた竹林も手入れも不十分で 窒息死寸前。
子どもの頃、(増えすぎて害鳥化していた)スズメの大群を、ねぐらの竹ヤブに仕掛けたカスミ網で、一網打尽に捕獲した。
村人みんなで慰労の「焼き鳥」大宴会。焼きトリ食べ放題!!
スズメ追っかけ竹取物語を体験した仲間も少なくなったなあ。
(注)その昔、カスミ網捕獲は害鳥化した雀の退治に許されていた。