そのむかし ここは竹材の一大産地だった・・。
あの戦争が始まるまではね・・。
長老から よく聞く。
1633年 巨大な溜め池:入鹿池が築かれて、
水がかかるところは田んぼに新田開発され、里山の恵みと民の汗で、肥沃でおいしいお米のとれる美田となった。
水のかかりが難しいところは、桑園(養蚕)、竹林が広がった。
1868年ご維新後人口増加、水田開発がすすむと、竹林は活気づいた。
水田の稲刈り後 ハサ掛け用に尾張平野一円に、竹材が求められ、ご当地は竹材の一大産地・集積地でも栄えた。
1960年代、鉄パイプ資材の出現や、農協にライスセンター(乾燥施設・貯蔵施設)が普及すると、ハサ掛け・自然乾燥は、長時間作業と「お天気次第」が疎まれて、竹材は貧乏百姓の道具と目されてくる。
1970年代から、大都市のベッドタウン化の大波に呑み込まれるように、竹林は次々と宅地化されていった。
