とうの昔、今は亡き親父さんは「三年日記」を愛用していた。
工場機械仕事や役所仕事でもあるまいから、
野良仕事、百姓仕事は前年同月同時刻に、
同じ手順で同じ仕事をやるわけがないじゃないか、とは思っていた。
自分が畑仕事のマネごとをやるようになって かれこれ10年。
「農業、畑仕事は経験産業だ」「自然には逆らえない」
「蒔かぬ種は 芽が出ない」
「畑仕事は草取り(雑草取り除き)に始まり草取りに終わる」
「作物は亭主の足音の数だけ よく育つ」
などなどが、ボツボツわかってきた。
作物の作付けに合わせて、水やり、草取り、施肥をして、
できるだけ手間暇少なく、あいしいものをたくさん収穫する。
そんなことばかりに 気を取られてきた。
「三年日記」を10冊以上も書き留め、読み返していた親父。
”カレンダーに合わせて、畑仕事をしていたわけではないようだ。”
実は「その年、その月の自然に合わせて、
作付け、種まき、手入れ、施肥をやっていた!」
つまり、
田んぼ、畑の、その年の気候、気象、おしめり具合などに添わせて、
ことしの自分の農事暦を描いて、畑仕事をやっていたのだ!
「50年も米作りをしてきても、たった50回しかやっていない。」
「以前の経験と 同じに進んだということは、一度もない。」
「米作りの名人には、なかなかなれるものでは無い。」
してみると、3000年も水田稲作農耕民族の日本の米作りは、
世界に冠する稲作文化(カルチャー)文明国だ。