毎年、今ごろから書店に来年用の日記帳が並ぶ。
親父さんは いつも三年日記を愛用していた。
田舎の本屋さんではなかなか売れないのか、買い求めが難しくなると、決まって「すまんが、また、日記帳の新しいのを探してくれ」と頼まれた。
一ページを三つ割りにしたのが無くて、
見開き2ページ分を三段組みにしたものを見つけて、
それを届けたら、大変に喜んでくれた。
天候、気温、五節句二十四節、行事暦、農事暦などの添え書き入りが良かったのだろうと思っていたら、
後日、「大きな字でも たくさん書けるから」という。
そうか、耳・眼も大声・大書きするようになったのだ。
親父もいつまでも若くはないんだ、と納得した。
去年のこの日、何をしてたかということが、
なんでそんなに気にするのだろう?と不思議だった。
自然を相手に百姓仕事をするのに、そんなに大事なことだろうか、と。
(あれから、もう40年以上になる。いま 親父が書き留めていたことの意味・核心が分かりかけてきた・・・。)