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国指定重要無形文化財である犬山祭は今年で380余年の伝統を有し、毎年4月の第一土日曜に開催する。しかし元来は、4月7日8日、針綱神社例祭日として固定されている。祭の車山(やま)を曳く若い衆の勤めの都合と観光客のために、日曜に合わせ、針綱神社は毎年宗教法人神社本庁に祭礼日の変更を届けているのだ。日本の祭の持つ伝統から言うと、1週間サイクルのキリスト教文明に妥協していると言える。
祭を前にし、梃子(てこ)と呼ぶ若い衆を集めて、安全祈願を執り行う際、今一度確認することがあると言って一講釈しておいた。祭とは、われわれのご先祖に出会う場だ。われわれは氏神、産土神である針綱神社を祭ることが、犬山祭の原点である。と。
日本民族の宗教には、何らテキストブックがない。毎年、祭りを実施することのみが、伝統と風習と礼儀作法の躾を伝承する。柳田国男の言葉を借りると、祭によって、飛び石のように地域の伝統が伝わる。
さて今年の犬山祭はかってない悪天候に襲われた。花に嵐の祭となり、ほとんど中止状態に追い込まれ、歴史に一齣を刻んだ。
閑話休題、祭に先立って清須市にある日吉神社宮司三輪隆裕さんを訪ね、日本の祭について意見を交換してきた。三輪さんは名古屋大学大学院で哲学を学ばれた神社界の頭脳みたいな存在で、「IARF」という世界宗教者組織の評議員を務めておられる。そもそもの日本民族の原点に戻って、現在の国際社会の中での日本の針路という視座で、私の考えは三輪さんとほぼ一致した。(三輪さんの論評は「日吉神社」でネット検索すればブログが読める)中国との関係を大切に考え、日本が米中の中に入り世界平和に貢献できると言う視点は、私と一致して同志を得た気持だった。
前号まで三回にわたって「まちづくり」と題して私の経験から、主に地方分権時代のまちづくり・国づくり論を語りました。今回は、その流れを受けて、下呂ならではの視点を考えます。
最近、政治・経済の世界では「アベノミクス」でもちきりです。世の中が明るくなり元気になることは結構なことですが、所詮株価や為替等、景気の問題はどこまでも不安定な要素が付きまといます。中央主権的で効率やスピード感のある変化を求める「ファスト文明」の価値観です。対して私の持論は、ゆっくり変化する「スロウ文化」です。今こそローカリズム、すなわち地方・地域に強く深い根を張った「ふるさと主義」です。
私は現在中部大学の客員教授を勤めていますが、中部大学は、名古屋大学・岐阜大学・三重大学と連携し、国連やユネスコの提唱するESD(持続可能な経済発展のための教育)というプログラムを推進しています。
そこで、このESDのフィールドステイション(実験地)に選んだのが萩原四美の「南飛騨国際保養地」なのです。ここは岐阜県の県有地ですから、今後岐阜県の支援を得なければなりませんが、なぜここを選んだのか述べたいと思います。
今後、地球規模で我々人類の最大のテーマは持続可能な社会を作っていくということ、すなわち1000年先の地球のことを考えるという生き方です。
世界的なシンクタンクローマクラブが50年先の世界を予想し「成長の限界」というレポートを発表、物議をかもしたのは1972年のことでした。今のままのスピードで経済成長すると2030年には世界経済は破綻し、世界人口は急激な減少に遭うであろう、と。言わば「持続可能な軌道から外れている」という警告の半鐘を鳴らしました。
それに対する反論もありましたものの、その後1992年リオデジャネイロで「環境サミット」が開催され国連を中心にした、「持続可能な経済発展」というエコロジー(地球生態系)の思想と目標が生まれたのです。
その実践のひとつが愛知万博であり、名古屋コップ10でした。そしてこのエコロジーの文脈の中に計画されたのが、「南飛騨国際保養地」構想です。
この構想が、何故今改めてクローズアップされなければならないのか述べたいと思います。
2年前の東日本大震災以降、わが国の喫緊の課題は資源とエネルギー問題になりました。わが国は無資源国、エネルギーのほとんどを海外からの輸入に頼らなければならないと考えられてきました。本当にそうでしょうか?日本の国土の7割は緑豊かな山林であり、豊饒な海域を入れると日本の領土は世界第6位の広さであるといわれます。そしてそこは太陽光、風力、水力、地熱、木材を利用するバイオなど自然の再生エネルギーの宝庫です。わが国は無資源国などでは決してありません。
そして私の言いたいのは、われわれの住む飛騨・下呂こそ、この自然エネルギーの宝庫ではありませんか!
四美の国際保養地こそ、そのモデル地区になりうるのです。
一方、国連が地球規模で考える持続可能な経済発展というテーマで、もう一つ重要な要素は食糧問題です。実は、国際保養地にある薬草園は国内外に卓越した施設です。薬草こそ、「スロウ文化」の典型ですし、持続可能な経済発展という概念の最も分かり易い対象ではないでしょうか。
ここで今後下呂の地で持続可能な将来のまちづくりに挑戦する際に注意しなければならないことを考えます。それは、行政の財政援助を当てにしないということです。分かりやすく言えば、補助金漬けにならないということです。この際、原発を誘致した自治体を教訓にしなければなりません。
今回は、国際保養地の可能性について述べましたが、次回から、そのほかにもある、下呂の宝について、よそ者しか気が付かない視点から述べたいと思っています。乞うご期待。
宗教家・思想家・哲学者の肩書を持つ中沢新一さんと懇談。
まず、何故会いに行ったかから始める。かねてから日本の伝統的な祭に強い関心を持っていた。愛知県議会議員の時、「犬山祭保存会」の会長に推された。犬山市長選挙の時、敬愛する先輩から市内の神社を全部参拝してみなさいと言われ、実行した。などから大きな示唆を与えられ、日本人と祭について深く考えるようになった。そして、柳田国男の「日本の祭」を読み、日本人の信仰心と祭りの関係を知った。多少民俗学の勉強をし、犬山祭保存会会長の実践あるいは犬山市長の公務を通して、日本の祭に関する思考と見識を深めた。結果、数年前から、この不透明な時代の局面を打開する一つの切り口として、祭の伝承を復活しなければいけないという使命感のようなものを感ずるに至った。
そういう話をたまたま谷岡郁子参議院議員に話したところ、彼女が学長を務める至學館大学で祭に関する研究でもしてみないかということになった。私は、祭の実践者としての自信はあるが、理論的カリスマが要るということで、中沢新一さんが浮かんだのだ。谷岡さんと中沢さんは親しいから紹介するという。
だから勇躍、会いに行った。
2時間ほど時間を割いていただき、充実の時間だった。私の今までの知見の上にたくさんのヒントがあったが、とりあえず今日は一つだけ、中沢さんの主張に共鳴したことを述べる。
グローバル資本主義は、金融資本がモンスター化し、世界は崩壊の方向に進みつつある。この動きを阻止するのは、政治によるレギュレーション、調整機能を発揮すること。もう一つは、ローカリズム。私の言う「ふるさと主義」だ。そこに祭の出番がある。祭の本質は、先祖帰り。一族の神である氏神や地域の神である産土神への回帰が岩盤にある。
中沢さんと対話して、体験から得た私の考えは概ね間違っていないという自信がついた。どこまでやれるかわからないが、楽しい気持ちで、やれるところまで頑張ってみる。
東日本大震災が起きて2周年を迎えた。マスコミは震災報道で充満している。
私も再度このテーマを考えてみる。
津波による被害と福島を中心とする原発の問題とは、明確に分けて考えなければいけないのではないか。津波による被害は、自然災害。日本列島の宿痾みたいなもので、被災者の方には冷酷な言い方になるかもしれないが、避けられない運命だった。
一方、福島の原発事故は、誰が何といおうと人災である。中央政府と自治体の意思があの結果を招いた。正直言ってあの事故が起きるまで、私は原発容認派だった。衆議院選挙でも、中部電力の支援を受けるため、原発に賛成の署名をした。しかし今回の事故を経験したがゆえに、私は現在絶対原発を認めるわけにいかないと思っている。いまだに容認する人も大勢いるが、私は反対だ。
私は私なりに様々な人の意見に耳傾けた。その中で、最も興味深い視点を突いた著作が貝沼博著「フクシマ論-原子ムラはなぜ生まれたのか」だった。
日本は1895年台湾総督府を設置、1945年の敗戦まで資源や経済格差を求めて海外へコロナイゼーション(植民地化)を展開した。そして1945年以降は、国内に方向転換し、貧困な田舎が中央政府によっていわば植民地化された。福島の原発がその例という指摘である。中央集権体制の下では、霞が関のやることは間違いないという観念、構造化されたパターナリズム(親父の言うことは正しい)という考え方に村自身も寄り添っていった。国の交付金への依存症経済は中毒性をもち膨張を続け、被害者が知らぬ間に加害者の片棒を担ぐことになった。と、筆者は言う。
被災地で、原発賛成派がいまだに当選する現実を見るにつけ、何をか言わんや。
私は現在中部大学の中部高等学術研究所に籍を置いているが、それはこの研究所のテーマである「持続可能な発展への教育」を研究するためである。
その一つに伊勢神宮の式年遷宮があると思ったので、伊勢神宮にある「せんぐう館」館長の小堀邦夫さんを訪ねた。伊勢神宮は今更言うまでもないが、天照大神を祭り、「古事記」・「日本書紀」に書かれているように、わが国の神話世界から、今の平成天皇に至る日本史が一本の線になって通った世界史上例を見ない四次元空間である。
私は、犬山市長に立候補するとき、ある人から、市内の神社を全部回ってみなさいというアドバイスを受けた。75000人口の犬山市に65ほどの神社があり、どの神社もまことにきれいに清掃され美しく祀られていた。私はその時、日本人というものの一端を掴んだ。ふるさとの神社はわれわれの氏神様、産土神様が眠る場所なのだ。鎮守の森なのだ。 日本中の神社は20年に一度立て替えていたらしいが、現在それができるのは、伊勢神宮だけになってしまった。と、小堀さんは言った。20年に一度立て替えるためのすべての素材を自力で調達できるのは伊勢神宮だけになってしまったということらしい。代表は米だ。税も米で納めたものだし、今でもお供えはすべて「初穂料」と呼ぶ。
小堀さんは「神道とエコロジー」について、ハーバード大学で講演をし、その時のタイトルが、「弥生アプリケーター」という。弥生の稲作文化の再生こそが、エコロジーであるという意味か。西欧文明と比較し、どうこうという議論ではなく、「日本はこうだ!」という明快で、健全なナショナリズムと小堀さんの話を理解した。闇を割く日本刀の一閃を見たような印象を抱き帰途に就いた。
頂いた「魂の源郷」という詩集を読むのが楽しみだ。
オリンピックの開催を決めるIOC視察団が東京に来ている。オリンピックなどやる前にもっとやるべきことがあるだろうという気もないではなかったが、最近考えが変わって、オリンピックを東京でやるのも悪くないと思うようになってきた。
まず、東京でやる発想に抵抗を感じていた。が、東京という大都会は、なんだかんだ言っても、日本民族の今の自画像だ。「都会は人間が作り、田舎は神が作った」というが、東京は、世界に見せるメイド・イン・ジャパンの総合力。それが、私の考える東京でオリンピックを開催するモチベーション。
次に、スポーツという文化について考えたい。私は、昨夜もWBCの野球観戦でテレビに齧りついたし、一昨日は、琵琶湖マラソンに我を忘れた。スポーツは最高のドラマだ。マラソンを見ていたら、「最後までねばる」という言葉を何度も使っていた。どんな状況になっても投げ出さないという忍耐力のことだ。野球もチャンスとピンチは表裏一体、紙一重。私は、相撲も好きだ。相撲の醍醐味は、一瞬にして少が大を食う所にある。すべてのスポーツは、人生のメタファーだ。我々はスポーツを見ながら自分自身の人生の浮沈を重ねる。あるいは、希望をつなぐ。だからハイレベルの勝負に一喜一憂することは、上質な人生そのものだ。
そう考えたら、東京オリンピックの実現を願うようになった。支持率は70%に達し、決定は秋という。
「ふるさと清流会」の市民講座、講師は「みどりの風」代表谷岡郁子さん。
谷岡さんとのお付き合いは、愛知万博がきっかけだった。そもそも愛知万博は高度経済成長時、開発志向、大型イベントなどのいわば、第二の大阪万博を狙ったものだった。それが21世紀に入り、万博のコンセプトは地球環境にシフトされ、「持続可能な発展」というテーマが浮上してきた。その方向転換をしたグループの一人が谷岡さんだった。谷岡さんのそこに関心を抱き、友人を介して会いに行き、それから以来のお付き合いである。
彼女は、もともと学者であり、大学の経営者であり教育者とマルチタレントであったが、参議院議員になり、昨年わが国で初めて、女性だけの政党「みどりの風」を立ち上げた。常に新しい次代を拓くパイオニアの一人だと思っている。
そんな私の期待に応え、いい話をしてくれた。話というものは、人物から紡ぎだされるものだ。だから、話はその人物の自画像だ。絶えず何かに挑戦する生き方をしていれば、必ずその人の話は、新しいものになるはずである。民主的な先進国として、今後の日本を成熟させていくパワーは女性の社会進出と発言にあると思っている。そういう観点から今日の谷岡さんの話は意味があった。
講演会の一部始終は、「ふるさと清流会」でネット検索されたし。ユーストリームでご覧になれます。
昨日は林野労組、今日は運輸労組に呼ばれてそれぞれの研修会の講師を務める。
若い組合員が、政治に関心を持つような話をしてくれという要望だったが、私は何故政治家という職業を選択したのか、そしてどういう気持ちで政治という仕事をしてきたのか、自分自身の生き様を率直に話すことが分かりやすいのではないかと考えた。
私の政治家人生は、田中角栄の盟友江崎真澄代議士の秘書になることからスタートした。若い頃、例えば名古屋城は加藤清正が作ったと思っていた。が、だんだん人生経験を重ねるうちに、いや名古屋城は、実際は名もなき職人達が作ったのだと思うようになった。だから私は、自民党から民主党に政治のスタンスを移動し、その最も解りやすい人々の立場が労働組合の皆さんだ、という話をした。
地方自治に人生をかけたのも、「現場に解あり!」と思ったからだった。
選挙というものの説明にも時間を割いた。選挙ほど何人にも与えられた平等な権利はないから、自分の判断力を重んずべきだ。たとえ組織の命令でも、自分自身の節を曲げることは民主主義の精神に反すると語った。
両会とも研修会後の懇親会に付き合う。
若者と酒酌み交わし、耳傾けるべきところがあった。若者達もいろいろ悩み、考え、そして頑張っている。
ライオンズクラブは、「WeServe」という標語を掲げるグローバルな社会奉仕団体。1917年アメリカシカゴのメルビ・ジョーンズが創立者と聞く。世界中に134万人の会員を擁す。そのライオンズ4地区の例会に招かれてスピーチをした。
タイトルは「今こそローカリズム」。
私の父親は、40年前犬山ライオンズクラブが設立された時のメンバーの一人でもあったし、ライオンズ活動に熱心だった。ライオンズ活動の目的は、一言で言うと「奉仕」だ。が、私の父は学歴もなく養子の身であったので、ライオンズというクラブ文化に出会い、人生で初めて心の友を得た喜びを感じていた。
私が犬山市長時代もライオンズクラブは、政治性は度外視して市政に貢献してくれた。
歴史的にはライオンズクラブはロータリークラブから分かれて生まれたものであり、ロータリークラブも、優れた市民運動である。両クラブとも外国で生まれてわが国に伝わった輸入文化ではあるが、地域に根付いたシンクグローバル・アクトローカルの典型である。 私の持論は「今こそローカリズム」であるが、ライオンズの活動こそNPOのパイオニアであり、ローカリズムの実践である。
今日は嬉しい集会だった。
「未来と地球の救い方」というシンポジュームに参加。地球環境、エコロジー、エネルギー、資源などの問題について研究者、実践家、市民運動の皆さんの学習会。
私はここ2週間ほど没頭して読んだ本がある。アメリカの環境活動家ポール・ホーケンの「祝福を受けた不安だ」。100年後の人類に残したい希望のメッセージとして全米でベストセラーになった環境バイブル也。
一言でいうと、人体が細菌でおかされた時、それを跳ね返す抵抗力が生存の本能として備わっているように、地球が破壊されようとしている今、地球全体の市民運動が立ち上がりつつある、というものだ。
「今現在地球に何が起こっているかについて科学が述べていることを見て悲観的にならないなら、あなたのデーターは間違っている。一方、名もなき運動に身を投じている人々に会って、それで楽観的にならないなら、あなたにはハートがない。」と、著者は言う。
この本のタイトルの意味は、地球の環境が破壊されていく不安は克服され、人類の英知が祝福されるだろうという意味に私は受け取った。
今日会場に来ていた人たちは、この「祝福を受けた不安」の世界に生きる人たちだ。