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今こそローカリズム 前衆議院議員 石田芳弘
「身土(しんど)不二(ふじ)」という言葉があります。身は土と無縁(不二)ではない、という意味だと思います。人間はそこに住む土地、環境と一体であると理解します。そこから、地域の生活が生まれ、文化が創造されるのです。
この身土不二のわかりやすい例として、私は日本列島津々浦々に残る、神社の祭礼を上げたいと思います。日本の伝統的祭はすべて、自然崇拝の多神教の信仰心がベースにあります。
私は政治という職業を選択し生きて来ましたが、この身土不二という言葉を地域主権に置き換え、地域にこそ政治を動かす力があると信じ続けてきました。ローカリズムです。
二十一世紀に入って世界の潮流は一気にグローバリズムの勢いを強めた観があります。グローバリズムとはボーダレス、いわば国境線をなくそうという価値観ですから、国家を飛び越える、ましてや地域固有の特性にはこだわるなという思想です。平和だとか人権とかのテーマを扱うためには適した考えかもしれませんが、グローバリズムが経済活動に収斂されつつある今の趨勢は、コミュニティの紐帯を切断し、文化破壊につながる恐れを危惧します。
私が衆議院の文科委員としてこのテーマを考えていた時出会ったのが日本伝統芸能振興会の竹柴源一さんでした。
その時まで私は歌舞伎というものにそれほど深い考察をしたことがありませんでしたが、竹柴さんの歌舞伎にかける思いに触れ、歌舞伎を通して日本の文化とはどういうものかという事がまさに、腑に落ちました。
歌舞伎文化こそ日本人の身土不二・地域主権の大衆文化なのです。
竹柴さんの話で私が当時政治家として興味引かれたのは、1945年わが国は第2次世界大戦に敗北、GHQの占領政策下、歌舞伎は上演禁止になります。封建制の価値観や、仇討を礼賛する歌舞伎こそが日本の大衆のメンタリティを形成しているものだとGHQは判断したのでした。マッカーサーの副官であったパワーズが歌舞伎に理解を示してくれたものの3年間の禁止期間にわが国の歌舞伎は壊滅的打撃を受けました。(日米両国でベストセラーになったジョンダワー著のドキュメント「敗北を抱いて」参照)
戦後わが国ではアメリカ文化である映画やミュージカルが大衆娯楽の世界を開きます。日本の様式美は古臭いと、日本人の価値観から捨て去られていきました。
戦後の日本は文化面においても、アメリカ主導であったという何よりの証に思えます。
一方、今、歌舞伎は復活の兆しを表しつつあります。二十一世紀に入ってユネスコの無形文化遺産にも認証され、世界に歌舞伎文化が評価されつつあることは誠に喜ばしい限りです。
しかしながら歌舞伎の原点は身土不二、地域から内発的に沸き起こる土着の芸能であったという事を忘れてはなりません。ユネスコの無形文化遺産に評価されたのはコミュニティとの一体関係が伝統的無形文化として位置付けられたからなのです。
大資本が作る洗練されたエンターテイメントではありません。また、同族の名門で固めた権威の象徴ではなく、かぶいた多少ヤンキーな若者たちのエネルギーが生み出した時代を開くアバンギャルドでもありました。
この度、グランド歌舞伎の発足に当たり微力ながら応援したいと思ったのは、日本人として歌舞伎文化の原点を見詰めることにより、今の日本を考えたいと思ったからにほかなりません。
「源泉へのたえざる帰還」という哲学者田辺元(はじめ)の言葉を引用し、グランド歌舞伎応援の挨拶といたします。