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東日本大震災が起きて2周年を迎えた。マスコミは震災報道で充満している。
私も再度このテーマを考えてみる。
津波による被害と福島を中心とする原発の問題とは、明確に分けて考えなければいけないのではないか。津波による被害は、自然災害。日本列島の宿痾みたいなもので、被災者の方には冷酷な言い方になるかもしれないが、避けられない運命だった。
一方、福島の原発事故は、誰が何といおうと人災である。中央政府と自治体の意思があの結果を招いた。正直言ってあの事故が起きるまで、私は原発容認派だった。衆議院選挙でも、中部電力の支援を受けるため、原発に賛成の署名をした。しかし今回の事故を経験したがゆえに、私は現在絶対原発を認めるわけにいかないと思っている。いまだに容認する人も大勢いるが、私は反対だ。
私は私なりに様々な人の意見に耳傾けた。その中で、最も興味深い視点を突いた著作が貝沼博著「フクシマ論-原子ムラはなぜ生まれたのか」だった。
日本は1895年台湾総督府を設置、1945年の敗戦まで資源や経済格差を求めて海外へコロナイゼーション(植民地化)を展開した。そして1945年以降は、国内に方向転換し、貧困な田舎が中央政府によっていわば植民地化された。福島の原発がその例という指摘である。中央集権体制の下では、霞が関のやることは間違いないという観念、構造化されたパターナリズム(親父の言うことは正しい)という考え方に村自身も寄り添っていった。国の交付金への依存症経済は中毒性をもち膨張を続け、被害者が知らぬ間に加害者の片棒を担ぐことになった。と、筆者は言う。
被災地で、原発賛成派がいまだに当選する現実を見るにつけ、何をか言わんや。