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間もなく名古屋でESDの国際会議が開催される。私は現在中部大学で客員教授をしているが、このESDの事務局をしている中部大学の高等学術研究所に籍を置いているのでことさらこの国際会議には関心を持つ。
ESDについて知る人は少ない。
資本主義と民主主義が何となく壁に突き当たった感のある現在、それに代わる新しい時代の思想だと解説する学者もいる、ユネスコの提唱する21世紀の思想である
ESD、すなわち「Education for Susutinable Deveropment」を私は「持続可能な社会維持のための教育」と訳したい。ユネスコの掲げる地球環境のテーマを表した言葉になる。
この「サステナブル」、持続可能という思想は時代の先端だと思っていたがよくよく考えてみたら、2千年以上前から既に東洋にはあったことに気が付いた。
「タオイズム」、老荘の思想だ。
私は30歳過ぎてから孔子の論語に出会って座右の書として愛読、政治家という行動者として拳拳服膺してきた。しかし、司馬遷の史記によると、老子は孔子に会った時、孔子は他人と競い過ぎ、批判し過ぎと評している。ナルホドと思わないわけでもなく、老荘の思想「タオイズム」は論語とは異質のもの、対比すべきものとして関心を持っていた。孔子の思想の中心は「仁」という徳の実践にあり、タオイズムの根本は「道」であり、自然主義だと言われている。孔孟思想はプリンシプル(行動原理)であり、老荘思想はフィロソフィ(哲学)であるとも考えられる。
○足るを知れば辱め(はずかし)られず 止まることを知れば危うからず もって長久なるべし
○人みな有用の用を知りて 無用の用を知るなきなり
○足ることを知る者は富めり
○功成り名を遂げて退くは天の道なり
○つま立つ(つま先で立つ)者は立たず
○柔よく剛を制す
○小国寡(か)民(みん)(小さな国少しの人口が幸せだ)
○和光同塵(わこうどうじん)(光らないようチリの如くに)
○無為自然(飾るな自然体自然体)
○大器晩成(大成するのは歳取ってからだ)
なんと自然体で、サステナブルな哲学観ではないか!
孔子の一生は何処までも政治とのかかわり合いを求める人生であり、老子の人生は政治から一歩退いたところにあった。まさに孔子の人生は刻苦勉励、努力・勤勉・誠実を背負い、かたや老子はゆったりと、和光同塵、無為自然のスローライフに生きた。
タオイズムこそ21世紀のサステナブルな哲学だけではなく、今の私の年齢にふさわしい生き方であると思うゆえんだ。
そんな視点からESDの国際会議を観る。