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桑名 石取祭

桑名 石取祭

パーマリンク 2014/08/18 11:28:58 著者: y-ishida2 メール

「石」を神と捉えるのがこの祭りの名の由来である。桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を取って氏神である春日神社に奉納する祭。春日神社とは奈良春日社を本社とする藤原一族の氏神であるが、春日神社は桑名の産(うぶ)土(すな)桑名神社に勧請(かんじょう)したものである。ここのところが日本の神社の面白いところで、全国どこの神社も、その土地の産土神社に、有名な神を簡単にしかも幾柱も勧請してくる。
祭を見ると、つくづく多神教の日本人の信仰心を見てしまう。別の言い方をすると日本人は何でもかんでも無原則に受け入れる「ごった煮」のような文化を持つ民族ではないかという気がする。
桑名という地について考える。とても特徴のある、力のあるスポットだ。地勢的には日本一の大河川、木曽三川の合流地点であり、伊勢湾の入り口に当たる。列島を東西に分ける重要な港町として古来より栄えた。日本史には日本書紀に豪族桑名首(くわなおびと)として登場する。江戸期には東海道五十三次42番目の宿として栄え、幕末期は佐幕派の中核となる。因みに、明治政府は佐幕派となった藩は県都の名前を県名にさせなかったから、日本中の県都名を聞くと、勤王派か佐幕派か一目瞭然。従って、三重県の県都は四日市市である。
祭はその土地の過去を背負う。いかにも、この石取祭には桑名の土地と歴史の重層性を読み取ることができて興味深かい。
37台の曳山(ひきやま)はこの祭りでは祭車(さいしゃ)と呼ぶ。マスコミ報道などで曳山のことを十派一からげに「ダシ」と呼ぶ。この山車(だし)という呼称は、明治政府が言葉の全国統一を目指したもので、一種の言葉狩りではないかと思っているが、祭の曳山は、その土地独特の呼び方を尊重すべきであるというのが私の持論。
話はまた大きく逸れるが、「ヤマ」について述べる。我々の先祖は、死ぬと遺骸を故郷の山に葬った。山とは常に先祖の霊が眠る場所であった。先祖の霊は木に降神する。だから我々は祭の時、山のような高い構造物を作り、木を立て、故郷のエリアを曳き回し、先祖と邂逅する。その構造物を一般的に「ヤマ」と呼ぶ所以である。
桑名の石取祭が圧倒的だったのは、祭囃に感じた。「日本一やかましい」というキャチフレーズ通り、祭車(さいしゃ)のそばではなるほど会話が困難である。基本は簡単。大きな長胴太鼓と大きな鉦を5拍子と7拍子にリズミカルに打ち鳴らす。金属音の鉦と自然音の太鼓、更に風のそよぎのような篠笛のハーモニーが絶妙で、私にはジャズのセッションのように聞こえた。祭関係者から、夜中まで繰り出すこの音に「やかましい!」と苦情を言う新住民がままいるという最近の世相も聞いたが、子どもと女性がお囃子を担当していたのもまことにいい光景の祭であった。

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