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京都祇園祭

京都祇園祭

パーマリンク 2014/08/16 10:39:14 著者: y-ishida2 メール

祭という言葉は広範囲に使用される。
そこで、私が使う祭の概念をまず規定させていただく。
今後私が報告する祭は英語で言うとセレモニーに限る。世に氾濫するイベントやフェスティバルの類の祭は除外する。要するに、宗教的な祭礼行事を伴う祭に限らせていただく。   また、祭という文字だが、「祭り」と送り仮名は使わず、漢字一字の「祭」とする。そもそもこの祭という文字は神職が祭壇にお供えを差し出した時の象形文字であり、スピリチュアルな美しい文字だ。
次に、日本列島津々浦々に存在する祭は、行われる季節、時期もその祭の動機に関係してくる大切な要素だ。
更にこの際私が提案したいのは、祭を見学したら、町並も注意を込めて観察して欲しい。祭と町を不離一体に捉えると、祭とコミュニティの因果関係が理解できる。「祭が町を育て、町が祭を育む」というのが私の持論であり、祭とコミュニティの研究を深めてみたいと考えた所以でもある。
そんなことを考えながら京都祇園祭を見学した。京都という大都会、7月の猛暑、むっとするような人いきれの渦中にいると、平安京の人々がなぜこの祭りを始めたかが読めてくる。疫病の流行忌避を神に祈ったのが祇園祭の起源だ。この祭りを主宰する祇園の産土(うぶすな)(土地の神)八坂神社には幾柱(神は柱と数える)もの神が存在するが、スサノオノミコトがスパースターだ。私は、日本の神々の中でこのスサノオに一番魅かれる。彼こそ日本神話のトリックスターである。
今年は後祭が半世紀ぶりに復活し、大船鉾が150年ぶりに巡航参加というトピックスがあったので、前祭(さきまつり)後祭(あとまつり)の2回観に行った。
日本の祭は神を迎えて祭祀し、鎮めて送ることを基本とする。京都市は戦後車社会の都市化に伴い、面倒なことは省き基本を簡略化し前・後を合体したのだが、それに気づきもう一度基本に戻し神送りを復活した。
これを主導したのは「祇園祭山鉾連合会」理事長の吉田孝次郎さん。私はこの方を風貌もひっくるめ、敬愛の念を込めて、イスラームシーア派の指導者だと表現する。彼は染色織物の研究者でもある。祇園祭の山鉾の文化財としての際立った価値は幕・織物類であり、それが京都の伝統的な地場産業と深く結びついてきた。
祇園祭の山鉾巡航を観、八坂神社に参拝し、祇園界隈の町屋を見学し、吉田孝次郎さんと会話し、京都という町と祇園祭に流れる通奏低音「不易と流行」が耳に残った。

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