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私は現在至学館大学の伊達コミュニケーション研究所長として、祭を研究している。研究と言っても、もともと学究の徒ではないので、祭関係者の勉強会のようなものを主宰していると言ったほうがいい。今まで政治にかかわってきて、祭とコミュニティ(共同体)の関係に関心を抱き、このテーマに絞って残りの人生、祭の本質と社会の在り方を追求してみたいと思っている。
祭を考えると、切り口はいろいろある。祭がコミュニティの推進力になっていることは間違いないが、何故かと考えると、日本人の信仰心という問題に突き当たる。政治と宗教という人間の本源的な行為の一体となったものが祭のような気がしている。だから祭は人の心を惹きつけ、社会を構成する磁力みたいな働きをするのではないか。
そんなことに気づき、宗教関係の著作を乱読した。私はキリスト教を創立の根底に据えた同志社大学を卒業した。同志社には希にも神学部がある。ここに学んだ思想家佐藤優さんによると、欧米の大学にはほぼ神学部があり、欧米のインテリゲンチァは一神教を教養として学ぶようだ。
日本人は民族の信仰心の原点である多神教を祭で学ぶ。日本の祭こそ八百万の神の祝祭だ。
わが国民俗学の祖柳田国男は「日本の祭」の中で、我々の信仰には経典というものがない、教祖もいない、祭を持続させることによってのみ、飛び石のように信仰を伝道していく、と言っている。民俗学のもう一人の泰斗折口信夫は、愛知県の花祭りを静かに見入り、縄文の時空間に没入した。まさに、日本の祭は歴史の古層を沈潜し縄文の岩盤に突き当たるから面白い。日本人はどう生きてきたのかを祭は教えてくれるし、古代の来し方を映し出す鏡だ。
また、祭を構成する文化は欧米との違いを明白に語る。私は故郷の犬山祭の中に生まれ育った。3歳の頃から祭囃子の太鼓を敲き、高校生の時には笛を吹いた。笛は当時町内に住んでいた尺八の先生が教えてくれた。私の父も祖母も三味線が弾けた。ただし、学校では一切邦楽は教えられなかった。「脱亜入欧」は明治以来の日本の生き方であり、我々は学校での邦楽学習を捨てた。犬山市長になった時、教育長に小学校で祭囃子を教えられないかと持ちかけたところ、誰が教えるのですかと質問された。私は不覚にも、我が国の義務教育の教師達は日本音楽を学んでない事実を知らなかった。
西洋音楽と日本音楽とは根本からコンセプトが違う。西洋音楽は人工であり、日本音楽は自然そのものの表現である。
私は最近車の中でイタリアのオペラ歌手アンドレアボチェリと邦楽長唄を交互に聞いているが、音楽というものはこの東西の違いを何よりも雄弁に教えてくれる。