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東京都議会のヤジを巡って議論が喧しい。世間が反応したように、ヤジった自民党の男性議員は語るに落ちた。彼の女性観は隠しようがなく、根底に差別の思想がある。しかし、彼は決して例外ではなく、自民党の男性議員は少なからずああいう女性観を持っている。権力とカネを持った男の女性観であろう。私は、自民党の県会議員を12年経験したからそれがよくわかる。
今の人は多少違ってきたかもしれないが、私が若いころ秘書として仕えた自民党代議士は、演説会で、「女性には国会議員は無理ですよ」と平然とスピーチしたものだし、私自身もそう思い、周りの男性議員たちはそれに似た発言を常識の如くしていた。日本は欧米先進国の民主主義に大きく影響されているとはいえ、社会的優位に立った男性のリーダーにはパターナリズムというか、よく言えば、ゴッドファーザーのような自負心があるが、裏返せば、どうしようもないイスラム原理主義者に似た女性観から抜け切れず、特に自民党にその遺伝子がある。
私は幸い、社会進出した有能な女性のオピニオンリーダー達と出会い影響された。人権という視座から、女性の可能性を最も知る男の一人であると自負している。いやむしろ、女は社会構造として抑圧されることが多い故に、忍耐力と持続性に勝り、男に比べ生命力が強いと感じている。逆に男は女に比べ社会的アドバンテージがあるが、いざとなって甘さと弱さを露呈する場合がある。
話を東京都議会に戻す。
今日も、テレビで、この話題を取り上げて識者が議論をしていたが、彼らたちにも分からない故指摘されない視点がある。それは都議会の存在そのものの議論である。
私は、愛知県議会議員、犬山市長時代は市議会議員を知り尽くし、衆議院議員を経験したが、議員と一口に言ってもそれぞれ違いがある。今回対象になっている東京都議会議員を含む、全国の都道府県議会議員について自分の経験談を言うのもなんだが、議員職の中で、最も中身のない存在であり、競争がなく、選挙は半数以上が指定席だろう。結果、投票率は常に低い。しかも仕事は、政治活動というより後援会活動的なものが多く、地域では結構な名士で、収入もそこそこ保障されるが、どんな公務をしているのかわからない霧の中。議会の傍聴者はなく、進行はシナリオ通り、言論の府というよりはセレモニー会場、更に言うと、談合部屋のようなものだ。
そもそも、県知事自体、一応選挙はするものの中央官庁の天下りみたいな知事がほとんどだ。勿論、まじめな努力家で、社会的使命感にあふれた有能な議員もたくさんいることは言うまでもない。が、私の言いたいことは、都道府県政自体の意義付けである。
それに手をつけない限り、あの野次をうやむやにする体質から抜け出すことはできない。