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27歳で国会議員の秘書となり、政治人生に飛び込んだ当初、新聞を読んで世の中の情報を知ることは駆け出しの大切な日課の一つだった。
政府から国家褒章と叙勲が発表されるとその受章者に祝電を打つことは重要な仕事だった。何しろ、受章者は国家が認める卓越した功労者なのだから。
若い時その癖がついたので、以降春と秋、昭和天皇と明治天皇の誕生日に発表されるこの二つの表章者には必ず目を通す。そして、人生の名誉についていささか思いを馳せ、また自分の心の中で歳と共に微妙に変化する人生の価値観の変化にも気付く。
褒章受章者800人、叙勲4000人、すべて政府が関与する。内閣府の賞勲局がまとめるのだが、形は内閣総理大臣が天皇に上奏し栽可を受け発令する。
受章や等級の名称を聞くと、なんだか日本史で学習した、古色蒼然、律令制が蘇えるような気がする。
叙勲の位階の高い人は親授式と言って天皇から直接、その他は総理からの伝達式、大臣、知事クラスに分かれる。いずれも、受賞後、配偶者同伴で天皇に拝謁の栄に浴す。
受賞者の中には、受賞後、盛大なパーティを開催する人もあり、そんな席に何度も出席した。
かって出席した政治家だったが、ユーモアを交えてこんなスピーチをした。
「この度不肖国家褒章の栄誉に浴し、天皇陛下に拝謁賜った。妻も着物を新調し、新幹線で上京、最上のホテルに泊まりそのうえこのパーティと、随分金も要った。何がそんなにいいかといって、私が死んだら墓石に褒章の文字が刻める。一族郎党子子孫孫、誠に名誉なことである。」
私はこのスピーチを聞いて、瞬間江戸時代の狂歌を思い出した。
「虎は死んで皮残し、人は死んで名を残す」。
褒章も叙勲も必ず推薦者がいる。自薦ではなく他薦制である。関係団体とか業界が、ほぼトコロテン式に組織のトップを根回しし受章させる仕組みになっている。叙勲は原則70歳以上だが、褒章は違う。私も自治功労で対象者になってはいたが、犬山市長の時、事務担当者に、私の申請はしないように伝えた。世の中には、受章が決まってもあえて受けない人もいるので、あらかじめの打診がある。私は、公職を勤めさせていただくことそれ自体が名誉なことと考えていたので、これ以上は不必要と考えた。
受章者は例外なく立派な方々であり、偉大な人生の証であることに、一点の疑いを持たない。が、あえて言うと、人の人生に階級をつけ序列をつける発想に私は賛同しかねる。
また、褒章や叙勲の対象にならない人物、人生に、輝くダイヤモンドのような存在がどれほど多くいることかという事を考えるのも今日、「昭和の日」という国民の祝日かもしれない。