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知立市の出しているパンフレット類はすべて「まつり」とひらがなで書いてある。祭の字の下の部分「示」は三方の形、上は肉月で生贄の供え物を意味する。すなわち、祭という漢字そのものが神に捧げものをする時の象形文字であり、「祭」と必ず漢字で書いて欲しいものだ。これは由緒ある知立神社の権威に関わることだ。知立祭を主宰する知立神社の由緒は古い。熱田神宮、三島大社と並び東海道三社に数えられていた歴史がある。筆頭ご祭神はウガヤフキアエズ。鵜の羽の上でお生まれになったと聞いた時、犬山の鵜飼に熱中していた私には親近感を覚えた神、初代天王神武の父であり、神話世界最後の神だ。
知立祭は5月2・3日に行われる。日付が固定してあることも嬉しい。というのは、全国どこの神社も1年の例祭日は毎年固定しているのだが、観光客に配慮して例祭日に近い日曜日に毎年毎年祭の開催日を変更する。要するに、観光向けの祭になりつつある。祭の権威を測る尺度として、このことを頭の片隅に置きたい。祭の原点はその土地のご先祖との邂逅である。神となった先祖を迎え、五穀豊穣や厄除けを願った信仰そのものであった。その点で知立神社には権威がある。
知立祭には5台の山車(ダシ)と呼ぶ曳山が繰り出す。「担ぎ上げ」といって、巡行中町角へ来ると、高く大きな山車の一方を担ぎ上げて回す。かなり傾くので見物しているものはハラハラする。担ぎ手である若い衆が格好良く見える祭の見せ場であろう。
祭には厳粛な神事と、喧騒な行事が共存する。酒を飲んで騒ぐことは神もお喜びになるという解説を正統な神職から聞いたことがある。祭の行事の中で風流(ふりゅう)とか練物(ねりもの)と呼ばれるものは今で言う所のパレードであり、何でもありでいいのだ。祭に伴う騒ぎに大衆文化の歴史的絵巻を見る。
5台の山車の1台はからくり人形だが、4台は文楽を奉納する。この人形浄瑠璃が知立祭の白眉であろう。私は数年前、この文楽を語る義太夫を聞いたが、その語りは90過ぎの方だった。感情移入され高揚した語りの声とベンベンと重く低く響く太三味線のハーモニィが知立神社の社に木霊し、日本音楽の美を耳に留めている。
邦楽の世界では70過ぎてから声も技術も上達するという話を聞いたが、それは正座という体勢が体の使い方にロスを生まないそうだ。とにかく、日本の文化と欧米の文化は根本からその考え方と様式が違うという事を、祭をやっていると思い知らされる。
日本人はその様式とその奥にある思想を明治以降捨て去り、忘れてしまったのではないかと思えてならない。
今年の知立祭は「全国山・鉾・屋台保存連合会」の総会と兼ねて開催された。この連合会に所属する32の祭がユネスコの無形文化遺産になる可能性が出てきたからである。