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今年3月日本の伝統的祭の中で、国の重要文化財に指定されている32の祭がユネスコの無形文化遺産候補として文化庁が推薦した。 我が国には民俗文化を伝承する優れた祭は多い。が、いわゆる文化財として公的な機関が認定するためにはまず、モノとして見えたほうが判定し易い。例えば、ねぶたや御柱のように、祭のつどモノが無くなっては蓄積された文化財として判定しにくいという問題が生ずる。それはそれで、無形文化財となるが、モノとして修理したほうが公的な補助金はつけ易い故に、そういった祭は組織を作って補助金の獲得に励むようになる。だから、文化財指定の祭はいわゆる曳山(ひきやま)タイプが多くなる。その曳山祭で、「全国山(やま)・鉾(ほこ)・屋台(やたい)保存連合会」という組織を作っている。この組織に属した32の祭が世界遺産候補になった。愛知県に5か所あり、全国最多。蟹江の須成祭はその1である。
須成祭は今まであまり世間に知られていなかった。何故か。一言で言うと、祭関係者が人に見せようとか観光客を呼ぼうという発想が薄かっただけのことだ。いわゆるポピュリズムに流されなかったという事ではないか。
須成祭は津島天王祭と同じ夏の川祭、牛頭(ごず)天王信仰で、夏の疫病退散と五穀豊穣を願うと聞いたが、葭(よし)を刈ってきてご神体とし、葭で禊(みそぎ)を行い、川に流す神事が祭の中心思想だ。
祭前後7月初旬から10月中旬まで約100日間かけて数々の催事があり、別名「百日祭」と呼ばれていると聞いた。祭の全貌はとても見学することはできないが、町の民俗資料館でこの百日祭のビデオを見た。神社の氏子たちが総出で葭を刈る、車(だん)楽(じり)船(ふね)に乗せる人形やその飾りを作る。その他もろもろの祭の準備とそれに伴う仕事をこなすありさまを見た。祭りにプロなどいないし、全員が普通の住民であり、奉仕の精神で取り組んでいる。全て、祭の為である。祭が住民の絆をつくり、住民が祭を育てる。いわゆる共同体の原点であり、コミュニティのあるべき姿であると心から感動した。
蟹江町は平成の合併騒動の中、合併を選択しなかった。賢明であったと思う。合併というのは行政の都合で勝手に線引きし、自治体の範囲を人工的に作る。須成祭をはじめとする日本の伝統的な祭は神社というその土地の先祖を求心力として自然に集まる共同体であり、その地の山川草木と強く結びつく。そして山川草木はすべて神となって故郷を守る。
祭関係者が冨吉(とみよし)建(たけ)早(はや)神社と八釼社の両神社に参り、その足ですぐ隣に立つ寺院にも参詣した。我が国では江戸時代まで、神社と寺院は必ず一か所にあった。それを分けて寺院を追い出したのは明治政府の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という仏教排撃のせいであり、これは大きな失政であったと思っている。ところがここ蟹江では本来の信仰形態を維持していた。