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揖斐まつり

揖斐まつり

パーマリンク 2014/08/18 11:31:11 著者: y-ishida2 メール

揖斐まつりは、岐阜県揖斐川町、三輪地区の氏神三輪神社の祭である。自治体名「揖斐川町」は木曽三川の一つ、揖斐川から来たと思われる。地方政治に長年かかわってきた私の観察だが、我々は有形無形無意識の内に故郷の川に大きく影響される。母なる川という言葉は正しく真理だ。一昔前の日本人の感覚では、国とはcountryとかnationではなくlandであり、都会が形成される前の山村社会では山川草木が住民のメンタリティを作ったと思う。揖斐川町は何となく私を惹きつける。
「揖斐川町は太古、大神(みわ)の里と称し、伊比(いび)の里とともに出雲族、神人(みわ)氏の蟠踞地で山麓の一寒村でありました。」から町史は書き出す。
三輪神社の例大祭揖斐まつりは5月3・4・5日に行われ、歴史の由緒を背負い神事を重んずる祭だ。            5月1日 三輪神社に幟(のぼり)が立つ     2日 町内からの神輿(みこし)のご神体受付    3日 小試(しん)楽(がく) 公民館で子ども歌舞伎上演 4日 試楽 神社前にて子供歌舞伎上演                  ヤマ(車偏に山)引き揃え        5日 本楽(ほんがく) 稚児役者お練り 神輿(みこし)お旅(たび)            子供歌舞伎 ヤマ引き回し
*お旅とは神が降臨した神輿を担いで氏子の住むエリアを巡行しお祓(はら)いすること   
曳山は5町内から繰り出す。ここではヤマと呼び国語辞典にはない車偏に山の字を書く。 若い衆が神輿の巡幸の時大声で民謡のような「おばば」を唄いながら担いでゆく。揖斐川町が発祥のこの唄を私も子供の頃故郷の川祭りで唄ったことがある。「オババドッコイキャルナーア ナーナナ 嫁ノ在所エナー 三升樽サーゲテ ソーラバエ」という何とも長閑(のどか)なメロディは、意味は解らなかったが少年の時の祭の記憶と共に、私の体に染みついている。祭の遺伝子は確実に子ども達に引き継がれる。
衣斐祭の楽しかったのは子供歌舞伎だ。ヤマを曳き出す5町内で毎年順番を決めて歌舞伎を担当する。町内の公民館で上演したり、ヤマの上で上演したり、本楽の日は神社の前で演ずる。
現在のように家柄の世襲制のみではなく、瓦乞食といわれる下層の大衆の中から生まれた文化であった地芝居歌舞伎も、世界遺産であることを知る人は少ない。実は戦前まで、全国に歌舞伎小屋は1500余あったが、敗戦によりGHGは歌舞伎の上演を3年間禁じた。歌舞伎はそのほとんどが復讐劇であり、日本人の心情の根っこを表現ずる故に、アメリカは恐れたと言われる。
それによって大衆演劇としての歌舞伎は壊滅し今は50そこそこの小屋が残るのみとなったが、岐阜県が最多だ。歌舞伎には我が国の芸能と様式のすべてが入ってきているのだが、どうも今の日本人は歌舞伎より西洋のオペラのほうが詳しくなってしまった。
祭を見ることは「日本人」を思い出させる。

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