ページ: << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 13 >>
5年前だったか題名に曳かれて「選挙」というドキュメンタリー映画を見た。川崎市の市会議員選挙の記録であった。
その映画を撮った想田和弘監督はその後海外の映画祭で数々の授賞をした。そして今回、同じ川崎市の「選挙2」。シナリオもなし、事前打ち合わせも一切なし、一人で現場へカメラを持って出かけ、とにかく映す。計算しない、あるがままの映像から我々は何を読み取るかというのが想田監督の投げかけなのだろう。
私は故郷犬山市を選挙区に6回選挙している。6回とも相手は1人か2人だったから市民は街頭演説に耳傾けてくれた。人口7万3千人規模のまちだから、ほとんどの市民は私を知っていたし、候補者と有権者の反応は肌を通して感ずることができた。しかしこの映画の舞台は川崎市という巨大都会であり、市議会議員選挙となると14人が立候補、投票率も50パーセントを切る。市民のほとんどがしらけているのが画面を通して伝わってくる。
まず、想田監督が、犬山市長選挙のドキュメンタリーを撮ったならまた違う「選挙」になったに違いないと思った。
選挙はそのまちの自画像といってもいいだろう。そのまちそのまちに固有の選挙風景があり文化がある。
川崎市の朝のラッシュ時、通勤客の表情は無関心を越して候補者に対する不快感のようにすら見え、大都会特有の無機質な光景が選挙をカリカチュア(戯画)している。候補者の街宣車や街頭演説や握手作戦が異常な世界を現出する。「選挙」を通じて、砂漠の如き大都会の乾燥を観る。
更に、ドキュメンタリー映画の威力が分かった。駅頭で街頭演説をしている自民党候補が撮影を拒むシーンがある。いかにも自民党政治家らしく、高飛車に撮影者には拒み続け、通行人にはそぶりを見せない。ベテラン政治家の二重人格ぶりを見事に演じる名優だ。かって伊丹十造監督が、役者で一番演技が難しいのは政治家であると言っていたことは思い出したが、政治家役は本職に限る。
映画で主役的な役割をこなす候補者山さんは、事務所も持たず、選挙カーも使わず、選挙費用8万4720円で済ます。スローガンは脱原発。
結果は落選。
世間は政治家が低俗だと批判するが、志の高い人物を当選させないのも世間ではないか。
中学・高校時代同級生だった前美濃加茂市長渡邊直由君が亡くなった。
彼とは縁が深い。まず、彼の家業は御代桜という造り酒屋であり、私の家業と同業の付き合いでもあった。彼の父上は、美濃加茂市長から衆議院議員になり自民党田中派の建設族。私の仕えた江崎真澄氏とは同派閥の間柄。秘書時代はカバン持ちで選挙の応援に行ったものだ。犬山市長になってから、私が薦めて彼は美濃加茂市長になった。木曽川流域の関係で、「日本ライン共和国」という尾張・美濃交流ゾーンを立ち上げ面白い企画をした。桃太郎サミットなどはその典型で、公私にわたって渡邊君との交流は深いものがあった。
争いを好まず、余分な口は叩かない静かな男で、政治家には稀有なタイプの、誇れる親友であった。癌を患って、任期半ばで市長職を辞し、後継の市長選挙もつい1か月前に済ませた矢先、訃報に接した。
ここ数年、私の周りは親友のような存在の死去が続く。そういう歳になったといえばその通りなのだが、辛い。早速駆けつけた。
彼は8月6日、広島の原爆投下日に生を受け、8月の真夏に選挙戦を勝ち抜き市長になり、そして蝉の声が喧しい今日亡くなった。静かな男であったが、本質は烈日のごとき熱く激しい人生であったかもしれないと思った。 私の気持ちを故人があの世で読んで欲しいと思い、自分の気持ちを認め棺の中に入れてもらった。
愛していた人物が亡くなったら、静かにその人の人生のことを考えるのもいい。そしてその思いを文章にして、あの世へ持って行って欲しいと考えるようになった。
葬儀は自分自身の人生を振り返る気がする人生の重要な通過儀礼だ。
反面、葬儀に招待状はないので誰でも会葬に来る。政治家の場合、故人にしたらあいつだけには来てほしくない人物まで来る。今日も、私のような政界人脈に詳しいものは一目瞭然解るのだが、故人の足を引っ張りまわしていた人物も来る。棺桶からもう一度出てきて、あんたには見送って欲しくないんだけど、と言いたい故人の気持ちが読めた。
私の葬式は、世間には告知せず、身内だけの葬式にするよう、そろそろ遺言状を書くことにする。
参議院選挙が終わり、結果が出た。
選挙前に思ったことと結果は一度反芻しておかなければなるまい。
選挙が始まった時点でのブログ再読。想定通りであり、「みどりの風」の結末は予期していた。が、人間というのは希望を持つ動物である。選挙にのめり込んでいるうちになんとなく感情移入してしまい、よく言えば希望が湧き、悪く言えば客観性を見失い自分の都合のいいように考えを持っていってしまう。あまりにも想定通りの結果に凹んだ。
谷岡さんのスピーチは何回も聞いた。大学の学長であり、教育者らしく、いわゆる利益導入の話は少しもなかった。ロマンチックに終始した。また、女性ならではの視点にも満ち満ちていて新鮮だった。しかし結果はかくの如し。
結局谷岡さんの詩は大衆の心に届かない。金銭と結びつき、ふところ勘定を刺激し、何か物質的な利益と結びつく散文でなければ、大衆は気に留めない。きれい事だけでは、頭の上を風のように通過してしまうのか。
今回の「みどりの風」、私の名古屋市長選挙を思い出した。あの時、私は他人の意見に耳を貸さず、大真面目に河村氏に政策論争を挑んだ。減税という政策が納得できなかったし、あの時私の頭の中は、議員内閣制という、地方議員にも予算案を作ったり、行政を執行する制度改革、未知への挑戦に囚われていた。「自ラ顧ミテ直クンバ、敵百万タリト言エドモ我行カン」という言葉に支えられ、オレが天下を変えるというくらいの気持ちになっていた。
「みどりの風」の候補者の心境と何かダブる。
選挙とは一種、夢を見る時かもしれない。眠りから覚め、それが夢であったことを知る。夢が正夢であった時は嬉しいが、夢が単なる夢で終わった時の後味は悪い。
参議院選挙の総括は後味が悪い。
月例会で、「犬山城下町を語る会」を始めて8回目になる。数年前シャッター通りであった城下町に賑わいが戻り、土日祭日ともなると人が人を呼んでごった返す。しかし、観光客が増えただけで喜んでいていいのか、今こそ10年先50年先のビジョンを持たなければいけないのではないかという思いで、有志を誘い、拙宅でごく内輪の懇談会としてスタートしたものだ。
初めは「犬山城下町」にどんなことを感じているか述べ合った。観光客は確実に増え、空き家も日に日に埋まってきたが、逆に生活者の立場が置き去りにされているとか、依然高齢化に歯止めがかかっていないとか、こんな表面的な数字はバブルでそのうちブームは去るとか、自分たちの町への愛情は持ちつつそれゆえの憂いも語られた。
次の段階で、中部大学の研究者に世界遺産の解説をしてもらった。丁度富士山が登録された時期でもあり、犬山城下町を世界遺産にするためにはどうしたらいいのかを勉強した。しかし、世界遺産というのはあくまで一つの目標としての選択肢であって理想ではない。世界遺産というと文化の何たるかも考えない物見遊山の対象にしか考えない人種が来ても意味ないだろうという意見も出た。
そんなこんな勉強会を重ねるうちに今月はこの会メンバー赤塚次郎さんの話を聞いた。赤塚さんは、愛知県埋蔵文化センターの研究員で、古墳の専門家である。
話のポイントは、城下町の歴史をさらに掘り下げることにあった。歴史というものはその時代時代の層の積み重ねであり、縦に貫く時間軸である。今まで我々は犬山の城下町をどう残し、発展させたらいいのかを一生懸命考えてきた。が、今日の話で視野は逆方向に広がった。犬山城の基になるのは、室町期に築かれた木下城という砦であり、平安期針綱神社の由来やら、古代東の宮、妙感寺、青塚の3大古墳の話、その古墳と御嶽更には太陽との位置関係など、古代人がこの地に住んで何を考え何を建設し、どう生きてきたかという歴史の源流にイメージが伸び伸びと展開される話であった。
私がかねてから主張する祭りの意味とも結びつく。まちづくりは故郷の根っこを掘る作業でもある。先祖の声を聴くこと。何時の時代もそこに住む人の心はその土地を愛し続けてきた。大抵の人の人生は生活する土地への思いと結びつくのだが、歴史の積み重ねなどお構いなく、世界中ボーダレスに経済的利益のみを求め歩くグローバリズムは故郷破壊の思想だ。
「設楽ダムの建設中止を求める会」代表者、市野和夫さんに会いに豊橋まで出かけた。みどりの風の選挙運動も兼ねてではあったが。市野さんは6年前愛知県知事選挙に立候補した時出会って人であり、今秋の設楽町長選挙に立候補声明している。
田中康夫さんが長野県知事であった時、脱ダム宣言を聞き、ダム行政に関心を持った。当時私は愛知県砂防協会の会長を務めていたのでダム建設推進派側だった。深く考えて引き受けたポストではなく、行政の論理を鵜呑みにしていた。しかし、脱ダムの論理を聞くうちに開明し、巨大ダムを相も変わらず建設し続けることの時代錯誤を知った。そして、愛知県政の中で、設楽ダム中止を主張した。行政執行者の立場では異端だった。
ダムに限らず、こういった巨大公共事業は途中で舵を切り替えることは大変難しい。例えば、設楽ダムにしても、そもそも計画はほぼ20年前に立てられたもの。東三河、渥美半島の農業水、工業水、その他水の需要予測は20年経てば外れる。しかし、行政が建てた予測は不動のものとして進む。そこにギャップが生じることは少々考えれば大抵判断できるものだが、それが困難なのは、一旦行政システムに組み込まれ流れができると、多方面にわたりその考え方と形が力を発揮してしまう。そのいちばんの元凶が、金銭的な関係、いわゆるカネズルの柵だ。地方自治体、土木業者、そして住民と巨大な金銭によるネットワークが出来上がり、もうあと戻りできなくなってしまう。このダム工事と原発建設は似ている。シャブ漬けとあからさまな表現をする人もいるが、まさに補助金の罠にはまり、いかに正論を吐いてもそれが通じなくなる。不条理の条理というか、人間はそう簡単に正論だけでは動かないエコノミックアニマルでもある。
それに加え、ダムや原発問題で、私が憂慮するのは、浪費のライフスタイルだ。水も電力もエネルギィーもすべて無尽蔵に浪費する価値観は不道徳ですらある。
私は、この巨大ダム建設や、原発を容認する論調から、先日見た映画「リンカーン」を思い出した。当時奴隷制度はビジネスであり、この制度で食っていた人たちが大勢いた。現アメリカの銃規制と一緒の構図だ。奴隷制度そのものを不正義だとわかっていても、自分たちのビジネスがなくなることは反対に決まっている。そこを押し切ったのがリンカーンであり、その故に歴史に名を残す政治家になった。歴史に名を留めるか否かの分かれ目は、そこに存す。
物欲・我欲を制して、人間の持つ精神的品格を優先することの難しさが、この設楽ダム問題に表れている。
4日から17日間の参議院選挙がスタートした。谷岡郁子さんから頼まれ、「みどりの風」の選対本部長なる役職を引き受けた。「みどりの風」は、脱原発とTPP反対を明確に打ち出している。何も人間関係のしがらみで応援を買って出たわけではない。
「みどりの風」は日本の祭を見直し、地域再生の起爆剤にするという事をマニフェストに書いている。これは私の提案による。「みどりの風」の政策を貫く思想はボーダレスエコノミー、グローバリズムに対する否定であり、私の持論であるローカリズム、地域主権、ふるさと回帰が通奏低音として流れる。
今回の参議院選挙、初めてといっていいか、どの政党ともしがらみを断って自分の考える政策本位に考えたい。その点で、まず最大の視点は、原発問題だ。東日本大震災を経験後最初の参議院選挙なのだから、この経験を今後の国政にどう反映するかが、最大のテーマとならなければいけないと思うのだが、どうも各政党の論戦や国民の関心を見ていると経済、中でも景気浮揚が最大の争点になりかかっている。相も変らぬ金儲け優先、これでは諸外国から、やっぱり日本人はエコノミックアニマルだと思われても仕方ない。
津波は避けられない天災であったとしても、原発の事故は人災であり、100パーセント国政の責任であろう。この参議院選挙という国民投票に代わる機会に、エネルギィー政策を大転換し、新しい再生エネルギィーというイノベーションを促す機会にもかかわらず、また歴史を戻してしまうような選挙になりかかっている。まったく切歯扼腕、無念の極みだ。
「みどりの風」はその流れに明確に掉さす主張をしている。谷岡代表はテレビ討論でしっかりした主張をしていると思うが、これだけ政党が多党化すると議論がこんがらがり、論点が錯綜し、記憶に残らない。街頭演説もなかなか聴衆に伝わりにくい。本当に選挙は難しい。
とにかく今回の選挙、「みどりの風」は文字通り風まかせ、波まかせ、太平洋一人ぼっちのヨットみたいな選挙になってしまった感なきにしもあらず。
私は今までの政治経験の集大成として、多数主義、員数主義には落とし穴があり、少数意見の中にこそ真実が隠されていると信じて弱小政党「みどりの風」を応援することにした。
春日井市高蔵寺ニュウータウンで福祉系市民運動のリーダー治郎丸慶子さんが「吉阪隆正賞」を受賞し、その祝賀会の案内状をいただいたので出席した。公職者だとか肩書の付いた人物は一人もいない、地域住民主催による少人数で地味な祝賀会ではあったが、心からの祝福の気持ちが溢れ、暖かく優しい気持ちになれるいいパーティーだった。
まず、キーワードの解説がいる。
① 高蔵寺ニュータウン 戦後国策として大都会中心に若い労働人口を集中させた。首都圏は多摩ニュータウン、関西圏は千里ニュータウン、そして名古屋圏がこの高蔵寺ニュータウンだ。愛知県の東部丘陵地帯と呼ぶ里山を造成、巨大な集合住宅が林立する5万人規模のニュータウンが出現、名古屋圏の高度経済成長を支えた。しかし、このニュータウンも50年たてば今やオールドタウン。少子高齢化の波をもろかぶり、住民は苦しんでいる。その状況の中でベッドタウンからライフタウンへという目標を掲げて立ち上がったのが、治郎丸さんを中心とする女性グループNPO「エキスパネット」だ。
② 吉阪隆正賞 吉阪隆正という人名は寡聞にして知らず、建築の研究者に尋ね、人間の存在を表現することをテーマにした建築家であり登山家であったと知った。
この表彰される側、表彰する側双方に私は深い感動に落ちた。表彰というと、オリンピックだとかノーベル賞だとか、最近では世界遺産登録だとか国民栄誉賞だとか高額の金銭や目立ったものに世間は大騒ぎしスポットをあてる。それはそれなりにご立派なことだとは思うものの、今日の表彰のように、ひっそりとしているが、地域の人たちの命を支え、生活を支え、ヒューマニズムに溢れた地味な努力に光が当てられ、それを喜ぶ一握りの善良な人たちの集まりに席を連ねられたことに感じ入ったのだ。
表彰される人も立派なら、表彰する人も立派だ、と私はお祝いを述べた。
市民運動はとにかく続けることです。と、短く締めくくった表彰者の治郎丸慶子さんのスピーチがいつまでも印象に残った。
今月「地域主権」シリーズで、明治村・モンキーパーク・リトルワールドと名古屋鉄道がいわゆるメセナとして運営する3施設の所長と対談した。(「石田芳弘地域主権」をネットで検索しご覧ください)
今日はその一つ明治村の評議委員会があり出席。私は公益法人の評議委員とか理事は経験豊富だが、ほとんど形だけで議論はなく形骸化している。議案の朗読が済むと「意義ありませんか」とシナリオ通り議長発言、「異議ナーシ!」と誰かが機械的に答え、「異議なしと認めこの議案は議決いたしました」で、一丁上がりだ。そんな会議から、先日の全日本柔道連盟のように不祥事が発見できず、隠蔽が進んでゆく。今や評議委員会は決定的に重要になった。
理事会と評議委員会の関係は、丁度首長に対する議会のようなチェック機能だと思う。
とは言うものの、今日の明治村評議委員会もシナリオを読むだけの会議になり、明治村の抱える将来像について何ら掘り下げることはなかった。
明治村のような公益法人の運営は難しい。特に文化遺産というものは維持に多額の資金がいる。株式会社と違いNPOと一緒で、収益を再投資に回すことはできない。運営の面で明治村は名鉄本社に大きな負担を強いている。名鉄という会社は、いわゆるグローバル企業ではなくローカルエコノミーによって成り立つ企業であるだけにいわゆる金融資本主義のような投機的利潤を上げることはできない。私は今後長期的に明治村を考えると持続不可能な気がしてきた。名鉄は明治村の他にこういった公益法人の文化施設を多数抱える。
私は名鉄という企業を最大限に評価している。地域に立脚し、地域に貢献し、地方の財界のリーダー役を務める、倫理観のある企業だと思っている。金融・証券や、あるいはユニクロ・楽天のように地域経済とは関係なく、ボーダーレスに世界中から金を吸い寄せるグローバルエコノミー企業とは違う。
ここで少々荒唐無稽だが、われながらいいアイデアを考えた。それは、明治村を公益法人から一自治体として独立させ、文字通りの「明治村」にすることである。
そもそも平成の合併はその根底にグローバリズムに似た地域のアイデンティティー破壊があるから、その逆に、市から村=コミュニティーへの反転はおもしろい気がする。
モンキーセンターが主催するモンキーカレッジで河合雅雄さんの講義があった。80歳を超えておられるだろうが研究心と知性が横溢した講演だった。
河合さんは、多くを学んだ人生の師である。教育行政に精力を傾注したが、一番重視した「学力観」は河合さんの著書「学問の冒険」から示唆を得た。河合さんは、冒険という言葉を大切にされたように思う。冒険という行為はワクワクするような心の躍動感を連想させ、私の大事にしたい内発的な情熱であり、学びの源泉だ。
戦後、世界に先駆けて日本でサル学が始まった理由や、それが何故犬山でスタートしたのかなど、河合さんの話を聞きながら確認することができた。将来学問として絶対食っていけないといわれたサルの研究にあえて入ったこと、アフリカでゲラダヒヒと一緒に生活し、その研究に没頭したこと、ゴリラのかかる病気に伝染したことなどなど、以前聞いた話ではあったが、まさに学問の冒険の実践談だった。
犬山市長当時、河合さんが犬山は市域の7割が美しい森で覆われ、その中にたくさんの文化施設が点在しているから、オーストリーの「ウィーンの森」をモデルにしたらという話をしてくれたことがあった。「森のまち」やら、生涯学習としての「全市博物館構想」を立て、河合さんに名誉市民になってもらい、市制50周年の式典に記念講演をお願いした。また当時文化庁長官であった実弟の河合隼雄さんにもこの「全市博物館構想」を激賞してもらったことがある。自画自賛めくが、文化力-ソフトパワーこそが犬山のまちづくり戦略であった。
河合さんはサルの研究を通して、人類とは何ぞやという事を問い続けられた。比較はおこがましいが、私は祭を通して、日本と日本人は何かを求め続けようと心に決めた。
志学館大学内にある「伊達コミニュケーション研究所」での活動がスタートした。
私は今後この研究所の所長になって日本の伝統的祭の研究をしようと考えている。まだ具体的ではないが、当面今秋11月をめどに「日本の祭シンポジューム」を開催する。そのためにまず中部圏の足元を固めなければいけない。今日は愛知・岐阜・三重の祭関係者30人位に集まってもらった。
予め次のような4点の質問を通知しておいた。
1 あなたは何のために祭をやっていますか
2 あなたのやっている祭の現在抱える問題点を述べてください
3 当研究所に臨むことを教えてください
4 今秋全国規模のシンポジュームを開催したいと思っていますが、ご意見をください
活発な意見交換があった。
祭の実施者たちは概ね、子供の頃から祭の中で育ち、大人となり何気なく祭担当の役をやるようになった、しかし祭りを通して、地域社会に貢献したいと発言した。
困っていることも共通している。人手不足、資金が足りない。文句は言うが協力しない住民が増えた。等々。祭のお囃子がうるさいと言う住民がいるという意見もでたが、そんな人は引越していってもらえと冗談交じりのヤジが飛んだ。
最後に清須の日吉神社宮司三輪さんが、いい総括をしてくれた。戦後日本人は故郷を捨てて都会へ集中したこと、核家族化し共同体の形が崩れたこと、欧米文明の根底にあるキリスト教は個人主義、日本古来のライフスタイルは共同体であり、祭りを取り巻く環境が大きく変化したという。
祭りの研究者は、民俗学、民族学、社会学、宗教学、歴史学などの分野に大勢いる。が、祭りを実施している人たちがこう言った話し合いをすることはない。
祭の研究とは、日本人は何か、日本という国はどういう国かを探し求める巡礼の旅である。