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7月9日 設楽ダム

7月9日 設楽ダム

パーマリンク 2013/07/11 08:59:58 著者: y-ishida2 メール

「設楽ダムの建設中止を求める会」代表者、市野和夫さんに会いに豊橋まで出かけた。みどりの風の選挙運動も兼ねてではあったが。市野さんは6年前愛知県知事選挙に立候補した時出会って人であり、今秋の設楽町長選挙に立候補声明している。
田中康夫さんが長野県知事であった時、脱ダム宣言を聞き、ダム行政に関心を持った。当時私は愛知県砂防協会の会長を務めていたのでダム建設推進派側だった。深く考えて引き受けたポストではなく、行政の論理を鵜呑みにしていた。しかし、脱ダムの論理を聞くうちに開明し、巨大ダムを相も変わらず建設し続けることの時代錯誤を知った。そして、愛知県政の中で、設楽ダム中止を主張した。行政執行者の立場では異端だった。
ダムに限らず、こういった巨大公共事業は途中で舵を切り替えることは大変難しい。例えば、設楽ダムにしても、そもそも計画はほぼ20年前に立てられたもの。東三河、渥美半島の農業水、工業水、その他水の需要予測は20年経てば外れる。しかし、行政が建てた予測は不動のものとして進む。そこにギャップが生じることは少々考えれば大抵判断できるものだが、それが困難なのは、一旦行政システムに組み込まれ流れができると、多方面にわたりその考え方と形が力を発揮してしまう。そのいちばんの元凶が、金銭的な関係、いわゆるカネズルの柵だ。地方自治体、土木業者、そして住民と巨大な金銭によるネットワークが出来上がり、もうあと戻りできなくなってしまう。このダム工事と原発建設は似ている。シャブ漬けとあからさまな表現をする人もいるが、まさに補助金の罠にはまり、いかに正論を吐いてもそれが通じなくなる。不条理の条理というか、人間はそう簡単に正論だけでは動かないエコノミックアニマルでもある。
それに加え、ダムや原発問題で、私が憂慮するのは、浪費のライフスタイルだ。水も電力もエネルギィーもすべて無尽蔵に浪費する価値観は不道徳ですらある。
私は、この巨大ダム建設や、原発を容認する論調から、先日見た映画「リンカーン」を思い出した。当時奴隷制度はビジネスであり、この制度で食っていた人たちが大勢いた。現アメリカの銃規制と一緒の構図だ。奴隷制度そのものを不正義だとわかっていても、自分たちのビジネスがなくなることは反対に決まっている。そこを押し切ったのがリンカーンであり、その故に歴史に名を残す政治家になった。歴史に名を留めるか否かの分かれ目は、そこに存す。
物欲・我欲を制して、人間の持つ精神的品格を優先することの難しさが、この設楽ダム問題に表れている。

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