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中学・高校時代同級生だった前美濃加茂市長渡邊直由君が亡くなった。
彼とは縁が深い。まず、彼の家業は御代桜という造り酒屋であり、私の家業と同業の付き合いでもあった。彼の父上は、美濃加茂市長から衆議院議員になり自民党田中派の建設族。私の仕えた江崎真澄氏とは同派閥の間柄。秘書時代はカバン持ちで選挙の応援に行ったものだ。犬山市長になってから、私が薦めて彼は美濃加茂市長になった。木曽川流域の関係で、「日本ライン共和国」という尾張・美濃交流ゾーンを立ち上げ面白い企画をした。桃太郎サミットなどはその典型で、公私にわたって渡邊君との交流は深いものがあった。
争いを好まず、余分な口は叩かない静かな男で、政治家には稀有なタイプの、誇れる親友であった。癌を患って、任期半ばで市長職を辞し、後継の市長選挙もつい1か月前に済ませた矢先、訃報に接した。
ここ数年、私の周りは親友のような存在の死去が続く。そういう歳になったといえばその通りなのだが、辛い。早速駆けつけた。
彼は8月6日、広島の原爆投下日に生を受け、8月の真夏に選挙戦を勝ち抜き市長になり、そして蝉の声が喧しい今日亡くなった。静かな男であったが、本質は烈日のごとき熱く激しい人生であったかもしれないと思った。 私の気持ちを故人があの世で読んで欲しいと思い、自分の気持ちを認め棺の中に入れてもらった。
愛していた人物が亡くなったら、静かにその人の人生のことを考えるのもいい。そしてその思いを文章にして、あの世へ持って行って欲しいと考えるようになった。
葬儀は自分自身の人生を振り返る気がする人生の重要な通過儀礼だ。
反面、葬儀に招待状はないので誰でも会葬に来る。政治家の場合、故人にしたらあいつだけには来てほしくない人物まで来る。今日も、私のような政界人脈に詳しいものは一目瞭然解るのだが、故人の足を引っ張りまわしていた人物も来る。棺桶からもう一度出てきて、あんたには見送って欲しくないんだけど、と言いたい故人の気持ちが読めた。
私の葬式は、世間には告知せず、身内だけの葬式にするよう、そろそろ遺言状を書くことにする。