ページ: << 1 ... 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 >>
昨夜の森田実さんの話で私なりに印象に残った個所だけメモしておく。
1 アメリカ大統領選挙でやや劣勢だったオバマが最後に逆転したのは女性のパワーだった。女性の持つ戦争は嫌、争いや悪口は嫌だという平和志向であった。これは今後の日本の国政でも大事な視点である。女性の意思が流れを作る。
2 最近の新聞記者は現場へ出かけて取材しない。ハイヤーが使えなくなったこと、ネットが普及したことなどでほとんど机の上だけ、電話だけの取材で済ます。だから現場感覚が薄れ、予想が外れる。東京の一部大メディアに情報が独占され、ジャーナリストが反骨精神を失ってしまった。
3 民主党の失敗は対中関係である。明らかに尖閣列島の国有化は間違いであった。戦争を肯定する者に幻惑された。
4 自民党の間違いは、総裁選で党を挙げて防衛問題で集団的自衛権を決めてしまったことにある。
5 大阪の橋下徹は石原慎太郎と組んだことでらしさを失い、維新の勢いは落ちる。
「ふるさと清流会」主催の第1回市民講座。
「飛騨から始まる地域主権」というテーマで政治評論家森田実さんの話を聞いた。
そもそもこの「ふるさと清流会」という政治団体は森田さんのアドバイスによるもので、地域の若い人材を育てる一種の政治塾を目指すもの。計画を立てた時は1か月前であったが、期せずして衆議院の解散と重なりタイムリーな話題提供となった。会場は下呂交流会館の200人規模の部屋を選んだが、これがよかった。満席で2時間集中した集会となった。(講演内容は、「ふるさと清流会」でネット配信している)
森田さんは民主党政権についてかなり厳しく批判した。会場に来ていた人は前回の選挙ではほとんど民主党に投票した人である。だから、かえって今日の講演会は策したところがなくてリアリティーがあって参加者は真剣だった。私も、今日は政治の勉強会であって、民主党の演説会ではない。選挙は一人ひとり自分で考え自分の基準で投票されたい、民主主義の主役は皆さんですと挨拶した。
衆議院が解散し中央政界はバタバタ。あちこちから様々な情報が入ってくる。よく知っている人が今までの党から出たり、思いがけない新人が出現したり、あの男があの選挙区から立候補かというドラマが起きている。政党の境目が溶けてわからなくなったという感じがする。こんな選挙は初めてではないかなあ。
メディアに登場する評論家たちは口をそろえて現状と政治家をけなす。たしかに一体何考えてんだという感じ無きにしもあらずだが、自分の経験を思い起こすと当人たちの心理状態が真に迫ってくる。いよいよ選挙を覚悟した瞬間ほんとに身が引き締まるものだった。覚悟を決めて渦巻く激流に飛び込む気持ちになる。思わず神仏にすがる気持ちになる。四六時中緊張し心臓の鼓動が人に聞こえないかと思うくらい高鳴ってくる。寝不足と不規則な食事との戦いが始まる。選挙は誠に過酷なものだ。それは総理大臣から新人に至るまで同じに違いない。例えは不適当かもしれないが、選挙とは昔でいうと戦争なのだ。
犬山市長時代に全国の市町村長で「首長交流会」という政策研究会ができ、その代表を務めた。その時の事務局になってくれたのが、「地域交流センター」というNPOだった。
当時、「地方分権」が登場し、自治体の自立というテーマを首長同士で熱く議論した。その「地域交流センター」から電話があり、今の政治状況の中で、かっての首長たちの意見が聞きたいという。草加市長であった木下さんからも一度元市長たちが集まろうじゃないかということになって、東京に有志が集まり、今日2回目の会議をした。
丁度今日衆議院の解散と重なり、国政中心になった。10人程度の会合であったが、ほとんど未来に希望の持てる雰囲気はなかったといっていい。経済の落ち込み、景気の低迷、格差の拡大、地方の疲弊、高齢化の加速に伴う福祉、医療現場の苦労などなど、言い尽くされているのに少しも解決の道筋が見えないどころかますますひどくなっている。国債が増えすぎて、そのうちきっと国家財政が破綻するに違いないということが真剣に語られた。
中部大学で「サステナビリティー研究会」
私と応用生物学部教授の南基泰教授が講演しパネルディスカッションする。
サステナビリティー(持続可能)というテーマに沿って、私なりに考えた。私の語れることは、政治という公的世界での実践経験である。国会議員になり、国政はなんとなくバーチャルでイメージが先行したこと。やはり私の原点は、地方自治の経営にあったことに話のポイントを置いた。
実は、明治時代まで国という概念はふるさとのことであり、藩こそが国であった。明治政府が開国して一気にグローバライゼーションの潮流が国家という概念を作り上げたにすぎないと私は思ってきた。だから私おけるサステナビリティーとはふるさとへの回帰である。
私の行きついた場所は飛騨の大自然の中に帰るというライフスタイルであった。下呂にある国際保養地構想と中部大学が事務局を務める国連大学によるESD計画とを結びつけるのが私に与えられた仕事と考えている。
30年来の友人に金井実さんという人物がいる。彼は主にワインとオリーブの輸入業をしている。彼の話を聞くのは楽しい。ワインとオリーブと言う食品がいかにヨーロッパの歴史に特異な関わり合いを持っているかが理解でき、またある面では人間と食い物という文化の深さも考えさせられる。
一方、下呂での若い友人伊藤慎吾さんは、飛騨牛の生産者。子牛の生産・飼育から販売までを一貫して経営している。
この2人を結びつけたいと思った。金井さんが、スペインの田舎町にあるワインメーカーを今日下呂に連れてきてくれた。伊藤さん経営の牛舎を見、飛騨牛とスペインワインで食事した。遠来のスペイン人はその飛騨牛のうまさに舌を巻いた様子だった。実はヨーロッパではかねてから和牛のうまさは知れ渡っているが、我が国からは直接輸出できず、オーストラリアなどを経由した和牛が出回っているそうだ。生産者同士による飛騨牛とスペインワインとの組み合わせ。新しいビジネスモデルにならないだろうか。
昨日白雲座歌舞伎を鑑賞して感じたことを述べる。
1 芝居小屋は国指定重要有形民俗文化財であり、堂々たるものだ。建物の中に入った瞬間われわれはタイムトンネルを潜り抜け江戸時代の空間に誘われる。室内の広さもほぼ満席で300人ぐらいかと思われ、心地いい広さではあった。あの花道という様式も歌舞伎特有と聞くが、いいものだ。ただし、われわれのライフスタイルは21世紀の中にあり、とても2時間も3時間も座り続けることに耐えられない。芝居の面白さよりも肉体の苦痛に耐えることに気が行ってしまって、集中心が散漫になることが惜しい。今後外国人にこれを鑑賞させるなら、一考すべきテーマではある。
2 入場料金は決まっていない。志ということである。このことについて私はひそかな感動を覚えた。資本主義は人間の営みに、たとえそれが文化的な行為ですら金銭の価値に置き換えて評価しなければわからなくなってしまった。お代はお志という考え方に、実は経済活動のそもそもの原点があるような気がした。貨幣とは人類が発明した最大の遺産といわれているが、資本主義の発達は今や貨幣がモンスター化するまでになってしまった。世界中の大問題となっているグローバリー経済の欠陥は、カネが実体経済を離れて独り歩きしかけたことにあるのだ。
3 子供が長いセリフを覚えて喋っている。今その意味はあまり理解出来なくても、この子らはこの台詞を一生覚えているに違いない。江戸時代、教育の原型は教科書の素読であった。子供歌舞伎には大人たちも「おひねり」の嵐で、心底好ましかった。
4 10年以上前にドイツの田舎町でイタリアオペラを見たことがある。言葉が違うが見ている人たちは、その筋書きをすべて知っていて俳優の歌唱力を楽しむ。かっての日本人は歌舞伎のストーリーとその場面での台詞はすべて分かっていた。今の日本人には、歌舞伎とは、いったい何を言っているのか何をやっているのかわからなくなってしまっている。世界文化遺産になりながら、自国の伝統文化について訳が分からなくなったことの恥ずかしさすら感じない。
おかしなことではないか。
文化の日にふさわしく歌舞伎見学。
下呂市無形民俗文化財指定「白雲座歌舞伎」大講演会。下呂市にはこの白雲座の他に「鳳凰座歌舞伎」もある。地歌舞伎が複数残っている自治体は日本中で下呂市だけである。
地歌舞伎は、戦前全国に1000か所以上あったらしい。ところが敗戦国となった我が国はGHQ占領下で、歌舞伎の上演が3年間禁じられた。理由は、歌舞伎という芝居のほとんどが仇討いわゆる復讐劇であるため、アメリカはこの日本固有の文化が怖かったに違いない。占領政策として、歌舞伎は壊滅の憂き目に追い込まれたと聞く。
現在、白雲座歌舞伎のようないわゆる地歌舞伎(地芝居といった方が正確かもしれない)が残るのは、全国でもほんの数えるほどだが、そのなかで、一番数多く残るのが岐阜県であり、東濃から飛騨地方が、最大の伝承地域である。
ここで声を大にして言っておきたいのは、歌舞伎は日本が誇る世界文化遺産であることだ。実はこのことを知る人は少ない。それがまず最大の課題である。
11月4日
9日 テレビ愛知の昼の番組「トコトン1スタ」にコメンテーターとして出演。評論家宮崎哲也氏とは初めて話した。会うまでは何だか高飛車な印象を抱いていたが、話して見ると柔軟な人柄も感じ、好印象を得た。結局テレビ人間は、見るほうが勝手に思い込みのイメージを作ってしまうのだろう。やはり人間は直接会って話すことが大切だ。人と会った時どういう態度で接するか、どういう物言いをするか、ほんのちょっとしたことが大切になってゆく。
10日 春日井市の中部大学で講演をする。タイトルは「なぜ私は政治家になったのか」。一度自分の歩いてきた道を振り返り、自分自身をまとめてみたかった。終戦直後の1945年10月に生まれ、いわゆる団塊の世代という宿命の中に戦後の日本史を生きてきた。その「自分史」を語った。愛知県議時代、犬山市長時代、「愛知万博」に直接関わり、そして知事選挙に挑戦したのも万博後の愛知県政の流れを変えたいと思ったことが一つのモチベーションであったので、そんな話を軸にして話を構成した。
下呂市長選挙の経験を一冊の本にした「希望」が出来上がりその出版パーティーを催した。
また今日はその出版と同時に、政治団体である「ふるさと清流会」の発足を兼ねる。
4月上旬に選挙が終わり、落選。大きなダメージを受けた。そこから何とか気持ちを持ち直し、今日この一冊ができた。選挙は山登りのようなもので、投票日から数えて2か月前にスタートしたなら、終わってから2か月たてばほぼ消えてしまう。世間のあの興奮はどこに行ったのやら、一陣の風が通り過ぎたようなもの。だから熱いうちに記録を残さねばならぬ。記憶は日に日に薄れるが、記録は残る。記録に残したものは、必ず蘇える。私はかなり文章として書いたが、大部分は選挙に携わった人たちへのインタビューをまとめたもので、生き生きとしたドキュメンタリとなっている。タイトルを「希望」にしたのは素直な私の心境である。人生において希望をなくすことが敗北であり、希望を持ち続けることが勝利であると思ったからだ。