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4月23日 リンカーン

パーマリンク 2013/04/25 07:39:42 著者: y-ishida2 メール

映画「リンカーン」を観る。この映画から、日本にとって最も親しい国、しかしその付き合い方において最も緊張しなければいけない国、アメリカについて考えた。最も親しいという意味は、日米安保条約のこと。国の防衛をアメリカに依存するということである。沖縄のことを考える時など、私には日本はアメリカの属国ではないかとさえ思えてしまう。日本は主権国家として、アメリカと対等に付き合っているとは言い難い。また、アメリカ発のいわゆるグローバルスタンダードという経済基準だ。このボーダレス文明が日本固有の文化を破壊し続ける。アメリカという超大国、覇権国家との対等の付き合いの難しさは我が国最大の難問ではないのか。
されど今日の「リンカーン」にアメリカという国の、一方のアイデンティティーみたいなものを観た。現在のアメリカ大統領オバマは最初の黒人大統領であるが、そのオバマを生んだのはリンカーンだ。当時アメリカで、しかも内戦の真っただ中、黒人の奴隷解放をやってのけたリンカーンとそれは支持したアメリカ連邦議会に大きな感動を覚えた。法の下、すべての国民は自由と平等を享受する。差別されることは決してない。それを守るのが国家であるという民主主義の原理原則をリンカーンは何処までも貫き通す。原理原則が揺らぐことがないから、議員との駆け引き、戦争の終結をも乗り越え、最後は暗殺される。この作品の監督スピルバーグは言っている「この映画にはリンカーンに対する我々の愛と尊敬が込められている」と。この映画製作にかかわったすべてのアメリカ人は、このリンカーンの唱えたアメリカ合衆国の理念をきっちり理解しているという気がしたくらい密度の高い出来映えだった。
先日ボストンでテロがあった直後、オバマ大統領の追悼演説をテレビで観た。国家と国民の関係が実に分かり易い、強烈なメッセージだった。アメリカにはリンカーンの血が流れている。
このアメリカという国と対等に付き合うという目標は高い。日本は我々固有の尊厳を失わず、且、謙虚で懸命な努力がいる。

4月22日 市長選挙

パーマリンク 2013/04/23 10:26:16 著者: y-ishida2 メール

昨夜各務ヶ原と名古屋市長選挙の結果が出た。また先週のことだが大垣市長選挙も結果が出た。3か所とも応援した候補者は負けた。 大垣は、友人の伊藤さんが現職の4選阻止に立ちあがった。誠実な人格者で、県会議員3期トップ当選の実績を擲ち勝負に出た。よく決断したと思ったが・・・。各務原、森さんは犬山と各務ヶ原、木曽川を挟んでツウィンシティーを目指した畏友だ。両人とも政治家にはまれにみる読書家で、特に森さんは書道や文章に練達し、常に知的刺激を受けた。
私は「権腐10年」、政治家という地位は何といっても権力者だから10年で精神的腐敗を生む、3期を持って次のステージに進まなければならないという自分なりの倫理感で、県会議員3期、市長3期ごとに新たな挑戦をした。
しかしそれは自分の価値観であって、人に押し付けるものではないとも思っていた。止める決断はやろうとする決断より難しい。半年ほど前、森さんを訪ねた。森さんも5期目の挑戦には考えるところがあったように推測する。私が口を切るのを制して、自分から、「次もやる!」と言った。
「やるがいいさ、どうなっても政治家の生きザマだ。自分の信ずる道を迷うことなく突き進むだけさ。それが政治家の人生さ。」
私自身の現在と重ねて、そう言った。
私は若いころ、選挙に負けるのは政治家として大きな欠陥があるからだと信じて疑わなかった。しかし、六十路を過ぎた今、戦いに負けることは恥ずべきことではないと感じている。勝敗という結果ではなく、何をやろうとしたのかということこそが重要なのではないのかと思うようになった。自分はどういう生き方をしようかと模索し、自分自身に妥協しなければ、結果が伴わないことは乗り越えられる。選挙に負けた後、自分の気持ちをどう作っていくかが人生だと思っている。
私は森さんと伊藤さんに「これからが新しい人生の始まりだぜ!」と言いに行こう。
「敗中勝機を知る」ことが人生の極意だと。

4月21日 久田見祭

パーマリンク 2013/04/23 10:23:54 著者: y-ishida2 メール

岐阜県加茂郡八百津町久田見に伝わる祭を見に行った。犬山から車でほぼ1時間。近くにありながら、今まで見たことがなかった。    八百津は木曽川と飛騨川の合流する地点、民謡木曽節にあるように木曽材をこの地で筏に組み、犬山まで流してくる中継地でもあった。  久田見祭はそんな、木曽と飛騨と美濃が混血し、尾張へ至る山間の小さな部落に凍結され、春風に解凍された絵巻物の世界だった。
「だんじり」と呼ぶ曳山が6台白髭神社と神明神社にお練りする。背中に大きな御幣を担いだ馬が「だんじり」を先導する。「だんしり」のからくり奉納の前に獅子が舞う。祭りの原型がきちんと継承されていて、まず感心した。ここの祭の一大特徴は、「糸切からくり」と呼ぶからくりの様式にあり、国の文化財指定になっている。
6台の「だんじり」は二輪車で高さ5メートルくらいの2層構造、彫り物もよし、水引幕も鮮やか。上階で舞うからくりは毎年演目を変える。同行した、ロボット研究者の末松さんが、これはまさに江戸時代のロボットコンテストだと言った。犬山祭も当初は二輪車の大八車で曳いた記録に接したことがあるが、ここでも祭りの原型を観る。年々過疎化している地域らしいが、逆にこの祭が過疎化に歯止めをかけていることは確実である。
祭りを楽しむ住民の表情がいい。ここの部落の人たちの一年はこの祭りのためにあるに違いない、2日間の祭のために絶えず準備し身構えていると思われる濃密な空気がそこにはあった。寄合が、人と人との絆を生み、支え合う共同体を形成しているのだ。そしてその中心にご先祖を祀る神社があり、歴史継承への求心力の精神性を育むという構図だ。
盛りを過ぎた桜が、はらはらと祭を楽しむわれわれの頭上に舞った。暮れ泥む帰り道、春風が山里に運んでゆくあの祭囃子は、体に染みついた日本の旋律であった。

4月18日 アウンサンスーチー

パーマリンク 2013/04/19 07:31:40 著者: y-ishida2 メール

ミャンマーの政治家アウンサンスーチーが日本を訪れている。テレビでインタビューを観た。合計15年間自宅軟禁され、自由の身を拘束されていたが、今日語った彼女の言葉は、静かで、落ち着きがあり、強く、感動した。
自宅軟禁中、彼女は読書とラジオで世界の友とつながり、考え、不自由はなかったと言う。毎日忙しそうに駆け回り、政策論や理屈などに血道をあげている多くの政治家たちが、何だか軽いものに思えてきた。
一番大切なことは、希望を持ち続けることだとも言った。彼女から自由を奪った軍事政権に対しても批判せず、あれは、自分の父親が作ったものであり、一種情愛を抱いているような表現すらあった。
私は、彼女の語りを聞きながら、南アフリカのネルソンマンデラを思い出していた。マンデラも、17年間投獄の憂き目に遭いながら、投獄した白人を憎まずといった。そして、この2人に共通するものは、徹底的に自分の自由を奪われ絶望の淵に立たされても、希望を失くさなかったということだ。インドのガンジーもそういう人物であったかもしれない。徹底した逆境に立たされた時こそ、思いや意志は反作用で硬く固まるのか。
世の中には、偉大な人生と人物がいる。小説の世界ではなくて、現実に生きている人物が存在する。

4月16日 国の予算

パーマリンク 2013/04/19 07:29:31 著者: y-ishida2 メール

平成25年度予算案が衆議院を通過した。予算に関しては、衆議院が参議院に優先するため、5月15日にこの予算は成立する。
92.6兆の予算。問題は年々膨張し続けていることだ。私は自治体の予算を12回編成したことがあるが、200億余の予算ですら、細かいところはなかなか目が届かない。家計や自分の会社の財務だったら、真剣に配慮するが、所詮自分の金ではないし、切迫感のない抽象的な使い方になる。  
私は親の家業の経営経験が多少あるが、売り上げ、銀行借り入れ、売掛金の回収など毎日真剣にならざるを得ない。気を抜いたらそれこそボクシングのように一瞬にしてダウン、倒産が待っている。
予算案を一瞥して率直に言うと、ある意味、国民に迎合する予算ではないのか。国と地方の借金合計は1000兆円に近づき、GDPの200パーセントに当る。こんな時、誰も痛みを伴わない予算を編成することがいいのかということだ。
国家予算の編成には、実に膨大な人たちがかかわる。全ての中央省庁、政党、議員、それに連携し全国自治体の全公務員、議員。国家予算を作るという作業は、私には想像を絶するイメージが膨らむ。一般会計以外の特別会計だとか独立行政法人なんかを入れたらほとんど全貌を把握できる人はいないのではないか。だから、一般の人が予算の細部を理解することはほとんどできない。
問題は、予算案を作る際全ての公務員は、熱心に仕事をしたい人物ほど予算を膨らますという構図だ。財務省だけは予算を削る役割を果たすが、あとは全員、仕事=予算増という方程式になっている。その方程式に対し、予算を絞るという仕事をするのは議員しかいない。その役割の議員が、これまた、仕事=予算を伸ばすという感覚が、歯止めのない借金体質を生んでいる。

4月14日 リベラルの会

パーマリンク 2013/04/15 12:11:57 著者: y-ishida2 メール

「リベラルの会」という旧社会党系の人たちの勉強会に出席。
若い時、政治のスタンスは自民党においていた。自民党代議士秘書が政治世界へのとば口になり、12年間の県会議員も自民党だった。時代は経済の高度成長期。市長になり、党籍を離れ、無所属でどの政党とも等距離で交際。愛知県知事選に挑戦した時、民主党の推薦が機会になり、衆議院議員は民主党。「コンクリートから人へ」という言葉がぴったりのパラダイムシフトだった。
私は自民党と民主党の違いを説明する時、こう表現する。「名古屋城は誰が作ったか?加藤清正と考えるのが自民党。名もなき職人たちが作ったと考えるのが民主党」と。私は若い頃は英雄豪傑に目が行ったが、人生経験を積むうちに世の中を動かすのは、心底名もなき大衆だと思うようになったのだ。
民主党の最大支持母体は連合であり、連合は、旧民社党と社会党の合流したものであるから、私の政治人脈は、ほぼ全政党にわたる。また私の個性かもしれないが、組織より人物にウエイト置いて交際してきた。
「リベラルの会」勉強会の会員になっている。自民党系の人たちはどうしても経済や景気の話に偏り、統治の立場からものを考える。一方、リベラルの会の人たちは、憲法論議や人権、格差がテーマで、大衆の側に立つ。私は、旧社会党系の人たちの純粋さ、権力に立ち向かう勇気に失ってはいけないものを感じる。
今日の議論は、今後民主党の行方や、今夏参議院選挙の争点についてだった。結論は民主党が憲法論議の中で9条をどう表現し党のコンセンサスをまとめるかということに極まった。もう「専守防衛」だけで平和論を維持することは無理だろうという意見もあった。    私の持論は「今こそローカリズム」。故郷と共同体の復権である。領土問題とTPPを除外すれば、一見保守と似てくる。

4月13日 明治村茶会

パーマリンク 2013/04/14 15:34:07 著者: y-ishida2 メール

私は長年「財団法人・明治村」の理事を務め、現在評議員だ。
その立場よりなにより、明治村が好きだ。私が犬山市長当時、明治村はまちづくりのヒントを色々与えてくれたし、自分の夢を実現もできた。「全市博物館構想」や、それとセットで、「生涯学習の町づくり」など明治村から発想した。「フィルムコミッション」「ボランティアガイド」など私の提案が、明治村で実った。
それはさておき、今日の「明治村茶会」は気分爽快也。この村は桜が終わると緑が萌え、百花繚乱の季を迎える。茶道は素人だが、今日「漱石・鴎外邸」での一服は至福の時だった。茶碗は「楽」の黒。お茶の濃いグリーンとの配色が絶妙で、息を飲むような美しさだった。茶道具の解説を詳しくしてくれたが、私は細かい知識よりも、感覚として、日本の茶道文化には深く魅せられる。あの野趣に富んだ茶室という建物と狭い空間の心地よさが好きだ。いびつで土そのものの素朴な茶碗が好きだ。寡黙な静寂が好きだ。
因みに、日本の城には必ず茶室がつきものであり、犬山城天守と茶室如庵はともに国宝のワンセットである。また茶の世界は、エコロジーの思想と通じるものがある。最近日本食がインターナショナルになりつつあるらしいが、日本の食文化の最も大切なところに茶の接待に供する懐石料理がある。
今日は、心の洗濯をした。「明治村茶会」は茶会の最高峰である。

4月11日 上京

パーマリンク 2013/04/12 12:07:05 著者: y-ishida2 メール

最近祭のことを書く事が多いが、いろいろ経験し、考え、今の日本はもう一度地域の共同体を復活しなければ崩壊していくという危機感に、日本の祭の見直しを考えるようになった。
その考えを政治評論家の森田実さんに話したら、即、そういう話なら亀井静香さんに話すべしとなり、その場から電話し、今日会うことになった。亀井さんとは面識はあるが、こういう話題で話すのは初めて。亀井さんは、東大卒の警察官僚でありながら、一面たたき上げの党人派のような人情家で、人を評価するに決して色眼鏡で見ない洞察力のあるリーダーだ。祭の研究をしたいという私の考えに全面的に賛同してくれたし、それよりも、人生を語り、実にわかりやすい人格で、好感を持った。
帰り道、銀座の新歌舞伎座を見に行った。思いつきだったので、建物だけ観察した。設計者隈研吾氏の解説は読んだことがあり納得したが、おおむね建築家は技術に寄りすぎる。私は単純に、新歌舞伎座を見て、何故木をもっと使わないのか不満に感じた。
最近この新歌舞伎座の再生を機会に歌舞伎ブームが起きた感がある。それはそれで、日本の伝統文化が国民に支持され結構な事であるが、歌舞伎の原点は農村に根差した地芝居にある。絶滅寸言の原点には目もくれず、ただただ銀座のみ話題にするということに私は何とも悲しさを感ずる。
歌舞伎役者は元来家柄の世襲制ではない。瓦乞食、最も下層な庶民の中から起きてきた世界に冠たる大衆の芸術が世界遺産となっているのだ。歌舞伎の名跡も、いつまでも世襲制の閉鎖社会を続けると必ず落とし穴にはまる気がする。中央集権国家のシステムのせいだと言うのは考え過ぎだろうか。

4月10日 水力発電

パーマリンク 2013/04/11 12:04:42 著者: y-ishida2 メール

名古屋大学の環境学者高野雅夫さんが下呂四美地区の国際保養地を見に来てくれた。小水力発電ができないものかという私の要請に応えてくれたのだ。高野さんは、名古屋大学の研究生と、アフリカで小水力発電の実践活動をしている。「エネルギー問題は生き方そのものだ」と、若者を田舎に向かわせる新しいライフスタイルを提唱し、私も大いに感化を受けた。
四美地元の人たちと懇談し、いいヒントがあった。小水力発電可能であり、更に豊富な間伐材を使い、薪ストーブを普及させることも十分おもしろい取り組みになるなど話題にした。要は、なんのために発電に取り組むかという目的意識を明確にしなければ、戦略が立たない。「地産地消」のライフスタイルを意識することだ。四美地域は、山に囲まれ、地域全体が緩やかに傾斜し、自分たちの生活エリアが一望できる環境にある。だからここの住民は、自分たちの町内のことを視覚的に考えることができる。もう少し皆さんと話し合い、方法を探る。
今更ながら気づいたことだが、ここの人は自分たちは「田舎者」だと思い込み、田舎は都会より遅れた、下に見られている地域だという先入観がある。今、都会よりこういった田舎に住むことに価値観を置く若者が少しずつ生じているという時代認識を理解することができない。だからいつまでたっても愛情は一杯だが、田舎の誇りと役割が見いだせずにいる。私の仕事の第一は、地球規模での環境問題による大きな時代の転換を訴え、田舎の人に自信を持たせることだ。
下呂は今桜が最高潮。市内各所の桜を妻と鑑賞。その時の写真をこのブログで紹介する。桜の魅力は短期間で散ってしまう所にある。散るを急ぐ刹那に美の本質を見るのか。北朝鮮の脅威や、応援に行った選挙の結果を安じながら、飛騨の逝く春を惜しんだ。

4月8日 天皇制

パーマリンク 2013/04/09 15:38:04 著者: y-ishida2 メール

最近国会の議論の中に憲法論議が浮上している。これには少なからぬ関心を抱く。衆議院議員の時、憲法記念日に、愛知県でJC主催の「日本国憲法を考える討論会」に民主党を代表してパネラーになったこともある。
今浮上している最大の論点は、第9条、戦争の放棄が対象だが、私は、第1条の天皇制についても深い関心を寄せている。
月刊誌「新潮45」3月号、山折哲雄氏の論文「皇太子殿下、ご退位なさいませ」を読んだ。続いて4月号で武田恒泰氏の反論を読み、いわゆるネット族が、皇太子妃について匿名でかなり品格を喪失した批判をしている事実を知った。
天皇制を考える時、私にとっての課題は2つある。1番目は民主主義との折り合いをどこでつけていくのか。シンボルとしての権威をどう守るかという問題が生ずる。それから、2つ目は、私が最近到達した日本の原点、神社・祭りとの関係とどう整合性と取るかということ。天皇制は弥生であり、祭は縄文だ。わが国の文明は縄文のほうが先にある。私の中でまだ明確な結論は出ていないが、今後勉強し、よく考え、何らかの自分なりの回答を出したいと思っている。
それにしても、日進月歩、ネット技術の進化はいいのか悪いのかわからなくなった。止めようのないイノベーションの流れかもしれないが、日本の天皇制に何らかの混乱をもたらす遠因を作るような気がする。
今夏の参議院選挙からネットによる選挙が導入されるが、これもいいのやら悪いのやら。素直に喜ぶ気持ちにはなれない。

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