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最近祭のことを書く事が多いが、いろいろ経験し、考え、今の日本はもう一度地域の共同体を復活しなければ崩壊していくという危機感に、日本の祭の見直しを考えるようになった。
その考えを政治評論家の森田実さんに話したら、即、そういう話なら亀井静香さんに話すべしとなり、その場から電話し、今日会うことになった。亀井さんとは面識はあるが、こういう話題で話すのは初めて。亀井さんは、東大卒の警察官僚でありながら、一面たたき上げの党人派のような人情家で、人を評価するに決して色眼鏡で見ない洞察力のあるリーダーだ。祭の研究をしたいという私の考えに全面的に賛同してくれたし、それよりも、人生を語り、実にわかりやすい人格で、好感を持った。
帰り道、銀座の新歌舞伎座を見に行った。思いつきだったので、建物だけ観察した。設計者隈研吾氏の解説は読んだことがあり納得したが、おおむね建築家は技術に寄りすぎる。私は単純に、新歌舞伎座を見て、何故木をもっと使わないのか不満に感じた。
最近この新歌舞伎座の再生を機会に歌舞伎ブームが起きた感がある。それはそれで、日本の伝統文化が国民に支持され結構な事であるが、歌舞伎の原点は農村に根差した地芝居にある。絶滅寸言の原点には目もくれず、ただただ銀座のみ話題にするということに私は何とも悲しさを感ずる。
歌舞伎役者は元来家柄の世襲制ではない。瓦乞食、最も下層な庶民の中から起きてきた世界に冠たる大衆の芸術が世界遺産となっているのだ。歌舞伎の名跡も、いつまでも世襲制の閉鎖社会を続けると必ず落とし穴にはまる気がする。中央集権国家のシステムのせいだと言うのは考え過ぎだろうか。