昭和20(1945)年6月23日。
日本が 本土上陸決戦防御の楯にした沖縄戦に 降伏した日。
つづいて米陸軍は、東アジアとりわけ極東周辺地域の制空権拠点と、日本本土への攻撃決戦の橋頭堡として、現・宜野湾市高台の草地・サトウキビ畑等の約500ha(150万坪)近くを接収。
(当時 宜野湾村 約3,000世帯 人口13,000人)
(現 宜野湾市 約36,000世帯。人口9万人。基地の周辺に人家が増加)
昭和47(1972)年 沖縄の日本返還まで27年間、沖縄はアメリカ統治下にあって、日本の統治権の及ばない”外国”であった。
「普天間基地481haは、2014年に日本へ 全面返還される。」
これが日米合意であり、現政権もここに立脚すると明言している。
日本復帰後42年間(敗戦降伏・強制接収後69年間)待ち続けた、サトウキビ畑の返還である。
約3,000世帯13.000人の子々孫々ン万人が待ち望んだ「時」が来る。
基地の92%が民有地。約3,030人の地主さんの年間総額65億円余の地代収入はなくなるが、土地が戻る。
アジア太平洋に展開布陣する戦略基地のひとつ、日米安全保障(日本の国防、領地領空領海侵害の抑止力)の一角が、消滅する。
敗戦後、3,000世帯が36,0000世帯にふくらむほどに、大勢の人々と事業所・施設が、ここに普天間基地があることを承知で あとから移住し、織り込まれた環境に生まれ、生活し、社会経済活動を営んでいる。
普天間基地の全面返還で、基地雇用、基地経済、基地周辺関連産業がなくなるが、騒音と墜落の危機が遠のく。
【カット写真】通称「普天間基地」米軍海兵隊の飛行場。南から北方向を見る。(宜野湾市職員組合の資料より転載)