加賀百万石・金沢城主12代前田斎廣(なりなが)の隠居所として、文政5年(1822)に造営された「竹沢御殿」。
敷地4000坪。その庭園は兼六園と命名された。
竹沢御殿は、その後縮小させながらも巽御殿となり、
こんにちの「成巽閣」となる。
この成巽閣。建築の面でも、おどろきがあった。
社寺仏閣の宮大工と同じく、御殿造営にも大工(建築)のワザの粋・頂点を極める、匠の技法が随所に施されている。
成巽閣では、庭園に面した廊下・縁(縁側)は、
20㍍も柱無しで、広縁の庇(ひさし)を、当然に屋根を支えている。
「桔木(はねぎ)」と呼ばれる隠し垂木を、2㍍間隔に、何本も庇の裏に仕込む。
長さ10㍍の松材の垂木を、軒先から~縁から3㍍の内廊下の柱と梁を支点として、あと7㍍を、屋根の小屋組みの中で保持する。
梃子の原理で、3㍍もの 柱無し庇を支える。
部屋の中から広い視野で、庭園を眺め、愉しむことができる”ワザ”。
この”ワザ”を 目の当たりにして、正に 絶句・・。